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『地雷を踏んだらサヨウナラ』
- 2024/03/31(Sun) -
一ノ瀬泰造 『地雷を踏んだらサヨウナラ』(講談社文庫)、読了。

ブックオフの棚で本作を目にして、そう言えば、こういうタイトルの映画があったなぁ・・・・と思い
買ってみました。

ちょっと前までは、私自身、「ジャーナリスト精神」「報道する意義」みたいなものを前面に出して
戦地に赴きセンセーショナルな写真や映像を撮ることを生業としている人たちに対して
批判的な感情を持ってました。

ベトナム戦争などの、私が生まれる前に日本の周辺で起きた戦争や内戦を舞台に、
「正義」や「報道」を盾にして、自分自身の「見たい」「撮りたい」という欲望を満たしている
人たちなんじゃないかと感情的に反発心を覚えてました。
たぶん、学生運動などに熱を上げていた世代の人たちが、
こういうフリージャーナリストを持ち上げるような姿勢でいることに対して
嫌悪感を覚えていたのかもしれません。

そして、安田順平氏の事件もあり、大学の先輩が世間から大バッシングを受けているのを見て
余計にそういう感情が増幅されていった気がします。

しかし、最近になって、「私たちが脳内に持っている情報の95%は、マスメディアを経由して
間接的に得たもので成り立っている」という言葉を読んで、嫌悪感がかなり少なくなりました。

例えば江戸時代は、瓦版や噂話を除いて、その人の脳内のほとんどは、自分自身で見たり
体験したりした一次情報で成り立っていたと思います。
しかし、現代においては、95%どころか99%が自分では直接見たり体験したりしていない
間接情報でしか理解していない世界で脳内は構成されている、もしかすると自分が認識している
世界の99%は必ずしも事実ではないかもしれない・・・・と思うようになりました。

別に、陰謀論とかにはまっているのではなく(苦笑)、情報を鵜呑みにしてはいけない、
自分の頭で整合性があるかきちんと考えてから受容しなさい、ということ。
大学生の頃に、授業で散々言われてきた「社会と向き合う姿勢」ではあるのですが、
40代になってようやく実感できたというか、腑に落ちたというか、そういう感覚です。

そして、この99%の情報を与えてくれるのは、大半がマスメディアやネット情報であり、
一部だけが書籍という歴史あるメディアということを考えると、
メディアの言うことを疑え!という姿勢も大事ですが、疑うも何も、そもそもメディアやネットが
伝えてくれないことには知ることすらできないわけで、特に戦地という極限の世界においては
大手メディアは危険を冒して社員を派遣することはしないでしょうから、
著者のようなフリージャーナリストが戦地に行こうとしない限り、私たちは知ることができないんだという
ある種、当たり前のことを、最近は実感するようになりました。

ウクライナの悲惨さも、ガザの現状も、それを取材し伝える人がいるからこそ日本に住む私が
知ることが出来るわけで、例えばアフリカで起きている内戦とか、もっと近いところでは
ウイグルで起きている中国支配の状況とか、よく分からないことも世界にたくさんあります。
それらが十分に伝えられていない理由は、「それが日本にとって影響度合いが小さいから」という
理由以上に、「それらを伝える素材としての映像や写真がないから」、さらに言ってしまうと
「それらを伝える素材としての映像や写真のメディアにおける相場が安いからジャーナリストも狙わない」
みたいなところがあるのではないかと思ってます。

映像や写真がなければ、報道されることがない、そもそも無かったことになってまうというのは
怖い状況だと思います。今はネット世界で個人でもどんどん情報発信できる時代とは言え、
反対にフェイクニュースの氾濫という状況も生んでしまっており、ますます情報リテラシが
一人一人に必要になっているような状況です。

戦場で仕事をしている日本人ジャーナリストの中では、宮嶋茂樹氏は昔から好感をもって
眺めてましたが、理由は、「俺は金になる写真を撮る!」「金になるなら戦地の写真も
芸能人スキャンダルも同じように真剣に撮る!」という割り切り方が、とても潔いと感じるからです。

宮嶋氏も、「世界の今を記録したい、伝えたい、知って欲しい」という熱い思いがあると思うのですが、
そういう青臭いことを言うのを恥ずかしがって、全て金と欲に置き換えてしまうところが
新人類世代っぽくて好きです(爆)。
団塊の世代の青臭さとの対比が際立ちます。

というわけで、本作も、文章を読むと、やっぱり青臭さというか、ジャーナリスト精神に燃えている
ところが鼻につくような感覚も覚えますが、でもやっぱり、カンボジアやベトナムの状況を
日本に伝える一翼を担ったという点では、やっぱり大きな功績だと思います。

写真もたくさん収められていて、特に兵士たちとの距離感が近いところが
著者の特徴なんだろうなと思いました。
お母さんも手紙の中で述べてますが、兵士ではない、市井のカンボジア人たちの
笑顔のショットが素敵です。




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『デフ・ヴォイス』
- 2024/03/30(Sat) -
丸山正樹 『デフ・ヴォイス』(文春文庫)、読了。

著者名も作品名も全く知らなかったのですが、
ブックオフで推されていたので試しに買ってみました。

タイトル通り、聴力障害をテーマにした作品です。
主人公は、家族全員が聾者の家に生まれた健聴者。
必然的に手話での意思疎通ができるようになり、また健聴者との音声会話も当然できるという
話語と手話のバイリンガルです。

以前は警察署で事務員として勤めていたものの、不祥事の告発をしたために居られなくなり退職。
生活の糧を得るために、地元行政の手話通訳士の仕事に登録すると
様々な仕事を依頼されるようになり・・・・・・。

私自身は、以前勤めていた会社に障害者雇用で働いている人が何人かいて、
その中に聾者の方がいました。総務部で働かれていて、備品のメンテナンスや郵便物管理など
こまごまとした仕事を丁寧にされている印象でした。
複雑なやりとりが必要な場合はメールで連絡することで意思疎通でき、
普段は、お互い笑顔で向き合い、手を振ったり、おじぎしたりすれば仕事は問題なくできました。
人柄も穏やかな人だったので、こういうやりとりでスムーズに話が済み、
かえって手話を学んで複雑な意思疎通をしてみようとか、そういう気持ちにはなりませんでした。

で、本作を読んで見て、具体的に話が動き出す前の、聾者とはどういう存在なのかということを
解説している冒頭の部分で、新たに知ることが多かったです。
そもそも手話は、私たちが目にするNHKの手話ニュースなどは日本語対応手話という
日本語の文章をそのまま手話に置き換えたものだそうで、もとは健聴者として日本語能力を取得し
その後、聾者になった人には使いやすいものだそう。
一方で、日本手話という、昔から聾者の中で使われている、日本語の言語体系とは直結しない
もっと身体的感覚的本質から生まれている手話があり、これは先天的に聾である人が
使っていることが多いとのこと。

そういう手話の仕組みを知り、先天的な聾者は、そもそも日本語の学習が目で文章を読む術しか
ないため、乳幼児が日本語をまず耳から習得していくプロセスを踏めないところで
全く異なる言語習得体験になるんだなと、今更ながら理解しました。

さらに、かつては刑法40条で「いん唖者、行為ハ之ヲ罰セス又ハ其刑ヲ軽減ス」とされていたことも
本作で初めて知りました。聾者の責任能力や判断能力を一律に低くみなすのは差別だとして
今では削除され、聾者も同様に刑を受けることになったようですが、
実際の量刑判断では、どのように考慮されているんでしょうかね?
本作に出てきた裁判での被告人のように、知能は問題ないけれども、それまでに受けることができた
教育が不十分で、抽象的な概念が理解できないような場合は、裁判中に行き当たった個別具体的な
意思疎通の問題だけでなく、日常生活、ひいてはその人の人生において、
健常者であれば一般常識として捉えられている事象も、実は聾者とは共有できていないことが
あるかもしれない・・・・・ということは考慮されているのかな?と思ってしまいました。

世の中の教育システムが、基本的には、視覚聴覚触覚などが健常な人を前提に組み立てられているため
知的能力には全く問題が無くても、健常者と同じ教育を同じ方式で受けるだけでは
インプットできること量や質に差が生じてしまうというのは、難し問題だなと。
現在は、障害者と健常者が同じ学校、同じ教室で学ぶことを推奨する流れもありますが、
実際には、どういう体制を取るのがベストなんだろうか・・・・と考えてしまいました。
障害者の方にも障害の内容やレベルは人それぞれでしょうし、健常者とされる人の中でも
覚えるのに時間がかかる人もいれば、集中力が続かない人もいたりして、もちろん千差万別です。

一つの教室に30人とか40人とか入れて、全員一斉に同じ教育を受けさせることには、
どこかに限界があるのかもしれませんね。
コロナ禍のおかげでオンライン授業やタブレット授業などのインフラ整備が進んだことですし、
これからは、学校でも、各生徒の「個」に応じたカスタマイズされた教育というものが
進んでいくのかもしれませんね。

主人公が、聾者の両親のもとに生まれた健聴者=コーダとして描かれ、
子供の時から聾者である両親と周辺にいる健聴者の間の通訳を行ってきたことで、
両親も、周辺の人も、無意識のうちにコーダである子供に通訳を強要し続けるという
コーダ独自の悩みも見えてきて、だからといって通訳係を拒否できないという
家族ならではの縛りは、重苦しいものだなぁ・・・・と感じてしまいました。

ということで、聾者、特にその教育における問題認識が深まる読書となり、
いろいろ勉強させてもらえました。

一応、2つの殺人事件が20年近く離れて起き、その犯人探しというサスペンス小説ではありますが、
そちらの方は、ちょっと人間関係が狭すぎないか?と思うところがありましたが、
しかし、聾者コミュニティというものの繋がりの深さを思えば、この人間関係の濃さは
そんなに驚くことでもないのでしょうかね。




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『愛の危険地帯』
- 2024/03/29(Fri) -
山村美紗 『愛の危険地帯』(光文社文庫)、読了。

実家のお客様からいただいたと思われる山村美紗本で
とりあえず自分の部屋に持ってきたものは、これで最後です。
なんだかんだ言いながら、とりあえず全部読んでしまいました(苦笑)。

本作が最後に残ってたのは、裏表紙のあらすじで「恋愛・官能ミステリー」と紹介されていたので
濡れ場がウリの作品かな?と思い、手が伸びなかったからです。

その予想通り、いきなりそういうシーンから始まります。
真面目な旦那を持つ主人公の奈津子は、スナックで同席した男性グループと意気投合し、
そのうちの一人と不倫関係に陥りますが、その関係に飽きてくると、グループ内の別の男性からの
誘いにも応じて別荘に行き、そのままベッドシーンへ。
さらに、3人目の男にまで色目を使う始末で、なんというヤツなんだ・・・・と全然共感できず。

山村美紗作品って、基本、読者は女性かと思うのですが、
こんな主人公の物語を面白く読める人って多いんですかね?
別に、不倫関係に陥ること自体に目くじら立てるつもりはないですが、
「こんな関係になっていいのかしら?」と逡巡するような素振りを見せつつ、
同居する実母に平気で噓をついて、幼い子供を実母に押し付けて男と密会を重ねる主人公には、
ちょっと病的なものを感じてしまいました。

発行が1996年なので、バブル末期というか、バブルにしがみついていた時代は、
こんな世界観だったんですかね・・・・・。

もう、殺人事件の真相とか謎解きとか、どうでもよい感じで読み終わってしまいましたわ。
肝心の真相も、なんだかなぁ、主人公に都合よすぎない?って感じでした。




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『教養としての聖書』
- 2024/03/28(Thu) -
橋爪大三郎 『教養としての聖書』(光文社新書)、通読。

著者の別のキリスト教についての本は、キリスト教徒から内容に多数の誤りがあると批判を
受けているようですが、本作はどうなんでしょうね?
まぁ、著者が批判を受けて本の内容を書き直した、もしくは絶版にしたという話は聞かないので、
基本的に著者は自分の解釈が正しいと考え、他の本も同様に誤っている(もしくは独自の解釈をしている)
という可能性が高いんだろうなぁ・・・・・・と思いながら本作を読んでみました。

正直、私自身はキリスト教にはそんなに興味がなく(爆)、
どちらかというと、西洋人の物事の考え方を知るのにキリスト教というものを通して考えてみたいなと
思う口なので、むしろ著者のように独自の解釈をしている人の目を通した方が面白かったりするんですよね。
さすがに基本情報の事実誤認とかはマズいですけど。

で、本作ですが、キリスト教信者でない日本人であっても教養の一つとして
聖書の世界観は知っておいた方がいいですよ・・・・という目的の本です。
聖書の重要な個所を抜き出して説明してくれるのかな?と期待して買ってきたのですが、
確かに重要場面を抽出して説明してはいるのですが、大きな全体の物語の流れについては
それほど丁寧には書いていないので、正直、断片的なシーンごとの解釈にとどまっていて
根底に流れる聖書のストーリーみたいなものは掴みにくいです。

ただ一方で、著者は、聖書がもともと複数の本で構成されており、しかも後代の人が書き足したり
再編集したりしているものもあるため、そもそも一貫性はないんだということを述べており、
私のように、一貫したストーリーがあるという前提に読もうとする方が無理なのかもしれません。

そして、これまで何冊かキリスト教について書かれた本や聖書について書かれた本を読んだものの
全然腹落ちする感覚が得られず、未だに「キリスト教がなぜこんなに多くの人が信じるのか
よくわからない宗教だ」という感覚が拭えないのは、私が「一貫性」や「統合性」を求めてしまっているから
かもしれません。

たぶん、仏教も親和性の低い宗派の2つを取り上げて比較してみると、「全然一貫性がない」と
感じるのかとは思いますが、仏教が日本人の生活に深く関わっているため、
「仏教」という大括りな概念ではなく、「浄土宗」とか「真言宗」とか、もしくはもう少し大きく
「日本で一般的に信仰されている仏教の平均的概念」に沿って仏教を理解しようとするので
一貫性や統合性を感じられるのかと思います。

結局、自分自身が信仰していたり、もしくは自分が籍を置く社会に深く関わっている宗教でない限り
本質の理解というか、体全体で馴染める理解というものは、難しいのかなと思ってしまいました。

本作で一番印象に残ったのは、「キリスト教では信徒が神に質問したり提案したり議論したりしても構わない」
というところ。確かに、神と交渉している様子が聖書に描かれていることを読むと、
ちょっと自分が抱いていた一神教の神のイメージとはズレてきます。

宗教の話は、その経典や歴史だけでなく、信者の価値観や人生観みたいなものとセットで学んで、
さらに、学びの対象を宗教ではなくリアルな人間である信者の方に置いた方が
理解しやすいのかなと感じました。




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『無理難題が多すぎる』
- 2024/03/26(Tue) -
土屋賢二 『無理難題が多すぎる』(文春文庫)、読了。

謎の聖人・ツチヤ師なるキャラがしばしば登場してきます。

大学を退官して、神戸の街に移住し、悠々自適な生活を送られているようで
エッセイの内容も、公園でたっぷりある時間を潰しているようにしか見えないツチヤ師が
象徴しているのかなと。

自分に縁のない街に高齢になってから移住すると、
人間関係とか新たに構築する意欲が湧くのかな?とか思っちゃいますが、
ツチヤ師のエッセイからは良く分からず。

周囲に同じように暇そうなオジサン達が要るような雰囲気のエッセイですが、
まぁ、おちゃらけた内容なので、どこまで現実社会をパロディにしているのかつかめず。

エッセイの中では「老人ホーム」と表現していますが、
まぁ、いわゆる老人ホームではなくて、ケア付き住宅みたいなものかなと想像してます。
ご近所づきあいとかあるのかなぁ・・・・・・・と、まぁ、エッセイの本質とは関係のない部分が
変に気になっちゃいました。

私自身、いよいよ40代も後半に入ってきたので、老後の暮らし方というものが
気になってきちゃいました。




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『経営戦略の教科書』
- 2024/03/25(Mon) -
遠藤功 『経営戦略の教科書』(光文社新書)、読了。

しばらく読書記録の投稿が途絶えてしまいました。
おせいさんのエッセイを読んでいたのですが、
途中まで読んだところで行方不明になってしまいまして・・・・・。
二日ほど探していたのですが出てこないので、やむを得ず諦めて、こちらの本へスイッチ。

早稲田のビジネススクールで経営戦略の講義を担当しているとのことで、
王道の授業の、王道のテキストとという感じです。
内容は非常にオーソドックスでした。

企業の事例が、日本の有名企業で語られているので、分かりやすさもあります。

経営戦略について本を読んだり、研修を受けたりしたことがある人間にとっては、
どこかで読んだことがある話というか、基本的な話ばかりなので、
本作の中で著者自身が、この経営戦略の講義を受講した生徒から
「最もビジネススクールらしい講義だった」みたいな高評価を受けているというエピソードを
書いているのを読んで、「うーん、こんな初歩の話でそんなに感動するものなのかな?」と
やや疑問に思ってしまいました。

まあ、テキストは基本的な内容であっても、著者の講義、話の方が非常に魅力的だという
ことなのかもしれませんが。

一通り、基本的な内容を復習するには良い本だと思います。




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『2005年のロケットボーイズ』
- 2024/03/19(Tue) -
五十嵐貴久 『2005年のロケットボーイズ』(双葉文庫)、読了。

受験期に交通事故に巻き込まれ、図らずも私立の工業高校に進学することになった主人公。
理系は苦手、行きたくもない学校ということで、高校生活に身が入らず、
仲間と飲酒して泥酔したところを見つかり、謹慎処分に。
罰として、「キューブサット設計コンテスト」に出場し、学校の名前を売ってこいとの命令が。

キューブサットって何?この小説の創作物?とか思っちゃいましたが、
読み進めるとかなり具体的に描かれているので、現実にあるものなんだろうな、と
推測をしながらの読書となるほど、天文分野はオンチな私。

気象学や地学のような地球の中で起きる事象には興味津々なのですが、
地球の外に出ちゃうと、遠すぎて一気に興味を失ってしまいます。
たぶん、自分の目でみて確かめられないのが、ダメなんでしょうね。
同じ理由で化学も苦手。

本題に話を戻しますと、そんな門外漢の世界が広がる本作ですが、
主人公が文系人間で、キューブサット挑戦を押し付けられた立場のため、
素人目線で解説してくれて、このおかげで読みやすくなっています。

そして、主人公が集めたキューブサット挑戦チームの面々は、
パチスロ仲間のゴタンダやドラゴンはともかく、
自信過剰な秀才や、ひきこもりの天才、ダブってる不良、秋葉原電気街の専門店の娘など
どれだけ個性豊かなんだという面々です。
まあ、この手の青春チャレンジものとしては王道の設定ですね。

解説では、本作のテーマは、「最初は成り行きだったけど、やって良かったよ、これ」にあると
されていますが、私はそれ以上に、「誰もがみんな自分の役割がある」というメッセージが
主題だと感じました。

工業高校の中でオチコボレだったり不登校児だったりする面々で、
かつ性格にも問題があるところが多いのに、それぞれが自分の得意分野を活かしてチームに貢献し、
目標実現のために総力を結集し、自分たちなりの成果をあげる。
ゴタンダのように、お調子者で、計画性がなく、お金にルーズで、欲に負けてしまう、
みんなから「あいつは居ても居なくても変わらない」と思われ続けていた人物でさえ、
その軽薄さを活かしてチームの大ピンチを救ってみせます。

天才の引きこもりが、籠っていた自室から出てきて、その才能をフルに活かす・・・・・という展開は、
正直、簡単に思いつく良くある展開だと思いますが、
一見なんの取柄もなさそうな少年にスポットライトを当てて、ちゃんとその性格を活かして
チームを救うという展開は、良い小説だなぁと感じました。
一般読者は、引きこもりの天才よりも、軽薄な少年の方に親近感を覚えるでしょうから。

技術的に、この面々と町工場の設備で、実際にキューブサットが飛ばせるのかは判断つきませんが、
宇宙空間と地上で無線通信を行うことで宇宙とつながる静観は日本的宇宙開発のイメージだし、
夢を与える作品だなと思いました。




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『「正義の味方の嘘八百』
- 2024/03/17(Sun) -
谷沢永一 『「正義の味方」の嘘八百』(講談社)、読了。

個人経営の本屋さんでたまたま目に留まり、試しに買ってみました。

著者の作品を読んだのは、最後は5年も前で、あんまり著者のイメージも作品のイメージも
自分の中では固定していない状況でしたが、いきなり「朝日新聞の偏向報道」というような
内容の文章から始まり、「今の保守系言論人とあんまり変わらないのかも・・・(苦笑)」と
とりあえず向き合うスタンスは決められました。

それにしても、私が生まれた頃に書かれた本ですら
「偏向報道」と批判されている朝日新聞って・・・・・・(爆)。

欧米と比較して「日本に貴族はいなかった」という主張は、面白く読みました。
前に読んだ本も、著者の日本史の捉え方について勉強になるなと思いながら読みましたが、
その後、井沢史観を順番に読んできたおかげで、日本の歴史で「何が起きたのか」だけでなく
「なぜこのような変遷を辿ったのか」という理由の部分を理解することができたことで、
こういう本で平安時代の貴族の話がいきなり出てきても、
自分なりに理解、整理して読めるようになりました。
比較的、井沢史観と著者の日本史観が衝突しない感じだったことも、読みやすかったです。

『女工哀史』に関しても、教科書で学びましたが、基本的にその労働環境の悪さを論じるために
触れられる程度であり、「家計の所得が増えることで生まれた子の間引きが減り人口増に寄与した」
「若い女性でも賃金を稼げるようになった」といような社会経済的効果に言及している著者は、
なるほどなぁ、そういうプラス要素もないと、工場労働は広がらないだろうし、
日本経済が良くなることもないだろうしなぁ、と気づかされます。

ただ、自虐史観も良くないですが自己肯定感を上げることばかりに集中するのも認知が歪むので、
バランスよく歴史を学びたいものです。
そんな都合の良い著者はいないので、自分であれこれ読んでみて、自分の頭の中で
情報を統合してバランスを取った歴史観を持つしかないですよね。




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『神去なあなあ夜話』
- 2024/03/16(Sat) -
三浦しをん 『神去なあなあ夜話』(徳間文庫)、読了。

前作を読んだのはなんと8年前
私が好きな「お仕事小説」というジャンルであり、しかも舞台が地元の三重県。
(まぁ、林業やってるような山奥の方はさすがに土地鑑ないですが・・・・・)
前作は非常に楽しく読んだ記憶はありますが、一方で、ぼやっとしたイメージしか残ってなかったのも事実。

続編を100円で見つけて、ようやく読んでみましたが、最初に感じたのは、
「こんなにチャラい感じだったっけ?」というもの。
主人公の勇気が、繁ばあちゃんや林業の大先輩たちから聞いた神的な物語を中心に
備忘録代わりに自分のパソコンに文章を書き留めていく・・・・という構成なのですが、
勇気って、こんな作文に親しい人生を送ってきた人なのかな?との疑問が。

偏見かもしれませんが、長い文章を書く習慣がる人って、結構、限られてくるような気がするんですよね。
特に若い人は、ある程度お勉強ができるタイプか、もしくは文学少年少女、そしてネットの世界での
情報発信に親しんできた人、そのあたりじゃないかなあと。
ちょっと主人公のイメージと重なりませんでした。

物語自体は、短いエピソードを集めた感じになっていて、
神話の世界と日常生活が繋がっている文化人類学的な部分は興味深く読みました。
信仰心の篤いコミュニティは、雰囲気が安定しているし、仲間意識が強いので
悪い人が出てこないという点で、気持ちよく読めます。

そして、林業の仕事についても、今回は中心テーマからは少し後退した感じですが、
チームの指示命令系統、リーダーとベテランと若手の役割分担、
神話も含めた過去の事例に学ぼうとする謙虚さ、こういうあたりは、
普通のサラリーマンにとっても、自分の仕事の仕方を振り返る点で
有意義な学びが多いのではないかなと思いました。

あと、勇気の恋愛話がかなり前面に出てきたのですが、
まぁ長編としての話の軸が特にないので、恋愛の進捗というもので串を刺すしかないと考えれば
この構成はやむなしかな。恋愛要素が強くなると、やぱり前作からのパワーダウン感は否めません。

所々に三重県の主要都市の地名も出てきて、そこは楽しかったです。
四日市や津、松阪、伊勢は小説に出てきてもまだ不思議じゃないけど、久居とか(笑)。
神去村の最寄り駅が、JRの半端な集落が終点となっているという設定なので、
名松線の伊勢奥津駅のことで、神去村はそこから車で1時間・・・・・
やっぱり津市の山奥の方、もうすぐ奈良県みたいな場所あたりかな。




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『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
- 2024/03/15(Fri) -
山田ズーニー 『伝わる・揺さぶる!文章を書く』(PHP新書)、読了。

著者の本は、「どうやって文章を書いたら良いのか」というハウツー本ではなく、
文章を書く、人に伝えるという行為を通しての、ご自身の葛藤や苦悩についても
そのままストレートに体験を書いてくれるので、生身の人間の思いが伝わってくるようで
どの本も勉強になるし、共感できるし、読んだ後スッキリしたような感覚になれます。

本作でも、まずは、著者が考えている文章の書き方を示し、
また学生さんの作文の事例をベースに、より良い文章にするにはどうしたらよいかという
小手先の技術の話ではなく、本当に書きたかったことはそれなのか?という
作文の主題の見直しから入っていくところなど、技術論ではなく人間論みたいなところに
入っていく様子が興味深かったです。

自分自身、受験で小論文を書いたり、大学でレポートや卒論を書いたり、
社会に出てから各種の提案書を書いたりする中で、
「あ、これを書こう!これを伝えよう!」とテーマが自分の中から湧いて出てきたときは、
作文自体が非常にスムーズに・・・というか筆が乗る感じが味わえます。
しかし、嫌々出したレポートや、上司に「悪いけどこの資料すぐに作って」とか言われて
自分の意欲が湧き出る前に書き始めなければならなかった文章は、
本当にやっつけ仕事感がアリアリで、自分でもダメな文章だなぁと思いながら提出してしまいます。

文章というアウトプットに至る前に、自分の中で「何を書こうかなぁ」と考えている時間が
私自身は意外と楽しめる方なので、著者の葛藤を見ていると、
そこまで深刻にならなくても・・・・と思ってしまう面もありますが、
「せっかく文章を書いて人に読んでもらえる機会なんだから、何を主張しようかな~」という
前向きな気持ちで作文に向かえると、やらされ感は減るかなと思います。

勉強も、仕事も、気の持ちようでいくらでも楽しめると思っているクチなので、
山田ズーニーさんのようなストイックな方の文章を読んで、たまに気を引き締めないとダメですね。




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