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『日本人へ 国家と歴史篇』
- 2023/10/30(Mon) -
塩野七生 『日本人へ 国家と歴史篇』(文春新書)、読了。

著者の作品は、『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』を確か大学生ぐらいの時に
背伸びして読んだような気がするけど、イタリアという国に特に思い入れがない私としては、
あんまり印象に残らなかったような・・・・。

著者の有名な作品は長編が多くて、正直なところ、手が出ない、という感じです。
いずれ年を取って仕事をリタイアしたら読書三昧の日々を送りたいと思っているので、
その時のために取っておきたいけど、3巻以上ある有名作品は軒並み先送りにしてるので、
塩野ローマ作品にたどり着けるのはいつになることか・・・・・(苦笑)。

で、本作ですが、ブックオフで買っては来たものの、
どストレートなタイトルに、ちょっと重たそう・・・・・ということで、しばらく積読でした。

ようやく意を決して手に取ってみたら、うーん、普通のエッセイ集でした。
ちょっとタイトルがデカすぎないですか!?
どうやら月刊誌の『文藝春秋』に連載されたもののようで。
『文藝春秋』の中に納まっていれば他との相互作用で重みを感じたかもしれませんが、
この連載だけ取り出してギュッと一冊にまとめちゃうと、単なるエッセイという感想になっちゃいますね。

ただ、タイトルと中身のバランスが悪いなと思っただけで、
中身については面白かったです。

マキャベリズムに親しみを持っているような言及があったように、
著者は非常に現実的と言うか、社会に対して割り切った感覚をお持ちなようです。
日本の政治に対して、短期政権が続いたり、自民党がぐらぐらしていることを批判し、
かといって政権交代にも期待感を持っておらず、
安定した保守政権を望んでいるような印象です。

特に、次の選挙で民主党が政権を取りそうだ!というタイミングで、
「拝啓 小沢一郎様」として、衆議院で民主党が勝ってもすぐに政治が刷新され安定するわけでなく、
しかも小さな左翼政党を巻き込んで連立政権を樹立すると、声だけは大きい左翼陣営に
乗っ取られて政権がダメになるぞ!と、選挙前に喝破しているのは凄いなと思いました。
民主党は分裂し、看板替えを何度もして、今や、立憲共産党なんて揶揄されてますからね。

イタリアの政治状況や、アメリカのオバマ政権と人種問題に関する考察も興味深かったです。
比較文化論的視点は、やっぱり頭をすっきり整理したり、多角的な視点で考察するには
使いやすいですね。

著者のマキャベリズムに関する言及が特に気になったので、
今後は、そのテーマを扱っている著作を読んでみようかな。




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『自治体・住民の法律入門』
- 2023/10/29(Sun) -
兼子仁 『自治体・住民の法律入門』(岩波新書)、通読。

地方行政についてお勉強中なので、どストレートなタイトルの本作を読んでみました。

選挙の投票率が下がり、政治に興味を持たない人が増えたと言われていますが、
一方で、モノ言う住民も増えていて、様々な制度が拡充されているので、
それらを駆使して地元の自治体や首長に対してNOを突き付ける人が出てきています。

国民の政治に向き合う姿が二分しているというか、
政治や行政が、その執行者と意識高い系住民という一部の国民で動いている感じが
極端化しているのかなという気がします。

本作では、そういう地方自治と住民の間をつなぐ制度の解説と、
具体的にこんな事例がありましたよという説明が丁寧になされており、
良い本だと思うのですが、なにぶんテーマがお堅いので、
なかなか読み進められませんでした。ちょい流し読み(苦笑)。

こういう制度のお勉強は、根気が要りますね。




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『裁判長!おもいっきり悩んでもいいすか』
- 2023/10/26(Thu) -
北尾トロ、村木一郎 『裁判長!おもいっきり悩んでもいいすか』(文春文庫)、読了。

裁判員制度が始まるタイミングで、もし自分が裁判員に任命されたら
有罪無罪や量刑をどう判断するのか、という想定問答集。

Amazonレビューは意外と低かったのですが、どうやら、裁判傍聴レポートと同じテイストを
期待していた読者の方々が低評価をつけているようで、
まぁ、確かに、タイトルが傍聴レポートと同じような感じなので、誤解するかもね。
私は裁判員制度の解説本だと理解して買ってきたので、満足のいくものでした。

刑事事件を担当している村木一郎弁護士が例題となる裁判事例を出題し、
それに対して北尾トロ氏が自分一人で有罪/無罪の判断や、量刑を判断するというもの。
それに対して、村木弁護士の「今までの裁判官裁判だったらこんな感じの量刑に落ち着くだろう」
「もし裁判員裁判になったら、この事案だと量刑は上振れするかも/下振れするかも」という予想付。

私は最近、法律関係の勉強をし始めているので、そもそも刑罰に関する法律の考え方や、
従来の裁判官がどこに重きを置いて判断してきたのかという解説、
それも、本職の弁護士による解説と、裁判傍聴マニアというマニアによる解説の二つの視点で
考えることができ、面白かったです。

そして、刑事裁判を数多く見てきたであろう北尾トロ氏でさえ、
誰のどの点がどの程度悪いのか、だから量刑はどんだけなのか、という点について
非常に悩んでいるところに、やっぱり、量刑相場を知識として持ってはいても、
いざ判断するとなると悩むんだなと、改めて、裁判員の役割の難しさを認識しました。

この本では、北尾トロ氏が一人で考えているので、実際の裁判員裁判では、
裁判員間の議論だとか、裁判員と裁判官の間のやり取りだとかは考慮されておらず、
自分なりに悩みぬいた判断内容が、他の裁判員と大きくかけ離れてたりしたら、
そこから議論して自分の意見を強く主張するのか、それとも自分の意見を変えるのか、
そこもまた悩むことになるんだろうなと思いました。

村木弁護士は、自身は死刑制度反対論者だと述べており、法学界の重鎮による
「裁判員を導入する前提として、国民が国民を処刑する場に国民を置くべきではない」という
言葉を紹介していますが、まぁ、確かにそうかもなぁと思えてしまいます。

死刑というものの抑止力は一定あるかもしれませんが、果たして自分に死刑宣告ができるか不安。
裁判員制度のもとでは、終身刑に切り替えた方が、裁判官を経験した人の心の負担は
多少なりとも小さくなるような気がします。
職業としてその道に入った裁判官と、抽選で選ばれて急に「お前、やれ」と言われた一般人では
やっぱり心理的負担への抗力が違うように思うので。

私の周囲には、裁判員の役割を果たしたという人はいないのですが、
公言していないだけで、実は居たりするのでしょうかね。
どんな事件だったのかとかよりも、自分が判断するときどんな気持ちだったのか、
そちらの話を聞いてみたいと本作を通して思うようになりました。




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『逃げられない世代』
- 2023/10/23(Mon) -
宇佐美典也 『逃げられない世代』(新潮新書)、通読。

宇佐美さんの視点は、官僚経験から来る現実的な考察能力と、
官僚を辞めたという経験から来る行動する勇気みたいなものの双方を感じて、
Abemaとかでは好きな論者です。

そんな私と同世代の人が、「逃げられない『世代』」というタイトルで書く本なので、
ロスジェネ世代から見た、団塊世代などの昭和の負債を真正面から受け止めなくてはならない
困難な世代だから腹をくくれ!みたいな本かと思って買ってきたのですが、
世代論というよりは、日本という国の課題解決の仕組みを語った本であり、
サブタイトルの「日本型『先送り』システムの限界」という方が主題でした。

正直、ちょっと野次馬的な感覚と言うか、
同世代にいる一人として、宇佐美さんのような発言がメディアに取り上げられる立場の人が、
どれぐらいロスジェネ世代の苦しみを訴えてくれるだろうかという期待をしちゃってました。

特に、自分たちより上の世代に対して、「お前らのせいで俺らは苦しんでるんだ!」みたいな
突き上げを期待している自分が居ました。

でも、本作は冷静に、「なぜ今の日本社会がこんな停滞状況になってしまったのか」という
経緯を解説しており、世代論とは違ってました。

思い込みなく読んでいたら満足できたかもしれませんが、
タイトルに釣られて読んだ者としては、うーん・・・・・という感じでした。




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『極秘捜査』
- 2023/10/22(Sun) -
麻生幾 『極秘捜査』(新潮文庫)、読了。

オウム真理教による松本サリン事件から連なる対外的な刑事事件の数々に対し、
日本の警察機構や自衛隊がどのように向き合ってきたのか、
次の犯罪を抑止したこともあれば、オウムに出し抜かれたこともあり、
その攻防の逐一を、警察・自衛隊側から描いた渾身のルポルタージュです。

私自身、オウムの事件は、地下鉄サリン事件で、
あのヘリコプターから撮影された、路上に何十人もの人が倒れていて、
あちこちで、救急隊員や駅員さんが必死に介抱しているけれども全然数が間に合ってないという
あの映像に、「なんだか凄い事件が東京で起きたらしい」とビックリしました。
ただ、地方住まいの私と、東京の大事件は、なんだか「あちら側の出来事」みたいな
遠くでぼんやりしている感じもありました。

しかし、その直後の、上九一色村のサティアン群への強制捜査で、
防護服に身を包んだりガスマスクを付けたりしている捜査官が何十人も隊列を組んで行進していき、
その先頭に、黄色のカナリアが入った鳥かごを掲げているテレビ中継の映像に
一番衝撃を受けた瞬間でした。
「カルト教団の脅威というのは私の想像の枠外にあり、もしかすると警察の想像の枠外にさえいるのかも」
と思ってしまった瞬間に、恐怖心がぞわーっとこみ上げてきました。

高校1年生の時で、学校の教室で、授業が取りやめになって
急遽、担任の先生とクラスメイトのみんなで、カナリアと防護服の隊列のシーンをテレビ中継で見ました。
それまでは、世の中で起きていることは、テレビのニュースや新聞の記事で「事後的に」知ることが
当り前でしたが、リアルタイムに「なんだかとんでもないことが起きるかもしれない」という
不安心の中で画面を見つめる行為は、強烈な同時代性を感じるものでした。
たぶん、今までの自分の人生の中で、一番、「日本の今この瞬間」みたいなものを感じた時だったかも
しれません。

そんな強制捜査の裏側、そして、その後の教団幹部たちの逮捕劇に至るまでの内幕ですが、
まずは、よくここまで踏み込んで取材できたもんだなぁ・・・・・という著者への驚きでした。
本作のプロフィール欄はあまりに簡潔で、著者のバックグラウンドがわからなかったのですが、
ネットで検索してみたら、『週刊文集』の事件記者をやっていたとのことで、
昔から文春の取材力は凄かったんですねぇ・・・・・。

本作を通してまず思ったのは、最近の自衛隊の活動は、主に災害派遣を通して
日本国民からの信頼を勝ち取ってきている印象ですが、
そもそも地下鉄サリン事件を中心とするオウムのテロ行為への対応を
自衛隊という組織力できっちり成し遂げ、しかも法律を踏み越えて暴走することもなく、
自分たちが正当な理由付けのもとで活動できる範囲で、最大限の成果をあげ、
しかも警察機構にきっちり協力して貢献してきた、その実績たるや、
まさに、日本という国家を「自衛」するための組織として信頼十分だなと感じ入りました。

テロ対策の具体的な活動内容は、自衛隊として公表するわけにはいかないでしょうから、
正直、あんまりオウム事件の当時、自衛隊を称賛する声は強くなかったような気がします。
(自分が高校生で、お子ちゃまだったから気づかなかったのかもしれませんが)
それよりも、警察機構に対する「早くオウム幹部を全員逮捕しろ!」という強い願いの声や、
反対に「微罪逮捕はやりすぎじゃないか」というリベラル陣営の声などは記憶しています。

本作で、初めて、「見えない武器・サリン」や「想像が追い付かない狂信集団のテロ」という未知の危険への
自衛隊の対応能力、そして、組織統制力、さらには次のリスクを想定して先手先手で準備していく抑止力、
これらが高水準で自衛隊組織内に蓄積されているんだなと分かり、感動しました。

しかるべき立場の防衛官僚や自衛隊幹部が、適切なタイミングで、スピード感をもって決断し、
さらに、念には念を入れて、組織がバックアップして想定される全てのリスクに対処していこうという姿、
この一連の自衛隊の活動を知り、「今後、日本に万が一の有事が起きても、自衛隊なら日本という国を
真剣に守ってくれそうだな」と、今までも信頼してましたが、一層信頼感が増しました。

一方、警察機構の方は、警察庁と47都道府県の地方警察という上下構造や、
刑事部と公安部の縦割り、純粋に捜査成果を求めるのではなく政治的要素も強く意識していること、等、
「これだから警察は・・・・」と思えてしまう部分もありましたが、しかし、一人一人の警察官の努力や、
警察庁トップからの命令が、瞬時に末端の警察官に伝わり、行動が徹底される組織力は、
さすが日本の警察だなと感じました。次の事件を起こさないということに、警官一人一人が
必死の思いで取り組んでいることも良く分かりました。

ただ、個人的には、垣見隆警察庁刑事部長の幹部としての能力には、ちょいと疑問符が。
地下鉄サリン事件が起きる直前に、「もうオウムはサリンを持っていない」と決めつけたり、
国松長官狙撃事件後は、警察庁内でトイレに行くのにもSPをつけていて、
しかも自分自身でトイレのドアを開かずSPに開かせていた、というエピソードは、
この事件の時に、別の人が刑事部のトップに居たら、もっとオウムへの危機意識が高く、
速やかに上九一色村の強制捜査に乗り出して、もしかしたら地下鉄サリン事件は
起きなかったのかも・・・・・と思ってしまいました。
まぁ、トイレのエピソードとかを読むと、ノイローゼ状態に陥ってしまってたのかもしれませんが。

それ以外の警察幹部たちは、寝ずの努力で部下に指示を出し続け、
刑事部と公安部の協力体制を歴史上で初めて構築し、しかもそれを即座に見事に役割分担で運用し、
麻原正晃逮捕へと繋げていく終盤の展開は、手に汗握るサスペンスドラマでした。

ここまで取材した著者の力量を素直に凄いと感じる一方で、
ここまで赤裸々に警察機構や自衛隊が、どういう段取りでどう動いたのか、
組織をどう動かし、どこに法律の壁や、社会の障害があったのかということを書いてしまって
大丈夫なのかなという不安も覚えました。

だって、警察機構や自衛隊の現行体制での穴のようなところも見えてしまっているので、
そこを突いてこられたらオウム以上の事件が起こせてしまえるんじゃないかとも感じます。

しかし、オウムの信者を統率する能力、狂信化させる能力を凌駕するカルト集団なりテロ集団は、
もう現れないのかもな・・・・・とも感じました。
オウム以前から、有名大学の構内で、いろんなカルト組織や左翼組織が、
社会経験が足りない、しかし知識能力はずば抜けている優秀な学生をオルグして、
信者化してきたという長年の歴史があったうえでのオウムの開花だったのかもと思います。

オウム事件後に大学に入学した私たちは、「怪しいサークルに行ってはいけない」という
とても高い危機意識がありましたし、たぶん学校側もそうとう学内の集団の調査はしていたのでは
ないかと思います。
実際に、私の周りには、在学中も、卒業後も、いわゆるカルトに入信したという噂が立った知り合いは
ひとりも居ないので。むかし、ホリエモンがYoutube動画で、東大には怪しいサークルがいっぱいあって
自分も声をかけられた経験は何度もある」と言ってたので、そういう時代と、私の時代とは
全く断絶しているんだろうなと思います。

今は、旧統一教会への解散命令請求のニュースが連日にぎわってますが、
旧統一教会は、結局はカネの話に終始するので、オウムのような不気味さは正直あんまり感じません。
まあでも、一時期噂が立っていたような、「旧統一教会へのお布施は韓国本部経由で北朝鮮に渡り
ミサイル開発資金になっているんだ!」という話が多少でも信憑性のあることであれば、
再び、日本社会が自衛隊に頼ることにつながっていく事態になってしまうのかもしれませんね。




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『「普天間」交渉秘録』
- 2023/10/17(Tue) -
守屋武昌 『「普天間」交渉秘録』(新潮文庫)、読了。

ブックオフでたまたま目に留まり、
「お!防衛官僚まで本を出す世の中になってるのか・・・・・」とびっくり。

しかも、米軍普天間基地の移設に関する交渉記録とのことで、
今ようやく移転先の辺野古の工事が進み始めている状況で、
とんでもなく難交渉だったことが分かります。

一方で、著者の名前を聞くと真っ先に思い出すのは「内田洋行」という会社の収賄事件であり、
著者は実刑判決を受けているため、著者の防衛官僚としての功績が記憶に残ってないのと、
正直なところ、「著者の書くままに信じるのは危ないかも」という不信感もありました。

それ以外にも、小池女帝と揉めてた印象もあり、それだと「著者はまともな官僚だったのかな?」とも
逆に思えてくるので(苦笑)、本作を通して著者の評価が見えてくるかも・・・・と期待しての読書でした。

基本的な構成は、著者が在任した4年間の防衛次官の役職において、
毎日つけていた業務日記から書き起こして、どんな問題に対して、誰が、何日何時にどんな手段で
著者に対してメッセージを発信してきたかという記録で、主に普天間基地移設交渉を語っていきます。

内容を単純化して要約すると、「沖縄の県知事と普天間基地がある名護市の市長、そして行政職員は
決めたことを簡単に反故にするし、地元には二枚舌を使い、メディアには嘘をばらまく、
とんでもない奴らだ!」ということです(爆)。
それを、「何月何日何時に沖縄県知事が誰々大臣に文句を言ってきたと当の大臣から電話が来た」とか
「何処どこでの会議で名護市の助役が打ち合わせで不遜な態度で暴言放言をまき散らし収拾つかず」とか
そういう記録で書き起こしていきます。

正直、沖縄の首長や、行政幹部職員、大臣や自民党幹部、総理、沖縄選出議員らの
個人名をすべてオープンにして、「こんなことを言ってきた、とんでもないことと呆れた」みたいな調子で
綴っていくので、退官し、しかも汚職事件で逮捕実刑という立場だから怖いものなしなのか?と
興味深く読みました。しかし、退官後の事情から恨み節がたっぷり詰まっている可能性もあるし、
そもそも沖縄との交渉における沖縄陣営への不信感が溢れ出ているので、
どれだけ内容を信用してよいのか微妙かも・・・・・という思いもありました。

まぁ、ここまで事細かに書いているのだから、虚偽の事項を書くとは思えませんが、
都合の悪いところには触れなかったり、良いように端折ったりしている可能性はありますからね。
そして、難産の交渉になったものについて、交渉当事者の一方的な振り返りなので、
どうしても視点の偏りは生まれてしまうでしょうし。

そういう懸念点を抜きにしても、沖縄陣営のこの交渉の仕方は、残念だなぁと言わざるを得ません。
米軍基地の負担を重点的に担わされているという立場もありますし、
戦後の日本復帰が遅れたことで経済的な発展の立ち遅れもあるでしょうし、
いろいろ理屈をこねて、補償の獲得なり、地元建設土木会社への仕事の引き込みなり、
損してきた分を取り返さなければという思いがあるのは理解できますが、
しかし、やっぱり、交渉のやり方が上手くないよなぁと思ってしまいます。

とにかく米軍基地関係には反対!反対!反対!で行くんだ!!!という方針なら、
この決定事項反故、二枚舌、偽情報の散布などは、効果的だと思います。
しかし、沖縄県の本当の経済発展、生活水準の向上、基地負担の緩和、安全の確保という
実質的な利益を得ようとするなら、このやり方は下手だよなぁ・・・・と思えてしまいます。
政府側にも弱みはあるんだから、そこをうまく突いて、実利と安全を引き出す具体的な交渉に
頭を使った方が良いのではないかと思います。

首長たちがこういう姿勢だと、政府だけでなく、民間大手企業も沖縄への不信感を覚えてしまうでしょうし、
もし「沖縄人というのは約束事を守れない人たちだ、交渉協議が成り立たない人たちだ」
という評価になってしまうのは、沖縄県全体の不利益になってしまうように思います。
今の日本人が、中国政府や韓国政府に対してどことなく不信感を抱いてしまうように。

もうちょっと本質的で建設的な議論ができる首長が出てこないと、沖縄の発展は遠くなってしまうのでは
ないかなぁと思えてしまいます。でも、選挙で選ばれた首長たちだから、結局は、
これが沖縄の民意ということなんですよねぇ・・・・・難しいですねぇ・・・・・・。

そして、著者が交渉相手として難儀してきた沖縄県知事ですが、
稲嶺惠一氏も仲井眞弘多氏も自民党推薦候補ということで、選挙後に、彼らが言うことを聞かなくなる
というのは、一体自民党はどんな候補者選定と選挙応援をしてきたのかなぁと、
その体制の脆さにガッカリしました。
もちろん、沖縄の地元の声もあるので、自民党の思うように動かせるわけではないというのは当たり前ですが、
しかし、決めたことを反故にするのは、政治家としては最低の態度というか、全く信頼されない行動なので
そこは政治家教育として自民党が擁立責任者として教育指導しないとダメなんじゃないの?と思います。

時々、自民党の政治家でも、野党の政治家でも、個人の意見を聞いていると凄く優秀そうなのに、
なんでその派閥に居るの?なんで自民党に近い政策観を持ってるのに立憲にいるの?と思ってしまう
政治家がいるのですが、彼らの言い分を聞いてみると、
「最初の選挙の時に候補者調整がうまくいかず自民党ではなく立憲から立候補した」とか、
「初当選時に今の派閥の領主に世話になったから」とか、理屈ではなく恩義を優先している人が
意外と少なくないことに驚きます。自分の政策の実現性よりも、義理人情の世界なんだなと。
それが日本にとって良いこととは思えませんが、政治の世界はそういう面もあるんだという思いがあったので
この沖縄の知事たちの裏切りぶりや駄々っ子ぶりは、ちょっと中央の政治家たちとは
違う職業なのかも・・・・と思えてしまいました。

その対比で、特に小泉純一郎総理の一度決断したら譲らない姿勢は、長期政権を築いただけある
腹の括れた政治家だったんだなと改めて感じ入りました。
当時は、ワンフレーズ政治というような単純化されかつ劇場化された政治状況に、
私は不信感を覚えていたのですが、本作を読んで感じたのは、「この政治問題の解決策はこれだ!」と
決めていて、一度決めたらブレないから、だからこそワンフレーズで政局を牛耳れたんだなと
思うようになりました。

あと、大臣の使い方、内閣スタッフの使い方、各省幹部官僚の使い方が上手いし、
「俺がそう言ったと言って構わない」と、小泉総理という印籠を使わせることを、
信用した部下たちには許したところも、人の使い方が上手いなと思いました。

今の小泉氏は、ちょっと原発問題への考え方が私には合わないので、関心が低くなっちゃってましたが、
一度、小泉純一郎総理について書いた本を読んでみたいなと思わせるものでした。




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『「方法論」より「目的論」』
- 2023/10/16(Mon) -
安田秀一 『「方法論」より「目的論」』(講談社+α新書)、読了。

知らない著者でしたが、プロフィールを見たらアンダーアーマーの日本総代理店の代表とのことで、
プロスポーツの舞台で活躍している人なら、タイトルに関する面白いエピソードが読めそうだ、
と思って買ってきました。

ところが!

序章から第1章では、スポーツの話は後回しに、
「冷戦」「納税者」「憲法」「神様」「平和」「戦後」みたいな、とってもデッカイ言葉がどんどん投げつけられ、
「あれ?これはいったい何の本なんだ!?」と不安になる展開。

ところどころスポーツの話も出てくるのですが、
それを深掘りしないまま、再び神様の話や憲法の話に戻って行ってしまいます。

うーん、こんな話を著者の口で語ってほしいという期待感はないんだけどなぁ・・・・・と思いつつ、
第3章に入って、ようやく著者自身のアメフト経験の話になって、
「著者が実際に体験し、かつ実績を残したこと」+「スポーツの話」という
当初期待していた話になったので、この章は興味深く読みました。

日大が栄華を誇っていた大学アメフト界において、それほど強くなかった法政大学アメフト部に
入部した著者は、知恵を使って作戦を立て、日大の69連勝という記録をストップさせる勝利を掴みます。

正直、この話で一冊書いてほしかったなぁ・・・・・と思ってしまいました。
著者が目指したことややったことは第3章に書かれていますが、
しかし、団体スポーツであるアメフト、しかも上下関係が厳しそうな大学スポーツという環境で、
著者一人が奮闘したところで成果はあがらないであろうことを思うと、
きっと、チームメートやコーチ陣、OB達と連携してチーム力を上げたはずです。
ビジネスマンとしては、そここそが読みたいんですよね。

特に、弱かった当時のチームから、日大を倒そう!という途方もない目標を立て、
チーム全員がその目標を共有していくという最初のプロセスこそが、
ビジネスマンにとって学ぶところが多い局面だと思うんです。
なのに、本作では、著者の思いは書かれているけど、あんまりチーム力については見えてこない。
うーん、残念。

第4章からは、また、なんだか頭でっかちな話に戻ってしまい、
モヤモヤが残ってしまう読書となりました。




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『ゼロコロナという病』
- 2023/10/14(Sat) -
藤井聡、木村盛世 『ゼロコロナという病』(産経セレクト)、読了。

コロナ禍で大騒ぎしていたころ、Abemaプライムに木村盛世氏が専門家として出演されていて、
冷静に現状を解説し、かつ現実的な対策を提言していたので、
メディアに出る「専門家」にも、まともな人がいるんだなぁ・・・・と思ってました。

で、ブックオフで本作を見つけたので、試しに買ってみました。

しかし、対談相手が藤井聡センセ。
私はYoutubeで保守寄りのニュース解説チャンネルを見ることが多いので、
藤井聡氏もレギュラー解説者やゲスト解説者として時々お見掛けするのですが、
感情をコテコテに盛り付けた喋り方がどうにも苦手です。
なんだかアジテーションみたいに感じられて。
もちろん、こういう熱さを真剣さとか本気度と捉える方もいると思うので、
そこが人気なのかなとも思うのですが・・・・・。

で、本作の対談ですが、案の定、藤井聡氏の「!」「!」「!」みたいな
熱い言葉がほとばしっており、読みにくいです(苦笑)。
木村盛世氏が、同じように感情的に話しているのか、それとも受け答えとして調子を合わせている
だけなのかは、正直、文字面からは読み取れませんが、私がAbemaで受けた印象からすると
後者なんじゃないかなぁ、大人の対応をしたんじゃないかなぁ、もしくは編集者がそう見えるように
整えたんじゃないかなぁと思ってしまいます。

お二人の基本スタンスは、日本政府のコロナ対策は厳しすぎで、かつ成果が出ていない、
国民の不安を煽り立てるのではなく、必要なところに必要な対策を局所的に打つべき、
具体的には、高齢者が行動を控え、中年以下は通常通り活動して経済を回すべき、というもの。

しかし、この基本スタンスを明確に述べ合う前に、対談の内容はいきなり専門家バッシング、
政治家バッシング、メディアバッシングになってしまい、これまた読みにくいです。

私は、Abemaを見て木村氏のスタンスは予め頭に入っていたので、そこまで混乱しませんでしたが、
はじめましての読者の方にとっては、もうちょっとしっかりと自身の主張を
冷静かつロジカルに冒頭で述べてほしいと感じるのではないかなと思います。
編集者の構成力の問題かもしれませんが。

そして、専門家バッシングの対象は、主に尾身会長と西浦教授に向かうのですが、
私は正直、西浦教授は「8割おじさん」として、あの瞬間には必要だった役割をしっかり果たした
功績を認めるべきだと思っています。

お二人とも、「あれは科学者が主張するには根拠が薄弱すぎる」とか、「あれでは科学者ではなく政治家だ」
的な批判をしていますが、日本社会がコロナウイルスへの恐怖に染められ、しかもその有効な対策が
何も見えていない時点で、誰かが「日本人よ、とにかくみんな、こうして!」という指針を出すのは、
社会を落ち着かせるために重要なことだったと思います。
その指針が、今から振り返ると妥当ではなかったかもしれないし、根拠も薄かったかもしれない、
しかし、その当時の社会の不安感を思えば、必要かつ効果的な指針だったと思います。

お二人は、「それは科学者が担うべき役割ではない」と言うかと思いますが、
政治家は、当時の安倍総理や加藤厚労相が当然政府として同じ指針を掲げて発信していた訳で、
それを政府をサポートする機能のスタッフとして、西浦教授が、あえて科学者としての立場を越えて
政治家の役割を半分以上担うという犠牲とリスクを払いながらやってくれたことだと思ってます。
実際、その後、いろんなデータが取れたり、ワクチンや薬剤が開発されるようになったら、
西浦教授は「8割おじさん」としてのスポークスマンの役目を終えて、
裏方としての科学者の立場に戻っているわけですし・・・・。

「もし何も対策を打たなかったら42万人が死ぬ」、この西浦推定を、根拠がないと批判していますが、
これはもう、とにかく出歩かせないという政府の方針が決まったら、それにどう従わせるかという
方法論の問題であり、そのための政治的メッセージだと割り切るべきかと。
すでに対策を打ち始めてるのに「何も対策を打たなかったら」という仮定は無意味だし錯誤を生じさせるだけ
という批判は、錯誤させてでもとにかく出歩かせないようにしたかったんだから、
根拠の有無や有効性なんて関係なくて、結果、行動自粛がどれだけ生み出せたかだよ・・・と思っちゃいます。

その後、コロナ禍に関する論文を、西浦教授をはじめ、政府の方針策定に関わった科学者たちが
あまり発表していないという指摘が本当ならば、そこは、本来の科学者としての役割として
やるべきだとは思いますが。

と、なんだかお二人を批判的に書いてしまいましたが、私自身、あらゆるリスクに対しては、
合理的に怖がることが大事だと思っている派なので、冒頭に書いたお二人の方針には概ね同意です。
ただ、だからといって、専門家や政治家やメディアを批判することに力点を置いているような
今回の対談は、ただただ藤井氏の「!」「!」「!」が乱発されるだけで、
あんまり意味がないんじゃないのかなぁ・・・・・・と思えてしまいました。

激烈な批判よりも、冷静で建設的で合理的な提言を、必要なタイミングで必要な人に届ける、
そういう大人な専門家がいる国であって欲しいです。




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『編集者という病い』
- 2023/10/12(Thu) -
見城徹 『編集者という病い』(集英社文庫)、読了。

現役編集者の間は、自分の本は出さないと決めていたという著者が
あえてその禁を破って出した本。

そういう序章で始まったので、まるごと全部、語り下ろしの自分語りなのかなと思いきや、
あちこちの媒体で発表された発言や対談をまとめたものでした。
なので、内容の重複も結構見られますが、それを差し引いても面白かったです。

『たった一人の熱狂』で、仕事人としての志や信念については読んでいたので
熱くて重くて徹底的な人だという印象は持っていましたが、
本作で、改めて、そのヒットメーカーとしての実績を見ると、凄いですね。

最初に、尾崎豊氏の処女作『誰かのクラクション』の話が出てくるので、
ど真ん中の文芸作家ではなく、「イロモノを引っ張ってきて話題性で売ったんだろ?」と
編集者の実績として勘違いされやすいところもあるのかなと思いましたが、
続いて中上健次氏を発掘したエピソードも出てきて、
純文学でも実績を残していて、幅の広さはさすがです。

そして、本人の言葉として「三人の大家ときらめいている新人三人を押さえろ」とあるように
一緒に仕事をするのが最も困難なトップ層3人と、その実力を見極めるのが困難な新人層3人、
その両極を押さえれば、間の中堅層は自然と自分に寄ってくるという考え方は、
出版・編集という仕事だけでなく、あらゆる業界に通じそうな考え方だなと思います。

私自身の卑近な例としては、仕事でとってもお世話になった部長さんは、
当時の経営トップに信頼され一方で、新入社員などの若手や、
私のような別の会社から転籍してきた中途組に積極的に声をかけてくれ
結果的に、その部長さんの周りに集まる中堅社員さんたちと知り合うきっかけをくれました。
上と下に人脈のある人には、自然と中間層も集まるんですよねー。
そして、私自身としては、新しい会社で、中間層と知り合えることが一番重要なことで、
そのきっかけを作ってくれた部長さんに感謝感謝、
今も上京したら飲みに連れて行っていただいています。

著者は、大家と新人という振れ幅だけでなく、
純文学と芸能人というような振れ幅も持っていて、文学の世界を立体的に捉えていた
初めての編集者だったんじゃないかなと思いました。

本作で、著者が手掛けたヒット作品がたくさん紹介されていますが、
村上龍、石原慎太郎、中上健次、五木寛之、小池真理子、などなど、大作家が並び、
しかも大作家の最も売れた作品ではないかなと思われる作品を生み出していて、
本作の中で大口叩いてても、全く違和感のない実績です。

芸能人の本は、私は興味が湧かないので、どれも読んだことがありませんが、
タイトルだけは知っているものばかりで(さすがに尾崎豊は私が小学生の頃の歌手なので
同時代性を感じることが出来ず、本も知りませんでしたが)、
興味がない人間でもタイトルは分かるというのは、それだけでも大ヒット作だとわかります。

そして、著者は、大出版社となった角川書店を辞めて、
新しい出版社を立ち上げたという出版界では衝撃的な行動が語られることが多いですが、
幻冬舎は、私が大学生になる前に誕生しており、最初からヒットを連発していたので、
まじめに本を読むようになった大学生のときには、きちんとした出版社として認識してしまい
幻冬舎誕生の衝撃というものは感じることがありませんでした。

まぁ、でも、有名作家は大手出版社から作品を発表し、中堅どころはハウツー本とか
インタビュー本とか、ビジネス本とか、歴史本とか、その得意分野に特化している印象があり、
さらに零細になっていくと、自費出版と見分けがつかないようなレベルの本を出している、
という感じで、素人目にも、出版社の格付けは理解できます。

そんな中で、ブランド力のある角川出版を出て、自分の会社を立ち上げるのは
まさに蛮行と捉えられてもおかしくなかっただろうなと思います。
一方で、著者の出版社としての立ち振る舞いは、気に入った作家とはとことんベッタリ付き合う姿勢や
作家に認めてもらうまでは毎日でも手紙を出して思いを伝えるとか、連日飲み歩くとか、
そういう極端な行動が印象に残りますが、でも、冷静に考えると、
それらの行為は皆、編集者の仕事の基本として存在する行動を、極端なまでに徹底しているだけであり
普通の編集者との違いは、行動内容そのものではなく、行動の濃度の問題ですよね。
となると、著者の行動様式は、突き詰めると「凡事徹底」なのかも・・・・・と思うようになりました。

特殊な行動は、私には真似できないけど、凡事徹底は、真似しようと思えばできるものです。
もちろん、その徹底度合い、濃度は、著者に特有の濃さではありますが、
しかし、そこまでは濃くなれなくても、自分なりに凡事徹底はできるはずだし、
段々とその濃度を上げていくことも可能かと思います。

というわけで、著者のパワフルさに圧倒されながらも、
著者の真似をしていこう!と気持ちを新たにさせてくれる本でした。

現在は、もう70歳を超えて、最近では、Twitterでの作家さんへの暴言事件が炎上したり
ちょっと高齢化の影響が出てきちゃってるのかなと思われるところもありますが、
これからも過剰なエネルギー放出はしてほしいものです。






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『言い寄る』
- 2023/10/10(Tue) -
田辺聖子 『言い寄る』(文春文庫)、読了。

先日読んだ石川達三作品、女主人公の頭でっかちな感じがしんどかったので、
たぶん、正反対の気持ちの良い女の子が出てきそうなおセイさん作品をば(苦笑)。

そしたら、図らずも乃里子さんが登場し、「乃里子3部作」だったようです。

「乃里子3部作」は、おセイさんの作品をだいぶ読んでから知ったのですが、
おセイさん作品を読み始めて2番目に『私的生活』をたまたま読んでいて
その世界観の面白さは素直に感じてました。
恋愛小説って好んで読まないので、「恋愛小説でも面白いんだなー」と思えた作品です。
ただ、これをきっかけに恋愛小説を読むようになったわけではなく、
おセイさんの恋愛小説なら読めそうだ・・・・と思うようになっただけですけど(苦笑)。

本作は、「乃里子3部作」の第1作とのことで、
私は、「乃里子3部作」という枠組みを知らないまま、第2作目⇒第3作目と読んできて、
最後に第1作目となりました。

20代末期の独身女性ですが、デザイナーという職でそれなりに売れており、
同世代の男の子だけでなく、年上のオジサマたちとも堂々と渡り合える会話術を持っており、
一人で食事も飲みに出るのも気兼ねなく自由に動けて、誰かに誘われたときの
行動力も決断力もばっちり。
やっぱり乃里子さんは魅力的です。

そんな乃里子さんの周りにいる男性陣は、
乃里子の女友達を妊娠させて逃げを打ったタァちゃん、
タァちゃんの友人で金持ちボンボンの女好き・剛ちゃん、
剛ちゃんの別荘の隣に別荘を持つ中年男の水野さん、
乃里子の古なじみの優男で距離が近すぎて乃里子に全く手を出さない五郎ちゃん。

皆ぞれぞれ個性がある男性陣で、最初は、五郎ちゃんと乃里子はどこでくっつくのかなー?とか、
剛ちゃん、別荘に女の子を連れて行ってその仕打ちは酷いよー、
とか思いながら読んでいましたが、途中から、自分の中で五郎ちゃんへの評価がダダ下がり。
いくら優しい男でも、その行動はおかしいだろう??と思えてしまい、
なぜか女たらしでどうしようもない剛ちゃんの方が、
「肘鉄くらわされても、これだけ乃里子に執着できるのは凄いかも・・・・」と思えるほど。

乃里子も、男性陣に厳しい評価をしつつも、バッサリ切って捨てるわけではなく、
敗者復活のチャンスを与えるというか、悪い点一点だけで評価を下すのではなく、
人間だから良いところも悪いところもあるよねー、みたいな広い心の女性であるところが
やっぱり魅力なのかなーと。

知性と肉体が一体化している女性像であることが、やっぱり読んでいて楽しいですね。
頭でっかち女性よりも、格段に惹かれます。




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