『「豆朝日新聞」始末』
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- 2023/01/28(Sat) -
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山本夏彦 『「豆朝日新聞」始末』(文春文庫)、読了。
かなり久々の山本夏彦翁。 タイトルからは、朝日新聞をはじめとするマスコミへの批判の本かと思いましたが、 それらに限定されず、幅広い夏彦節でした。 『徹子の部屋』に出演したときの話。 「お好きなコラムの1行を3つ挙げてくださいとの徹子さんからのオーダーに対して、 「年寄りのバカほどバカなものはない」 「平和な時の平和論」 「ロバは旅に出ても馬になって帰ってくるわけではない」 そして嫌いな言葉については 「話し合いって言葉、大っ嫌い」。 いやー、この回の『徹子の部屋』、見たかったですわー。 夏彦翁の暴走気味発言の数々に対し、 テレビ朝日へのクレーム電話の嵐を防止するため、 うまーくフォローの言葉をアドリブで差し挟む徹子さん。 今はだいぶお年を召してしまい、キレがなくなってしまった感がありますが、 やっぱり冠番組で台本のないトークショーを何十年も続けてこられる能力は 余人には代えがたいものがありますね。 いつも、夏彦翁の放言を楽しんで読んでいるクチですが、 この人がTwitterやってたら、どんなに面白かっただろうか、どんなに社会に影響を与えただろうかと 思うと、今の時代に生きていてほしかったなーと思ってしまいました。 ![]() |
『ケータイを持ったサル』
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- 2023/01/22(Sun) -
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正高信男 『ケータイを持ったサル』(中公新書)、読了。
さーて、次に何を読もうかな~、積読なんとかしないと・・・・・ と、積読の山を漁っていたら、なんと、宮崎哲弥氏がミソカスに批判してた本が出てきました。 買ったこと忘れてた(苦笑)。 宮崎氏の批判内容が頭に残っている今読まないと、もう、読む気にならなさそう・・・・・ ということで、急遽読むことに。 本業はサルについての学者さんで、京大の霊長類研究所の教授ということなので、 その界隈では有名な方なのかなと思いますが、 本作は、その本業のサルの話をちょいちょいネタに使いつつ、本題は若者論です。 タイトルにあるように、ケータイばっかり見てる若者のコミュニケーションレベルを、 サルと同等だと言っているような感じ。 うーん、ところどころ、専門のサルに関する研究結果や観察結果などデータが出てくるのですが、 本題の若者論になると、著者の「私はこう思う」「若者のこういうところが気に食わん」みたいな 感情的な結論にワープしちゃうので、「え?論理的な説明どこにあるの?」みたいな感じで 読んでいて置いてきぼりにされちゃいます。 そして、とっても気になるのは、著者が批判する若者って、若い「女性」に限定されているような印象です。 著者自身が日本人を被験者にいくつか行った実験や調査が掲載されているのですが、 基本的に女性を対象としているんですよね。 20代女性と40代女性の携帯登録者数を調べたり、女子高生たちに投資ゲームをさせたり。 著者はやたらとルーズソックスを持ち出して若者の象徴のようにしてますが、 オジサンがJKに目くじら立てて騒いでいるだけの本のように感じてしまいました。 女性蔑視とかミソジニー的とかまでは言いませんが、ちょっとJKに偏見があるんじゃないの?と 感じてしまいました。 あと、実験や調査の手法についても、母数が少ないこととか、そういう外形的な点も気になりました。 JKに投資ゲームをさせた件ですが、どうやって女子高生グループに実験の説明をしたのかが 書かれておらず、もし、被験者たちに、「ケータイ保有者とケータイ重用者にグループ分けました」みたいな ことを言ってたら、頭の回る生徒たちは、「ケータイ漬けはバカのレッテル貼られるかも。要注意!」 という空気を読んだのではないかなとも思います。 結果、「相手を無条件に信頼して行動する」というキレイごとの選択を意識的に取った可能性も考えられます。 まぁ、宮崎氏の批判が先に頭に入っているので、 私の読み方もかなり偏見まみれかもしれませんが。 でも、たぶん、宮崎氏の新書を読まないまま本作を読んでも、たぶん、内容には共感できなかったと思います。 本業のサルの研究だけにとどめておけば良かったのに・・・・・・と思ってたら、 本投稿をするための裏どりに「宮崎哲弥 正高信男」で検索かけたら、 「論文捏造疑惑」なる言葉が飛び込んできました。 サルの論文でさえも問題起こしてたのか(苦笑)。 ![]() |
『逆説の日本史11 戦国乱世編』
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- 2023/01/21(Sat) -
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井沢元彦 『逆説の日本史11 戦国乱世編』(小学館文庫)、読了。
第10巻までの信長論が非常に面白く、 あまりに満足度が高かったので、その余韻に浸ってしまい第11巻に手が伸びませんでした。 最近、三重県の歴史に関する本を読み、そのワクワク感から 歴史熱が再び盛り上がってきたので、第11巻に挑戦。 今回の主人公は豊臣秀吉です。 私の中で、秀吉という人物評は、行動力や判断力、そして人間を取り込んだり争わせたりする能力は 突出したものを持っていますが、一国の統治者としてはあんまり魅力を感じず、 信長から家康までの乱世の繋ぎ役的な目で見ていました。 信長の後釜として横から伸し上がったものの実質自分一代で一族を滅ぼしてしまったという結末や、 派手好みなところ、そして例え勝てたとしても統治は難しかったのではないかと思われる朝鮮出兵、 これらの要素から、どうにも信長や家康と比べて低く評価してました。 ま、私が冷静沈着な家康が大好きという嗜好の問題も影響していると思いますが。 というわけで、井沢史観では秀吉はどういう風に評価されているのか興味がありました。 ところが、読んでみると、秀吉そのものの評価よりも、 現在の学者や言論人が秀吉の業績なり人物なりをどう誤解しているのか、どう捏造しているのか そういう部分への著者の批判が面白く、引き込まれました。 第11巻だけでなく、第1巻から著者が言い続けていることですが、 (1)今現在の常識で歴史を評価してはいけない、当時の常識で考えろ (2)歴史は結果から見るな、流れを順に追え (3)現在に残っている文献だけで評価するな、文献がすべて正しいと思うな これらの原則に忠実に徹底的に秀吉像を見ていくとどうなるのか、ということが 第11巻では書かれていて、興味深く読みました。 私が、統治者としての秀吉の欠陥のように感じて拒否反応を覚えていた朝鮮出兵に関しても、 本作で「1回目の出兵と2回目の出兵は意味が違う、小西行長がキーマン」という見立てに、 な、なるほどね、と納得できるところが多かったです。 井沢史観においても、1回目の出兵に関しては、やっぱり判断に誤りがあったとは思いますが、 当時の世界情勢の情報収集力の低さを思えば、仕方がないのかなぁ。 攻め込まれた朝鮮半島の人々にとっては、怒りしかないでしょうけれど。 秀吉という人物の改革性と実行力、そして強引さは、よく理解できました。 本作も面白かったです。 早く第12巻で、私の好きな家康の話を読まないと! あと、妹尾河童さんの大ヒット本『少年H』が本作の中で出てきますが、 だいぶ前に買ったものの、長いなーと思い、ずーっと積読放置しています。 どれだけこの本が欺瞞に満ちているのかを、井沢氏が糾弾しているので、 却って早く読まないと!という気持ちにさせられました(爆)。 ![]() |