『アメリカ合州国』
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- 2006/02/04(Sat) -
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本多勝一 『アメリカ合州国』(朝日新聞社)、読了。
主は、アメリカにおける黒人社会の話、残り1/4がアメリカ先住民の話。 ただただジョーシキとして「黒人差別はいけないこと」と考えているだけでは、 この作品での描写には戸惑ってしまいます。ここまで壮絶なのかと。 有吉玉青が『ニューヨーク空間』で描いていた、 白人と黒人による「ニガー問題」の議論の場に居合わせた彼女が感じた 「戸惑い」や「躊躇い」を、本多氏のこの作品で私も感じました。 (現場に居合わせた有吉嬢が受けた衝撃とは比較できないとは思いますが) 2年前、仕事の関係でアトランタに数日滞在しましたが、 「深南部」と呼ばれる地域を訪問したのは、初めてのことでした。 黒人地域と白人地域が分かれており、初めて訪れた立場でも、 全く違う空気が流れていることが肌で感じられました。 米国における黒人社会というものを実感をもって認識させられたのですが、 しかし、それ以上に衝撃だったのは、自分の中に黒人差別の意識があることが 当地で明確に感じられたことでした。 土曜日の午後に街中を散歩していた際、大きな公園の傍を通ったのですが、 公園内にたくさんの黒人が居ました。何をするということもなく。 本多氏の表現を借りれば「なんとなくたむろしている」のです。 この雰囲気に、私は真っ先に恐怖を感じてしまいました。 大勢の黒人がそこに居るということに、漠然とした恐怖を感じたのです。 彼らが私たち日本人の集団に特に目を向けることさえなかったのに。 「アンダーグラウンド」という名の黒人文化のショッピング街に行ったときも、 そこに居続けることができず、30分ほどで逃げるように出てきました。 鉄道の駅の跡地をショッピング街に転用しているため、 薄暗く清潔さもあまり無いという環境だったこともあるのですが、 白人観光客が臆することなくショッピングを楽しんでいる様子を見て、 自分には、現代の白人以上に黒人に対する偏見があるのかと悩みました。 数日間、黒人社会を見てきて、「たむろする」「公園で何もせずゆったりする」 「路上で仲間達と過ごす」というのが、 黒人文化での時間のすごし方の一形態なのだろうかと思うようになりました (生活レベルと余暇にかけるお金の関係性の問題もあるでしょうが)。 そこに恐怖を感じてしまうのは、ただ私が黒人社会に触れた経験が無いことから 生じる無知による恐怖なのだろうと。 その恐怖が、ニュースや映画や様々なメディアからの正誤混成の情報により 私の中でどんどん膨れていってしまったのだと思います。 それが当たっているのかは判りませんが、 自分の中の差別意識に目を向ける良い機会になりました。 本多氏については、ルポルタージュの優れた書き手だと再認識しました。 短い文章を重ねて、現場を活き活きと再現します。 この方の政治的な活動については、 私には判断できるだけの材料も知識も見識も無いので、何とも言えませんが。 昨日、一昨日と、宮部みゆきだの東野圭吾だのと書いてきて、 今日この作品?と思われるかもしれませんが、 その前から読み始めてたので。
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