『「関係の空気」「場の空気」』
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- 2019/12/26(Thu) -
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冷泉彰彦 『「関係の空気」「場の空気」』(講談社現代新書)、読了。
私は村上龍氏が主宰するメルマガ「JMM」の読者ですが、 著者のUSAレポートを、いつも楽しみにしています。 基本的に、米政権が対峙している諸課題について、日本国内の報道とは違って 真相はどういうことなのか、米国内ではどう報道されているのかという観点で解説され、 丁寧な分析により、米国の政治状況についてそれほど詳しくなくても理解することができます。 その印象しかなかったので、ブックオフの本棚で著者名を見つけて、 政治関係の本だろうと思い込んで買ってきたら、 日本語文化における「空気を読む」ということの解説書でした。 「あれ?政治の話じゃないの?」と拍子抜けしてしまいましたが、 著者プロフィールを読むと、米国で日本語を教えているようで、 むしろ本作のテーマの方が本業なのかな? 日本語では表現を短縮すると共感性が強くなる・・・・というような指摘は 確かにそうなのだと思いますが、でも、政治の話を期待していたので 「キムタクが・・・・」とか書かれてしまうと、その軽さが目立ってしまってます。 途中、パパ小泉のぶら下がり取材における若手記者との会話の応酬の妙技について 解説がなされていましたが、これは納得! 父親と息子・娘のような年齢差がある首相と若手記者のやり取りなので、 です・ます調の言葉遣いと、フランクな語り掛けとを上手くミックスさせて 絶妙な距離感を演出していたというのは、当時を思い出して、なるほどなぁと思いました。 最近、小泉ジュニアが大臣になったので、記者に囲まれて取材を受けている様子をテレビの報道で見て、 そのしゃべり方に結構違和感を覚えていたのですが、その理由が分かりました。 進次郎氏って、囲み取材の席で、結構ため口でしゃべりますよね。 最初は、父親のコピーだと思ってたのですが、パパ小泉では感じなかった不快感を覚えてしまうんですよね。 その理由が、本作の分析に従うと、そんなに年齢が違わない若手記者に対して 上から目線でため口でしゃべっているような印象を与えてしまうのかなと。 パパ小泉と若手記者なら父子の年齢差なので、ウィットに富んだやりとりなら 微笑ましくさえ見えてしまうのに、兄弟程度の年齢差しかないと 長兄が弟妹たちに対して、権威の笠を着て上から目線で説教を垂れているように見えてしまうのかなと。 まぁ、しゃべっている内容の中身の無さも大きな原因だとは思いますが(苦笑)。 本作では、変に、創作の会社内での上司・部下の会話とかで解説せずに、 全編通して政治家による生の言葉を使った解説をしたら 著者らしい興味深い本になっただろうに・・・・と思えてしまい、残念でした。 ![]()
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