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『逆説の日本史 1 古代黎明編』
- 2021/08/16(Mon) -
井沢元彦 『逆説の日本史 1 古代黎明編』(小学館文庫)、読了。

先日読んだ井沢作品が非常に面白かったので、
「この夏は『逆説の日本史』一気読みだ!」と思い、早速着手。
ただ、すでに二十何巻も出ているようで、ブックオフで全部見つけるまで待っていられないので、
とりあえず手元にある6巻までを目途に一気読み予定。

第1巻は「古代黎明編」と銘打ちながら、序章は信長の話から始まります。
この時点で、すでに「井沢作品、変幻自在だわ~」と、とりこに(笑)。

教科書的な日本史の本って、原始時代なり神話の世界から始まって、
だんだん時間を今に向かって下るように順番に説明することが多いと思います。
これって、一見、時間軸に沿って連続的に説明しているので、日本の歴史として軸の通った説明に
なっているように思いこんでしまいます。
でも、決して時代を遡って検証するようなことがないので、その瞬間瞬間の説明しかできていないことが
多いんだなというのが、本作を読みながらとても実感できました。

井沢作品は、卑弥呼の真実を説明するために、
江戸時代に見つかった志賀島の金印の話をしたり、19世紀のイギリスの社会人類学者の本に拠ったり、
時間軸を自由自在に行き来して、時代を超えても日本人の中に流れている普遍的な考え方みたいな
部分を重視しているので、今までの日本史解説にない説得力を感じられるのかなと思います。

従来の日本史の解説では、その時代を切り取った時に、現代人の目から見て辻褄の合う説明をして
それで合理的だと思えれば、それで良しとしてきたのかなと。
いわゆる、横軸が通っている状態。

一方で、横軸を時代順に並べることで、縦軸も通っているように錯覚してしまってますけど、
実は、どこかの横軸と別のどこかの横軸を比較すると、全然思考方法が違ってたりして、
それを「時代が違うから」という感覚で済ませてしまってるんじゃないかなと。

その点、井沢作品は、横軸よりも縦軸を重視していて、
「怨霊信仰」という時代を超えて日本人に流れている畏怖の感情で
大きな歴史の流れに筋を通そうとするので、常に時代を行きつ戻りつしながら検証していきます。
このプロセスが、非常に興味深いんですよね。

著者は、日本の歴史学の3大欠陥として、「史料至上主義」「権威主義」「呪術的側面の無視」を
挙げていますが、その反対のスタンスを取る著者の歴史との向き合い方は、
歴史学者というよりは、民俗学者的なアプローチ方法なのかなと思います。

私は、「史料至上主義」は、一つの学問的方法論のあり方だと思うので、
歴史学者的アプローチと、民俗学的アプローチのそれぞれから辿り着いた仮説を、
真正面からぶつけ合って真実を見つけ出す姿勢があれば、良いかと思います。
しかし、今の日本史の議論の場に、「史料至上主義」以外のアプローチ方法を認めず、
著者のような方法論で辿り着いた仮説を「論じるに足りない」と却下してしまうのは良くないなと。

いろんな仮説がぶつかり合うと、世間的にも日本史への関心が高まり、
子供たちも日本史の分野を勉強することに興味を持つようになると思うのですが、
「権威主義」に凝り固まっているギョーカイの方々が相手だと、これは夢物語なのかな・・・・。




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