『逆説の日本史 5 中世動乱編』
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- 2021/08/28(Sat) -
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井沢元彦 『逆説の日本史 5 中世動乱編』(小学館文庫)、読了。
鎌倉時代に入りました。 鎌倉幕府というのは、武士が実権を握るようになったというので、 大きな時代の転換点だという風に学校で習いましたが、 イマイチ興味が湧かないんですよねー。 それって多分、源氏の頭領が3代で終わってしまい、 北条氏による執権政治が始まってしまったので、 なんとなく平安時代の摂関政治と変化がないような印象を受けてしまっていたのと、 後は、平安時代から鎌倉時代に移行する大きな経済的原因となった荘園制度の理解が 本質的に全くできていなかったからだと、このシリーズを読んで思い至りました。 後者の荘園制度の理解については、腑に落ちるレベルでの理解ができたので解決済ですが、 前者の武家政治への移行については、本作でようやく理解ができました。 これまで私は、「武士」という1人1人の職業のレベルで捉えようとしていたのですが、 そうではなく、天皇と摂政による政治体形から、「征夷大将軍」という新たな権威が台頭し、 それが「幕府」という斬新な権力構造を組み上げたというところに本質があるんだなと分かりました。 つまり、個人ではなく、法人組織で捉えればよいのだと。 こうすると、日本という国家が、天皇と将軍という2つの権力が共存できたという不思議や、 その共存をおかしいと思わない国民性が今に続いているから、 憲法や法律と現行制度とのギャップがあっても、あまり違和感を覚えず解釈論で解決してしまえるという ユニークな考え方が社会で認められてしまうという実態が理解できました。 つまり、源頼朝という人物は、現在の日本の国家の在り方の基礎を、 ある意味作り上げた人物だと言うことができ、とんでもない影響力を発揮したということになります。 もしかすると、日本の歴史上、現代社会に最も影響を与えた人物なのではないかなと。 精神面では聖徳太子、社会制度面では源頼朝と言っても良いのかなと。 徳川幕府のように15代360年ぐらい続いていれば、もっと源一族への評価や関心は高まったように思いますが 3代という中途半端な長さで滅んでしまった点が、現代における人気の無さなのかなと。 あと、北条氏は、権力を横取りしたような印象で、悪役的な目で私は見ていましたが、 歴代の執権を見ていくと、政治家として優れた能力を発揮し、人望もあった人もいたようなので、 あんまり思い込みで見てしまってはいけないなと反省。 鎌倉時代については、もうちょっと、小説とか歴史物で、じっくり読んでみても良いかなと思いました。 ![]() |
『逆説の日本史 3 古代言霊編』
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- 2021/08/21(Sat) -
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井沢元彦 『逆説の日本史 3 古代言霊編』(小学館文庫)、読了。
前半の称徳天皇と弓削道鏡の政治に対する考察が非常に面白かったです。 学校の日本史の授業では、当然、弓削道鏡は天皇の位を手に入れようと画策した悪人として、 そして称徳天皇の方はそんな怪僧の謀略を許した愚かな女帝として、 もちろんこんなキツイ言い方ではないですが、そういうニュアンスで教えられました。 そして、今まで、私自身、そういう評価を下していました。 著者が言うように、日本という国の将来のことを思っての国防政策の相違による派閥争いと 天皇の血筋というか正統性が揺らぎかねない裏事情を隠蔽するために 歴史の記録が書き換えられたというのは、ありえるというか、無いとは言えないなと感じました。 称徳天皇と弓削道鏡の関係は清いものだったんだと言われると そこは、もう、正直後の時代の人間にはよくわからないので、なんとも評価しづらいですが、 女帝個人の肉欲で民間人を天皇の位に付けようとしたと説明されるよりは 国の将来を思って覇権争いをしたと説明された方が、個人的にはすんなり納得できるというか、 愚かな天皇より国を思う天皇であって欲しいなと後世の国民としては思ってしまいます。 ただ、井沢史観が保守派の賛同を得られない理由は、 前の第2巻のときには「万世一系に対して疑念を呈するからだ」と書きましたが、 第3巻ではさらに、「女性天皇でも有能である、危ない男に付け込まれた事実は無い」となると、 これまた保守派が嫌な顔をしそうです(苦笑)。 令和の世でも、某皇族の結婚問題を問題視する人々の中には 「あの男が皇族とつながる立場に位置づけられるのは危険だ」という意見があり、 だから女性天皇はリスクが大きすぎるという批判に繋がっているかと思います。 その歴史上の実例として「称徳天皇と弓削道鏡」が挙げられているわけでして。 だんだん読み進めていくと、井沢史観が言論界から支持されない理由がわかってきました。 こういう歪みがわかるもの、井沢作品の面白さですね(爆)。 六歌仙の話も、飛び抜けて優れた技量を持つ歌人ではないとぶった切っているのも 目から鱗の指摘でした。 ![]() |
『逆説の日本史 2 古代怨霊編』
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- 2021/08/18(Wed) -
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井沢元彦 『逆説の日本史 2 古代怨霊編』(小学館文庫)、読了。
早速シリーズ第2弾を。 聖徳太子という、日本人の大半の人が聖人君子だと思っている偉大な人物について、 「なぜ摂政のままで天皇にならなかったのか」「謚に投影された意味とは」というような視点で その真相に迫った前半は、様々な角度から検証した要素が一つの真相に繋がっていく様子に とてもワクワクしました。 このシリーズは、二十数巻出ているので、一定数の固定ファンがついているのだと思いますが、 ただ、「作家の空想の産物」として批評の対象にすらならないと切って捨てる声も多そうです。 井沢氏が歴史学者の3大欠陥「史料至上主義」「権威主義」「呪術的側面の無視」を批判しているので 歴史学界からは総スカンを食らってそうですが、言論界での評価はどうなんでしょうかね。 歴史認識という点では、保守とリベラルの違いが議論になることも多いですが、 例えば彼らの立場から見て井沢史観ってどうなんだろう?と考えながら読んでました。 第2巻では、聖徳太子、天智天皇、天武天皇という早々たる人物を取り上げていますが、 本質的な部分で「天皇の系統は万世一系ではなく他の男の血で途絶えている」という指摘は 保守界隈にはとても受け入れられなさそうな主張である気がします。 保守派と自覚してない日本人でも、「万世一系ではない」という主張には 嫌悪感を覚えたり、違和感を覚えたり、本能的拒否反応を覚えたりするような気がします。 一方で、リベラル的な人たちからは、怨念とか怨霊とかそういう類の考え方は 鼻で笑われそうな気がします(あ、完全に私の感想ですけど)。 というわけで、歴史学界も言論界も、井沢史観には興味持たなそうなので、 結局、一般の歴史愛好家が半分エンタメ小説を読んでいるような感覚で 楽しんでいるような状態なのかなという気がしました。 井沢作品の感想として、「教科書の説明では理解しにくかった歴史の流れ、動き、変化の理由が 本作ですんなり理解できた」と私は書いたのですが、これはたぶん、教科書の勉強で 無味無臭というか、面白みのない歴史の事実を淡々と学んだ知識がベースにあるから、 井沢史観のような「こんな軸での歴史の読み方をすると筋が通るよ」という提案に対して 「おぉ、確かに面白い!」と反応できるのかなと思いました。 もし、日本史の勉強そのものを井沢史観で始めてしまうと、 今感じているような面白さを感じられないような気がしました。 一つは、歴史学界に対する井沢氏のぶった斬り方そのものが面白いと感じられるには 日本の歴史学界がそもそも提示している日本史の読み方を知っていないといけないですし、 その味気無さを知っているからこその、井沢作品の裏をかく主張が面白いわけで。 つまらない日本史の教科書があってこその井沢史観の面白さというか。 ・・・・って、なんだか陰謀論みたいですね(苦笑)。 これから時代が新しくなっていくと、どんどん史料が豊富な状況になりますが、 第3巻以降、どんな新説の提示があるのか、史料との整合性が取れるのか、 そのあたりが楽しみです。 ![]() |
『逆説の日本史 1 古代黎明編』
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- 2021/08/16(Mon) -
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井沢元彦 『逆説の日本史 1 古代黎明編』(小学館文庫)、読了。
先日読んだ井沢作品が非常に面白かったので、 「この夏は『逆説の日本史』一気読みだ!」と思い、早速着手。 ただ、すでに二十何巻も出ているようで、ブックオフで全部見つけるまで待っていられないので、 とりあえず手元にある6巻までを目途に一気読み予定。 第1巻は「古代黎明編」と銘打ちながら、序章は信長の話から始まります。 この時点で、すでに「井沢作品、変幻自在だわ~」と、とりこに(笑)。 教科書的な日本史の本って、原始時代なり神話の世界から始まって、 だんだん時間を今に向かって下るように順番に説明することが多いと思います。 これって、一見、時間軸に沿って連続的に説明しているので、日本の歴史として軸の通った説明に なっているように思いこんでしまいます。 でも、決して時代を遡って検証するようなことがないので、その瞬間瞬間の説明しかできていないことが 多いんだなというのが、本作を読みながらとても実感できました。 井沢作品は、卑弥呼の真実を説明するために、 江戸時代に見つかった志賀島の金印の話をしたり、19世紀のイギリスの社会人類学者の本に拠ったり、 時間軸を自由自在に行き来して、時代を超えても日本人の中に流れている普遍的な考え方みたいな 部分を重視しているので、今までの日本史解説にない説得力を感じられるのかなと思います。 従来の日本史の解説では、その時代を切り取った時に、現代人の目から見て辻褄の合う説明をして それで合理的だと思えれば、それで良しとしてきたのかなと。 いわゆる、横軸が通っている状態。 一方で、横軸を時代順に並べることで、縦軸も通っているように錯覚してしまってますけど、 実は、どこかの横軸と別のどこかの横軸を比較すると、全然思考方法が違ってたりして、 それを「時代が違うから」という感覚で済ませてしまってるんじゃないかなと。 その点、井沢作品は、横軸よりも縦軸を重視していて、 「怨霊信仰」という時代を超えて日本人に流れている畏怖の感情で 大きな歴史の流れに筋を通そうとするので、常に時代を行きつ戻りつしながら検証していきます。 このプロセスが、非常に興味深いんですよね。 著者は、日本の歴史学の3大欠陥として、「史料至上主義」「権威主義」「呪術的側面の無視」を 挙げていますが、その反対のスタンスを取る著者の歴史との向き合い方は、 歴史学者というよりは、民俗学者的なアプローチ方法なのかなと思います。 私は、「史料至上主義」は、一つの学問的方法論のあり方だと思うので、 歴史学者的アプローチと、民俗学的アプローチのそれぞれから辿り着いた仮説を、 真正面からぶつけ合って真実を見つけ出す姿勢があれば、良いかと思います。 しかし、今の日本史の議論の場に、「史料至上主義」以外のアプローチ方法を認めず、 著者のような方法論で辿り着いた仮説を「論じるに足りない」と却下してしまうのは良くないなと。 いろんな仮説がぶつかり合うと、世間的にも日本史への関心が高まり、 子供たちも日本史の分野を勉強することに興味を持つようになると思うのですが、 「権威主義」に凝り固まっているギョーカイの方々が相手だと、これは夢物語なのかな・・・・。 ![]() |
『日本史七つの謎』
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- 2021/08/11(Wed) -
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松本清張他 『日本史七つの謎』(講談社文庫)、読了。
井沢作品を読んで日本史熱が上がってきたので、積読だった本作を手に取りました。 タイトルと松本清張が代表著者名になっているので、てっきり日本史の謎に迫る短編小説が7つ 収録されているのかと思い込んでましたが、実際は、7組の鼎談集でした。 基本的に、作家1名+学者2名という組み合わせでの鼎談。 井沢作品の流れるような論旨主張を読んだ後では、鼎談のあっちこっち話が飛んでいく感じが ちょっと読みにくいなと感じてしまいました。 ただ、作家の知識量と着眼点の面白さ、自分なりの論説の組み立て方などを知ることができ やっぱり面白い職業だなと思います。 特に面白かったのは、永井路子氏。 自分の歴史観というものを筋道立ててズバズバっと話したかと思えば、 他の2人にうまく会話を振って話を引き出したり、 鼎談の頭からお尻まで面白かったです。 学者さんや専門家による鼎談ではなく、 あくまで作家という一般庶民の興味を念頭に置いて世界を眺めている人が 場を回していることで、変に堅い話にならかったのもよかったです。 このあたりは、やっぱり編集者さんの力量なんでしょうね。 ![]() |
『神話をひも解きながらめぐる神社の旅』
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- 2021/08/10(Tue) -
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合田道人 『神話をひも解きながらめぐる神社の旅』(祥伝社黄金文庫)、読了。
井沢作品で、神話の世界の話を少し読んだので、その流れで神社の本をば。 前書きを読んだら、タレントさんが、自分の興味が募って神社の本を書いたということで いわゆる広い意味でのタレント本かと思って、それほど期待せずに読み始めたのですが、 意外にも面白かったです。 まず何より、自分で全国の神社に足を運んでいるのが良いですね。 歌手なので、全国津々浦々仕事で行く機会があるというメリットもあるのでしょうけれど、 観光地として名の通ったところだけでなく、マニアックな、でも多分神話の世界では重要な そういう神社をちゃんと訪れて、自分がどう感じたのか、その神社にどんな思いを抱いたのか そういう点をしっかり書いているので、読んでいて共感できました。 さらに、自分なりの神話の解釈を面白おかしく述べていて、 その解釈が専門家の世界で本流の解釈なのか異端児なのかは分かりませんが、 自分の言葉で説明できているというのも、神社への思いが表面的ではないというのが伝わってきました。 こういう神社とか神道とかの本って、入口は本人の個人的な体験をもとにしながら、 段々と後半は本で読んだ話をかみ砕いて語っているだけみたいな、 取ってつけたようなものも散見されるので、最初から最後まで ご本人の神社愛が伝わってくる内容で、面白かったです。 ![]() |