『家族という病』
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- 2016/01/10(Sun) -
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下重暁子 『家族という病』(幻冬舎新書)、読了。
徳ちゃんのラジオで紹介されていて気になったので読んでみました。 本当に家族を大事にしていることが伝わってくる徳ちゃんは、 あえて本作を選び、自分とは違う家族像を持つ人がいることを知ろうと努力したようでしたが、 この本を読んで得るところがあったのかどうか、私には疑問でした。 正直、著者の考え方がどうこうと判断する前に、 著者が本作で何を誰に向かって主張したいのか、本で言っている内容が理解できませんでした。 先に徳ちゃんの読後感想を聞いていたので、 著者自身の家族への思いが面々と綴られているのかと思っていたのですが、 最初の頃は、「日本社会は・・・・」「日本の家族の理想像は・・・・・」というような話から始まり、 著者が今の日本で語られる、または理想とされている家族像に不満があるのは分かったのですが、 その不満の語られ方が、著者個人の憤懣が語られるだけで、なぜ変えなくてはいけないのかが 社会という目線で語られないので、その主張に良いも悪いも評価ができません。 中盤からは著者の家族の話も増えてきますが、 具体性に欠けるというか、断片的な述べ方しかしないので、 著者の家族の全体像が見えてこず、何がそんなに不満なのか分からないまま 憤懣だけを書き散らかされている印象になります。 家族が大事、家族は素敵、家族を愛するという価値観を 全ての人に押し付けるのが良くないことは理解しますし、 残念ながら、家族と上手く行っていない人や、家族という枠組みで縛られて苦労している人が 居ることは十分承知しています。 私自身、家族のことは大好きですし、信頼してますし、安心もできる存在ですが、 100%全面的に受け入れられるかというと、やはり考えが合わなかったり、 もしくは家族との関係を壊さないように自分が我慢することも当然あります。 でも、それって、普通の人間関係として見れば、当たり前のことだと思うんですよね。 逆に、著者が、家族というものを批判的な目で見ようとするがために、 家族という枠組みに囚われている、縛られているのではないかと思ってしまいました。 最後に著者が綴った家族への手紙の数々・・・・・・ うーん、なんだか露悪的に自己陶酔の人なのではないかと思えてしまいます。
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