『知ろうとすること。』
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- 2019/10/16(Wed) -
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早野龍五、糸井重里 『知ろうとすること。』(新潮文庫)、読了。
3.11の福島第一原発の事故後について、学者と糸井さんとの対談。 学者さんのお名前を全く存じ上げなかったので、一体どっち側のスタンスの人だろうかと やや不安に思いつつも、糸井さんの自然科学への興味の持ち方からすると 「放射能はすべからく危険だ!」というような極端なことを主張するような学者は選ばないだろうと思い 糸井さんへの信頼感で買ってみました。 で、その判断は正解でした。 私は恥ずかしながらお名前を知りませんでしたが、早野氏という方は、 3.11直後から原発事故に関してTwitterで情報発信をし続けた原子力が専門の物理学者だそうですね。 本作でも、そのTwitterの文章をそのまま紹介していますが、 科学者らしい事実と知りえた情報のみを記した冷静な内容で、 不安に怯える人々を扇動するような言説は含まれていないので 糸井さんが信頼してフォローしていたというのもうなずけます。 過去の様々な被ばくの事例から蓄積された人体被害のデータをもとに、 福島で取られたデータを比較し、そのインパクトがどの程度のものか、数字で評価していきます。 そして、福島での実績は、過去に人体に影響が出た実績に数字として及ばないので 人体への直接的な影響はないだろうという推測する態度です。 これはこれで一つの考え方として筋が通っているので、私は分かりやすいと思いました。 しかし、反原発の人や、原発事故は人体に大きな被害が出ると思っている人には、 このアプローチは有効性が低いようにも思いました。 私は、著者の考え方はアリだと思いますし、政策判断においては大事な論点だと思います。 そして、単に情報がなかったり、どう考えればよいか分からず不安に陥っている人に対しては、 この説得は一定の有効性を持つと思います。 順を追って冷静に考えれば、納得する人も一定数いるように思えます。 一方で、信念をもって原発に反対していたり、原発事故を批判していたりする人には、 こういうデータで迫っても、あんまり効果がないように思います。 「過去のデータと比較するとこう想定できる」というモノ言いには 「データの寄せ集めは理論じゃない!過去のデータにはない結果が生じる可能性はゼロじゃない!」 みたいなことを言われたら、どうしようもない気がします。 「いやいや、今どうするか判断しようと思ったら、過去のデータで推測するしかないんだよ」 という政治的な判断と、「とことん安全確保!」という声は、折り合えるポイントが無いように思います。 まあ、どちらかの勢力が極端に小さくなっていけば、折り合う必要はなくなるのかもしれませんが。 早野氏の主張している内容については、個々の内容に納得できるか否かは各人の判断ですが 「リスクを適切に怖がる」という姿勢は、この議論から学べる人が増えるといいなと思いました。 と、ここで投稿記事を終わりにしようと思ったのですが、 一般的に早野先生ってどういう評価をされているのか調べておこうと思って検索したら、 なんと論文で放射線量のデータを1/3に誤って見積もっていた(捏造してたという表現の記事もありました) という記事が結構出てきて、どうやら本作の発売後に発覚したようです。 本人は計算ミスと言っているようですが、こういうことをやってしまうと 不安に思っていた層で信じ始めてた人が一気に離れちゃうので、致命的ですよね。 論文って、誤りがないかチェックして提出するものだと思うのですが、 そんな大事なところを誤っていたとなると、不安を覚えますね。 データに頼って理論構築している人が、データに誤りがあるとは、残念です。 ![]() |
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