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『逆説の日本史 2 古代怨霊編』
- 2021/08/18(Wed) -
井沢元彦 『逆説の日本史 2 古代怨霊編』(小学館文庫)、読了。

早速シリーズ第2弾を。

聖徳太子という、日本人の大半の人が聖人君子だと思っている偉大な人物について、
「なぜ摂政のままで天皇にならなかったのか」「謚に投影された意味とは」というような視点で
その真相に迫った前半は、様々な角度から検証した要素が一つの真相に繋がっていく様子に
とてもワクワクしました。

このシリーズは、二十数巻出ているので、一定数の固定ファンがついているのだと思いますが、
ただ、「作家の空想の産物」として批評の対象にすらならないと切って捨てる声も多そうです。
井沢氏が歴史学者の3大欠陥「史料至上主義」「権威主義」「呪術的側面の無視」を批判しているので
歴史学界からは総スカンを食らってそうですが、言論界での評価はどうなんでしょうかね。

歴史認識という点では、保守とリベラルの違いが議論になることも多いですが、
例えば彼らの立場から見て井沢史観ってどうなんだろう?と考えながら読んでました。

第2巻では、聖徳太子、天智天皇、天武天皇という早々たる人物を取り上げていますが、
本質的な部分で「天皇の系統は万世一系ではなく他の男の血で途絶えている」という指摘は
保守界隈にはとても受け入れられなさそうな主張である気がします。
保守派と自覚してない日本人でも、「万世一系ではない」という主張には
嫌悪感を覚えたり、違和感を覚えたり、本能的拒否反応を覚えたりするような気がします。

一方で、リベラル的な人たちからは、怨念とか怨霊とかそういう類の考え方は
鼻で笑われそうな気がします(あ、完全に私の感想ですけど)。

というわけで、歴史学界も言論界も、井沢史観には興味持たなそうなので、
結局、一般の歴史愛好家が半分エンタメ小説を読んでいるような感覚で
楽しんでいるような状態なのかなという気がしました。

井沢作品の感想として、「教科書の説明では理解しにくかった歴史の流れ、動き、変化の理由が
本作ですんなり理解できた」
と私は書いたのですが、これはたぶん、教科書の勉強で
無味無臭というか、面白みのない歴史の事実を淡々と学んだ知識がベースにあるから、
井沢史観のような「こんな軸での歴史の読み方をすると筋が通るよ」という提案に対して
「おぉ、確かに面白い!」と反応できるのかなと思いました。

もし、日本史の勉強そのものを井沢史観で始めてしまうと、
今感じているような面白さを感じられないような気がしました。
一つは、歴史学界に対する井沢氏のぶった斬り方そのものが面白いと感じられるには
日本の歴史学界がそもそも提示している日本史の読み方を知っていないといけないですし、
その味気無さを知っているからこその、井沢作品の裏をかく主張が面白いわけで。
つまらない日本史の教科書があってこその井沢史観の面白さというか。

・・・・って、なんだか陰謀論みたいですね(苦笑)。

これから時代が新しくなっていくと、どんどん史料が豊富な状況になりますが、
第3巻以降、どんな新説の提示があるのか、史料との整合性が取れるのか、
そのあたりが楽しみです。




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