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『無名』
- 2018/11/19(Mon) -
沢木耕太郎 『無名』(幻冬舎文庫)、読了。

「読みたい本リスト」の中にあり、ブックオフで見つけたので買ってきました。

どんな本んだから読みたいと思ったのか全く記憶が買ったのですが、
著者の父の晩年、脳出血で入院してから亡くなるまでの期間、
看病をしながら感じ考えたことをまとめた本です。

面白いという簡単な言葉では言い表せない読後感が、
じーんと胸に響きました。

私自身、ガン末期の叔母の看病で病院に数日泊まり込んだ経験がありますが、
患者さんは苦しくて大変そうなのに、看病している自分は大してすることがなく、
言われた雑用をこなしたり、話し相手をしたり、薬で意識がもうろうとなった時の
幻覚なんかの症状に対応したり。あとは横に居てじっとしているだけ。

でも、精神的にはすごく疲れます。
病状の急変とか、何かあったらどうしようという不安が常にあるのと、
あと何時間この人と一緒に過ごせるのだろうかという切迫感と。
夜になると薬の影響で変なことを言ったり、起き上がろうとしたりするので、
対応するこちらも睡眠がウツラウツラで、何もしていないのにしんどかったです。

そんな日々を著者は急な入院の付き添いという立場で経験し、
父の寝顔を見ながら、昼間の父の言葉を思い出しながら、父との思い出を呼び起こします。
また、父がこっそり作っていた俳句を眺めながら、
「句集を作りたい」と密やかな計画を練ります。

父親が入院した時点では、退院して早く普通の生活に戻したいという思いが
著者をはじめ、家族全員が持っていたので、それほど悲壮感なく入院生活が過ぎていきます。
しかし、一度決まっていた退院の日程が延期になり、そのまま退院予定日さえ
設定されないような状況が続き、なんとなく「死」というものが迫ってきているのを感じることに。

このあたりから、もっと作品は重く苦しいものになっていくのかと懸念しましたが、
著者の描写が句集の話を軸に進んでいくようになったことや、
上手く挿入される子供の頃の父との記憶の健気な感じに隠されて
それほど悲壮感を感じませんでした。
そのあたりが著者の上手さであり、反面、父親に対して他人行儀な言葉遣いをする息子としての
ある種の冷たさみたいなものも感じてしまいました。

いずれにしても、本作の後半も、そこまで悲壮感漂う展開にならなかったのは、
家族1人1人の芯の強さかなと思います。
父の病状の変化に精神的に参ってしまう家族が出てきていたら、
句集のことなんか考えている暇、なくなっちゃいますものね。

ちょっとだけ気になったのは、家族の誰もが、父の病状や病気について
あまり科学的な面から考察しようとした形跡がないこと。
著者に至っては、点滴の調整弁を勝手に動かしてしまい、父の腕を腫れさせて
慌てて医師に電話をしてたりして、「何やってんだ!(怒)」と思ってしまったことも。
もうちょっと病気や医療について科学的に向き合ってもよいのでは?と思ってしまいました。

終盤は、お葬式のシーンになりますが、
ここはもう、叔母の姿が瞼にちらつき、読み進めては意識が叔母の通夜の夜に向かうということを
繰り返してしまいました。
たぶん、私は、入院や通夜、葬儀というと、これから先もずっと、
叔母のことを思い出し続けるんだろうなという諦めとも絆とも判断のつかない感情を抱いてしまいました。




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