『読みの整理学』
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- 2018/04/25(Wed) -
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外山滋比古 『読みの整理学』(ちくま文庫)、読了。
「読み」という単語を、「物事の成り行きを見通す力」という意味で捉えていたのですが、 読んでみたら、まさに「読むこと」についての本でした。 今の国語教育は、読んでわかること=既知のことを読ませているだけであり、 昔の国語教育にあった、一度読んだだけでは分からないこと=未知のことに ぶつからせる教育をもう一度見直すべきだ・・・・というような趣旨の本。 「一度読んだら意味が取れることは、新しい物事との出会いではない」という指摘は、 「読書は新しいことを教えてくれたり経験させてくれたりするから面白いんだ」と思っていた私にとって なかなかに衝撃的な言葉でした。 確かに、すぐに内容が頭で描ける本というのは、 自分の知っていること、分かっていることで、何か一つの情景なり論理を組み立てているだけで、 何か自分にとって新しい事物を解釈しなければいけないわけではないですね。 ついつい、すらすらと読める自分に合った文章に出会うと嬉しくなってしまい、 その作家さんの本をどんどん買ってしまがちですが、 それでは、自分に無いものとの出会いは少なくなっていくかもしれませんね。 読み易いものについ流れがちな普段の読書をちょっと反省。 でも、勉強だけが読書じゃないですからね! エンタメも大事な本の時間です。 著者の主張でちょっと引っかかったのが、 未知の読書体験として、漢文の素読を薦めていること。 国語の時間に漢文とかやりましたけど、 未知の世界に繋がるような経験をした覚えがないです・・・・・。 読み方、学び方が悪いということなのかもしれませんが。 むしろ、大学生の頃に背伸びして読んだ マルクスとか、ミルズとかの古典と呼ばれる社会科学の本が、 ほとんどチンプンカンプンでしたが、それでも何か分かるところはないかと 苦労して読み探した思い出の方が、 著者の言う未知を読む体験に近いのかなと思いました。 社会科学系の本であれば興味はあるので、 買ってはあるのですが、読む気力がなくて積読になっているものばかり・・・・・。 まずは、そこからですね。
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