又吉直樹 『夜を乗り越える』(小学館よしもと新書)、読了。
帯にあるように「なぜ本を読むのか?」について書かれた本。
最初の章では、本との出会いのシーンが書かれています。
直接的には、中学校1年生の国語の教科書で読んだ芥川の『トロッコ』に感銘を受けたのだとか。
しかし、その手前の小学生のころの又吉少年の姿の描写に驚きました。
親戚一同集まっての宴会で、父親が踊って笑いを取ったとき、
場の流れで又吉少年も踊らざるを得ない状況に陥り、場を白けさせてはいけないと思い、
恥ずかしさを振り切って思い切って踊ったら爆笑となり、思いもかけぬ満足感に浸っていたら、
陰で父親に「あまり調子に乗るなよ」と注意されたんだとか。
こんな父親がいたら、少年の心は歪んじゃいますよ(苦笑)。
結果、又吉少年は周囲の人間の顔色を窺うようになり、
笑いを取ってグループの中の自分のポジションを確保しようとします。
そのために、友人グループの中心にいられるようになり、逆に頼られることで、
喧嘩の相談を受けたりまですることに。
それに対して、「本当の自分は、こんな笑わせたり喧嘩したりするような人間じゃないのに・・・・」と
自分自身が思い描く姿と現実世界の自分とのギャップがだんだん大きくなっていき、悩みます。
そこで出会ったのが『トロッコ』。
主人公の内面を描いたところを読み、「頭の中でこんなにアレコレ考えてるのは自分だけじゃなかったんだ!」
と発見することで、本の世界にのめり込んでいきます。
この「本との出会い」についてのくだりは、とても共感できるものでした。
本が身近になる瞬間って、自分自身が悩んでいることについて、本の中でズバッと描写されているのを見つけて、
「あ、自分が悩んでいたことと同じようなことを悩んでいる人がいるんだ!
しかも、その悩みの内容がとても明確に文章化されててすごい!」と感じることだと思います。
私の場合は、有吉玉青さんの『身がわり』でした。
私自身、又吉少年と同じように、周囲の大人の期待に応える自分になろうとして、
勉強したり、本を読んだり、わがままを言わないようにしたり、家業の手伝いをしたりしてましたが、
一方で、「周囲の期待に応えて行動するというのは、自分がないのではないか?」と悩んでました。
大学に入ってから、それは、「主体性」という概念だと学びましたが、
当時は、「他の子はやりたいことやったり、わがまま言ったりするけど、自分にはそれがない」と悩んでました。
で、『身がわり』を読んだら、そこには、親である大作家の有吉佐和子と娘としての自分との葛藤が書かれていて
「本を出版できるような凄い人でも、周囲(=親、祖母)の期待と自分自身のあり方に悩むものなんだ!」と思い、
自分事として読める本というものが世の中にあるんだ!と気づいた瞬間に、読書と自分の関係が
一気に転換した感覚がありました。
冷静に考えれば、有吉玉青さんの置かれている状況と、私が悩んでいたことはズレているのですが、
でも、自分がモヤモヤしたまま言葉にできなかった感覚とか、
あぁ、親に対してそういう見方をすることもできるのか・・・と視界が開けたような感覚があり、
中学生ながらに人生を学んだ本でした。
こういう一冊に、中学生とか高校生とかで出会えると、一気に本の世界にのめり込めますよね。
又吉さんの本との出会いの部分に深く共感できたので、
残りの章を一気に読めてしまいました。
芸人論のところは、新書でこんな頭でっかちなことを書いて大丈夫なのかな?不安になりました。
私の感覚では、そういう話は、『Quick JAPAN』みたいな、
コアなファンを対象にした本で披露することなのかなと思っているので。
ま、でも、そのとんがった芸人論も、興味深く読ませてもらいました。


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