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『人麻呂の暗号』
- 2019/11/18(Mon) -
藤村由加 『人麻呂の暗号』(新潮社)、通読。

近所のおっちゃんがくれた本。
全くこの本について知らなかったので、「柿本人麻呂の伝承に迫った本なのかな?」と思い
読み始めてみたら、「万葉集は朝鮮語で読むと本当の意味が分かる!」というような話が始まり、
「え?そういう本なの???」と、ちょっと読んだところで慌てて検索をかけたら、
どうも「と学会」がトンデモ本認定をしているようで、しかもベストセラーになってるということで、
万葉集の真相とかよりも、一体何がトンデモ本なのか読んでみようとシフトチェンジ(苦笑)。

日本語というのは、昔の文化の流入ルートを考えれば中国語や朝鮮語に大きな影響を受けているでしょうし、
朝鮮語もまた、中国語に大きな影響を受けているでしょうから、
日本語の中に、朝鮮語に類する要素が多分に含まれているのは、そりゃ当然でしょう。

ただ、本作で推理されている万葉集と朝鮮語の関係性については、
「あ、この言葉似てるね~」という思い付きから他も眺めてみたら
「あ、これも似てるよ~」、「こんなのもあるよ~」といくつか事例を見つけて、
そこからいきなり「万葉集は朝鮮語で読める!」という結論に急に飛んで行ってしまうので、
「おいおい、全然、科学的な検証の手続きを踏んでないじゃないか」とツッコんででしまいました。

本作の中で登場してくる「アガサ」こと中野矢尾先生と呼ばれる人物が
何の先生なのかはよく分からなかったのですが、
先生と呼ばれる立場なのであれば、もう少し、帰納法的な検証手順を指導してあげた方が
良いのではないかと思いました。

論を進める手続きの部分が、素人の思い付きで動いているように感じられ、
私には、この本が主張する内容に学術的価値を見出すことができませんでした。
手続きをきちんと踏んだ論文になっていれば、もっと身を入れて読めたかもしれません。

一方で、本作の中で著者たちが指摘している「聖徳太子が一度に10人の話を聞き分けたというのは
10人が同時にしゃべっている状況ではなく、10か国語を操れたという意味だ」という指摘は、
なるほど面白いなぁと思いました。
当時の東アジアの文化交流の多様性や高密度を想起させる指摘であり、
ここは興味深いなと思いました。
だからこそ、言葉遊びに終始するのではなく、
この文化交流の社会性をもっと深掘りしてほしかったです。





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