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『一橋ビジネスレビュー2020冬』
- 2021/03/27(Sat) -
『一橋ビジネスレビュー2020冬』

特集は「新しい会社の形とガバナンス」と題して、
ESG投資やSDGsなどの新しい概念を絡めて解説した論文が並びます。

わたくし、いま流行りのSDGsとか、結構冷めた目で見ちゃってます。
結局、そのキーワードで新しい仕事を取りに行ってる人たちの活動なんでしょ・・・・的な。
政策的なマネーががっつり動いているように感じます。
地球温暖化対策を声高に叫ぶ人たちとダブって見えるというか・・・・。
環境のためと言いながらも、排出権取引だったり、発展途上国への支援だったりで
儲けようとたくらんでるんじゃないの?的な。

で、本特集ですが、ガバナンスというワードが入っていたので
ゴリゴリの理念押しだったらどうしよう?と読む前に思っていたら、
むしろ、「経営」「ビジネス」「統率」というような切り口をしっかり意識している論が多く、
「そうそう、やっぱり『経営』や『ビジネス』のための概念だからこそ企業がみんな飛びつくんだよね~」
と納得しながら読めました。

ESG投資やSDGsについては、本特集のように、キレイゴトで包み隠すのではなく、
もっと「誰のために」「何のために」という深堀を本音ベースでやるべきだと感じました。
少なくとも、私自身は、そういう裏読みみたいなものは忘れないようにしたいなと。




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『高校入試』
- 2021/03/25(Thu) -
湊かなえ 『高校入試』(幻冬舎文庫)、読了。

とある県の県内No1の県立高校における入学試験の日に起きた
一連の妨害事件とネットでの情報拡散の様子を描いた作品です。

単に、「進学校の入試」というのではなく、
「県内No1県立高校」という舞台設定がミソで、
歴史があり実績も兼ね備えた学校だと、母校思いのOBがたくさんいて、
一家代々この学校出身という家もあり、さらには地元の人からの複雑な視線もあり・・・・
という、余計な価値観がくっついてくるところが興味深かったです。
なぜなら、私も、自分の出身地においてそういう立ち位置にある高校の出身だから(爆)。

地元では、進学校として一目置かれており、
そこに通う生徒も親もOBも、プライドが非常に高いのですが(苦笑)、
でも東京の大学に進学したら、単に「県庁所在地の県立高校」の出身というだけにすぎず、
「あぁ、47都道府県にそれぞれ存在する学校の一つに過ぎないんだな」と自覚しました。
私自身、別に、全国的な知名度なんてない公立高校だという自己評価だったので
「そりゃ、そんなもんだよなー」と軽く考えていたのですが、
逆に東京に出て感じたのは、地元での高校への異常な評価の高さでした。

本作内でもさらっと触れられていますが、そういう高校を出て地元の大学に進んだり
大学卒業後に地元に戻ってきたりした、高校の周辺で人生を歩んでいる人が
母校愛を募らせすぎているというか、こじらせているような印象です。
確かに、地元に残ればOB会のネットワークなどが仕事に活用できるでしょうし、
公私に渡って濃い人間関係を築けそうなので、母校愛が強まると思いますが、
正直、私は、大学のOB会の方が活用しやすいし、OB会自体の考え方がさばけているので、
大学のOB会ばかりに出入りして、高校はほとんど縁がない状態です。

高校-大学と同じ学校の大先輩に良くしていただいているのですが
大学OB会のイベントには「仕事で活用できる人脈が作れるから出てこい」と良く誘ってくれますが、
高校のOB会の方は「仕事リタイアしてからでええぞ」という評価。
高齢OB主体の集まりで、今の仕事というより高校そのものの話に花を咲かせる場のようです。

私は、自分自身の体感があるので、本作の舞台となった「橘一高」という存在は
非常に興味深く読めました。

一方で、登場人物たちについては不自然さを覚えてしまい、共感できませんでした。
受験生が「一高」を受験することができる自分に酔っていたり、親が過保護だったり、
先生も「一高」で教鞭をとれる自分の能力に自信を持っていたり、OBが面倒な物言いをつけてきたり、
そういう一つ一つのエピソードには納得できたのですが、
1人1人の登場人物のキャラクターが腑に落ちない感じでした。

先生同士が冗談とは質が違う嫌みな会話の応酬をしているのを読むと、
「そんな陰険な職場ってあるのかな?」と思ってしまいましたし、
試験の採点のシーンで、早く作業を終わらせること優先で正確さがおざなりになっているのを見て、
自分が勤める学校のランクは、受験で優秀な生徒を取ることと、大学受験で良い大学に入れさせることで
全てが決まるのに、その入り口のところでこんな適当な心構えでいるのかな?と疑問でした。
実際に自分が通っていた高校の先生の姿を思い出しても、それはないんじゃないかと思ってしまいます。
「一高」レベルの先生で、本作で描かれたような適当な人が1人ならまだしも
組織の中でたくさんいるような状況というのは、あんまり現実味がないように思いました。

そして、入試の日に事件を起こした人物の動機。これも腑に落ちず。
過去に採点ミスで「一高」に入学できず、その後の人生を狂わされたという人物が
その恨みつらみを晴らすために単独犯で実行に及んだ・・・・・というなら
理解しやすかったと思います。
しかし、それぞれ別の動機をもっている人々が、しかも恨みつらみとは別の感情で動いている人が
ネットワーキング化されて事件を起こすというのは、さすがに無理があるのではないかと感じました。
そんな人が「一高」の関係者として同時期に寄せ集まってきているというのもご都合主義だし。

登場人物が多すぎて読みにくい、理解しにくいというところも私の評価が下がってしまった点ですが、
それは、解説で、テレビの連続ドラマ用に用意された脚本を小説に仕立て直したと書かれていたので、
読みにくかった理由は納得。テレビと文章の得意分野の差異ですから、
本作はテレビで見るべきだったんでしょうね。

せっかく、舞台装置はおもしろいものだったのに、
ストーリー構成に無理があったということでしょうかね。




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『陰謀は時を超えて』
- 2021/03/22(Mon) -
西村京太郎 『陰謀は時を超えて』(文藝春秋)、読了。

リニア新幹線と白川郷とを特集するため雑誌の記者が現地を訪れますが、
帰京後に記者が合った男が殺される・・・・・そこには白川郷から持ち帰った秘薬が絡んでおり・・・・。

なんだかよく分からないストーリー展開の十津川警部モノでした。

そもそも雑誌の特集で、リニアと白川郷がセットになる意味がよくわかりません。
で、あやふやな設定の中で無理やり白川郷に取材で行くのですが、
そこで記者の男は、診療所で「友人の娘が処方してもらった薬を紛失したため代理で受け取りに来た」
と医師に伝えて、薬を改めて処方してもらいます。
・・・・・おいおい、こんな怪しげな言い訳で薬を出しちゃうのかいな!?とご都合主義な展開に驚き。

で、リニアの方は、国会議員が登場したりして、政治的な駆け引きの場面も出てきますが、
本筋の殺人事件に全く関係がなく、一体、この話は何のために語られたんだ?と
読み終わってから疑問が。
ページ稼ぎ?

捜査の進展は何も描写されなかったに等しいような、最後の急な逮捕劇。
うーん、楽しむべきポイントが見出せませんでした。




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『猫だましい』
- 2021/03/21(Sun) -
河合隼雄 『猫だましい』(新潮文庫)、通読。

心理学者の河合センセが書く猫の本。

愛猫家のにゃんにゃん日常エッセイかと思いきや、
猫が登場する小説や絵本を紹介、解説した本で、かなり高尚な内容でした(苦笑)。
お気楽読書を想定していたので、ちょっと飛ばし読みになってしまいました。すみません。

その文学作品の解説も、猫が登場する作品ではありますが、
あくまで作品解説の方に軸が寄っていて、作品そのものの主題や、
その作品の中で猫が果たしている役割などをしっかり説明していきます。
かなり硬派な猫の本でした。

『風の又三郎』『100万回生きた猫』など、私も読んだ本があり、
そこはフムフムと引き込まれました。




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『ひまわり事件』
- 2021/03/20(Sat) -
荻原浩 『ひまわり事件』(文春文庫)、読了。

分厚い本だったのですが、ユーモア小説のようだったので
サクサク読めるかなと思って手に取ったのですが、めちゃくちゃ時間がかかりました(苦笑)。

まず話が冗長。
一つ一つの場面の描写がくどいので、なかなか話が展開していかない印象があります。
半分の分量で書けたのではないかと疑ってしまいます。

幼稚園と老人ホームを経営する理事長は、
県会議員の選挙が迫ってきて、幼稚園児と高齢者の交流企画で世間へのPRを狙います。
この設定はめちゃめちゃ面白そうと思ったわけですよ。
権力者が弱者を食い物にする構造そのものですから、それにユーモアをまぶして
ドタバタ劇でカリカチュアライズして見せてくれるのかなと。

でも、社会批評のまなざしが、すごく中途半端に感じました。
後半で、老人ホームの入居者の一人の元・安保闘争の志士が立ち上がるのですが、
老人ホーム側の狡猾な経営手法に対する批判は効いていたのですが、
幼稚園の側が活かされていないような気がして、「老人と幼稚園児の交流」という
理事長の思い付き企画の部分以上に幼稚園が効果的な役割を担ったところは
ないように感じました。

幼稚園側での不正を教師や職員が糾弾するような流れになっていれば、
もっと奥行きのある話になったような気がします。
本作ではそれがなかったので、老人ホーム側の反乱騒動に絞って、もっと高齢者の最後の人生の在り方
というものにスポット絞って作品化した方が、考えさせる内容になっていたのではないかと思料。

荻原作品って、冗長になる傾向がありますよね。
もうちょっとすっきり削って作品化してくれたら読みやすいし
主題も伝わりやすくなるような気がするのですが。

とりあえず、読み終わるのに時間かかったー。




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『職業欄はエスパー』
- 2021/03/16(Tue) -
森達也 『職業欄はエスパー』(角川文庫)、読了。

いわゆる「超能力」というもので生計を立てている人たちを追いかけたドキュメント番組の
メイキングと言ったらよいのでしょうか、舞台裏でのディレクターの葛藤を描いた本。

登場してくる超能力者は、「スプーン曲げの清田益章、UFOを呼ぶ秋山眞人、ダウジングの堤裕司」と
紹介されていますが、私がかろうじて名前を知っていたのはいわゆる「清田クン」だけ。

私は彼らがテレビでもてはやされていた時代よりも後の世代なので、
Mr.マリックとか、エスパー伊東とかがドンピシャなんですよね。
つまりは、「超能力者」を笑う対象に設定していた人たちが活躍した時代です。

本作で、超能力否定派がよく口にする意見として著者が挙げていた
「スプーン曲げができたとして、果たして何の意味があるのか」という点、
実は、わたしもそう思ってます。

著者はそうやって「超能力」の存在を切って捨てることに抵抗感を述べていますが、
私は、別に、この意見をもって超能力を否定する気はありません。
超能力者は存在するかもしれないし、存在しないかもしれない、
私には、それは議論したって仕方のない問題のような気がしています。

それよりも、「超能力者」と自称する人たちが、なぜスプーン曲げで満足できるのかが
理解できないというのが私の感想です。
自分に超能力があると考えている人が、最初にスプーンを曲げることに成功したとして、
そしたら次に、鉄の棒を曲げてみようとか、鉄の板から器を作ってみようとか、
そういう風に、例えばものづくりの価値の方に意識が寄っていかないのはなぜなのかなと
そこが良くわからないんです。

時々テレビには、霊視により行方不明者を捜索しようとしたり、
未解決事件を解こうとしたりする外国人の超能力者が登場しますが、
私は、この人たちの能力の有無は別として、自分の「超能力」を世の中に生かそうとする
その気持ちはとても理解できます。
まぁ、霊感商法詐欺による金儲けと紙一重みたいな部分もあるから評価は難しいですが。

でも、スプーン曲げの人って、一生スプーン曲げをやってるイメージなんですよね。
それって、テレビや世間がスプーン曲げを求め続けるからかもしれませんし、
単に清田クン個人がそういう人生を送ったとい単一の事例なのかもしれませんが。

テレビのせいで見世物みたいになってしまって、ある意味、可哀そうな人生だなぁと
思ってしまう反面、自分で見世物になりに行っているのではないかという気もします。

「超能力といえばスプーン曲げ」みたいなイメージになっちゃってますが、
私は、この定理を作り上げたユリ・ゲラーという人物は凄い人だと思います。
だって、そのあとの超能力者は、スプーン曲げで自分の能力に気づいたという人が
多いのでしょうから。
このストーリーのワンパターンさも、「超能力」という異能なワードと相反しているようで
共感できないんですよねー。

結局、本作を読み通しても、いわゆる「超能力者」たちが、
自分の能力が一生「スプーン曲げ」に費やされることに対して
どんな思いを持っているのかはかり知ることはできませんでした。
清田氏が、スプーン曲げばかりを求められることに対する反感を吐露していますが、
じゃあ、他にどんな能力があるのか、どんな能力を今後持ちたいのか、
その答えは持ち合わせていないように感じました。

スプーン曲げの代わりに出てくる超能力が、
「まっすぐ前を向いた額に1円玉を数枚重ねても落ちないように引き付けられる」というのでは、
スプーン曲げ以上に、どんな意味があるのかわからない「特技」に過ぎないように思います。

そして、彼らが語る、最初に自分が超能力者だと気づいたエピソードや、
子供のころの不思議な体験の話を聞いていると、著者自身「分裂症の症状に似ている」
と言ってますが、私も、その区別がつけられないです。

私なりの区別は、その能力が社会の役に立つんだという理論構築ができ、
かつ一定の支持を得られたら超能力者、
理論構築ができず支持も得られなければ分裂症患者です。

登場する3人は、世間の多くからはまがい物のように見られていても、
一定層からは信頼され、企業からコンサルの仕事を受けたり、個人から相談を受けたり
役に立っているようなので、だから超能力者と名乗れるのかなと。
私は彼らを役立てつすべも覚悟も持ってないので、「自称超能力者」という風にしか
見ることができないのですが。

本作で、ずっと著者自身が、超能力を信じているのか、信じていないのか
自問自答を続ける様子が繰り返し出てきますが、著者が悩んでいる姿を読むたびに
自分はどう考えているんだろうと自問するきっかけとなり、
いろいろ考えさせられた読書となりました。

良い作品だと思います。

続編もすでに購入済なので、そちらも早々に読みたいと思います。




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『人類学的宇宙観』
- 2021/03/15(Mon) -
川喜田二郎、岩田 慶治 『人類学的宇宙観』(講談社現代新書)、通読。

KJ法、そして三重県津市の銘家・川喜田家の一族である著者。
代表作の『KJ法』は読んでいましたが、
対談形式の本作を読んで、「あ、川喜田二郎博士というのは人類学者なのか」と
今更ながら気づきました(苦笑)。

大学に入学したころは、人類学とかフィールドワークとか面白そうだなと思って
講義を取ったりしてみたのですが、
結局私が興味をもったのは、フィールドワークの結果分かった人類学的考察内容を使って
現代の先進国社会を斬るとこういうことが見えますよ・・・・・・的な部分だったと分かり、
それは人類学ではなく社会学だな・・・・というわけで、今ではあんまり人類学に対しては
興味が薄れてしまいました。

本作の対談も、人類学的関心が持てているときに読んだら
もっと熱中できたように思うのですが、今は通り一遍な感想で終わってしまいました。

学生時代のことのように、いろんなことに関心を持つのって、
40代になってくるとしんどいのかなぁ・・・・・とちょっと老いを感じてしまいました。

それにしても、Amazonで中古本にすごい値段がついてますね・・・・・・。




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『意欲格差』
- 2021/03/14(Sun) -
和田秀樹 『意欲格差』(中経出版)、通読。

ブックオフの50円ワゴン本。
タイトルから、『下流志向』とか『下流社会』とかの和田センセver.だろうなと予想できたので買ってきましたが、
これら2作で受けた衝撃に比べると、中身が薄くて残念な内容でした。

マクロ的なデータは出てくるのですが、
著者が主張する具体的な内容になってくるとデータの裏付けが少なく、
「私はこう思う」というようなエッセイみたいなレベルの文章が続き、
説得力がないんですよね。

本作を最初に読んでいたら、「そうか、学歴とか経済力とかでなく、意欲そのものに格差があるのか!」と
膝を叩いていたかもしれませんが、前2作の後では、パンチ力なさすぎでした。




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『Fukushima 50』
- 2021/03/13(Sat) -
『Fukushima 50』

公開時に、保守系Youtubeチャンネルでは「絶対見るべき!」と大きく宣伝されていたので
観たい観たいと思ってましたが、どうしてもコロナが怖くて、映画館に行けませんでした。
東京から三重県の田舎に引っ越してからは、そもそも映画館に行く習慣が消えてしまいましたし・・・・。

で、たまたま今日、実家に帰って夕飯後にテレビの前でゆったりしていたら、
金曜ロードショーで本作が始まり、「え、今から放送するの?」と、お風呂にも入らず視聴。
わたくし住んでいる家にはテレビがないので、実家に帰っててよかったです。

映画スタート直後、何の余韻もなく東日本大震災の地震が起こり、
現場がバタバタする中で津波襲来により電源が落ち、原子炉の状況が把握不能の状況に陥ります。
とにかくテンポが速く、淡々と起きた事象が伝えられていく演出です。
後半になるほど死の危険と直面するようになり、普通の映画でやったらお涙頂戴過ぎる・・・・と
引いてしまいそうなセリフも、福島第一原発の現場なら、本当にこんなやりとりだったんだろうなと、
その切羽詰まった状態が、よく伝わってきました。

まず驚いたのは、地震直後に、ちゃんと福島第一原発と東電本社とをつなぐテレビ会議の場が
きちんと立ち上がっていること。このあたりは、さすが大企業のマニュアルですね。
組織だって動けていることに、日本の企業はちゃんとしてるよなと思いました。

その後、非常用電源を喪失した原子炉において、
次々と非常事態が起き、水素爆発という事態になっていくのですが、
映画全編を通して驚いたのは、原子炉が吹っ飛ばなかった理由は、結局分からないということ。
今、日本が曲がりなりにも国家として持続できていることが、奇跡だったということ。

現場にいる所長以下作業員の方たちが必死の努力をして、
出来る限りのことを試し、なんとか原子炉を制御しようと踏ん張ってきた姿には、
本当に涙が止まらず、感謝の気持ちしかありません。

しかし、冷静になってみると、技術的には敗北してたってことですよね。
1号機のベントを一つ開けられたのは決死隊のおかげだと思います。
でも、その効果は数値の上では表れなかったということですよね。
2号機の圧力が下がったのは、たまたま壁に穴が開いたからであり、
大きな地震の揺れのおかげで壁がもろくなっていたのかどうかは知りませんが、
本来であれば穴が開くはずのない壁が壊れたから救われたわけですよね。
まさに、神様、仏様に祈ったら、助けてもらえたみたいな。

本作を見るまで、私は、Fukushima 50 の決死の行動が直接的に
何か大きな効果をもたらして大災害に繋がるメルトダウンを防いだのだと思っていたのですが、
どうも、そうではないようで、本当に、真っ暗な闇の中での奇跡の綱渡りだったのだなと感じました。

もちろん、Fukushima 50 が現場に残ってデータ収集やできる限りの行動をとってくれたから
被害が抑えられた点もたくさんあると思いますが、それ以上に運だったのかなと思ってしまいました。

まだ福島第一原発のことは、全容が解明されたわけではないので、
今後の検証が進めば、やっぱりFukushima 50 のこの行為が、有効打となったんだという
技術と知識の勝利みたいな結論がもたらされるのかもしれません。
しかし、今の時点では、Fukushima 50 の努力の成果が、科学的にどこまで効果を証明できるのか
難しいというのが精いっぱいのところなんだなということが本作からわかりました。
あと、実は海水注入とかはほとんど漏れ出していて実効がなかったということが
言われているようですが、そのあたりの効果検証は本作では全く触れられていなかったので
本作においては科学的な側面の描写はされていないと割り切った方が良いのかなと思いました。

いずれにしても、福島第一原発に関わっていた東電社員の皆さん、協力会社の皆さん、
自衛隊の皆さん、そのご家族の皆さん、日本を助けようと命を投げ捨てて立ち向かっていただき、
本当にありがとうございました。
こういうプロフェッショナルが現場で地道に支える国に生まれてこれたことは、幸せなことだと思います。

緊張を強いられる状況下にずっと居ながら、「食事にしよう」と息を抜く術を持っていたり、
ふとしたときに笑顔を見せ合える現場というのは、すごく良いチームワークだし、みんな大人だなと感じます。
このあたりのどんなに辛い状況でもお互いを信頼しあえる関係づくりを普段からしていて、
いざというときにチームで困難に立ち向かえるという点に、日本人らしさが一番出ているように感じました。

そして、福島第一原発だけでなく、様々な現場で、様々な人々が、
地震や避難や復興のために地道に仕事をされていたものと思います。
そういう全ての人々に感謝いたします。

一方で、政府の対応や東電の上層部の描かれ方は、ブラックユーモアで満艦飾ですが、
ちょっと批判しやすいシーンに偏り過ぎているんじゃないかなと感じました。
現在の姿はともかくとして、私は、当時の枝野官房長官は、不用意に国民を混乱に落とさないよう
彼なりの立場で頑張っていたと思いますし、首相はともかくとして、
現場と直接向き合っていた政治家や役人も、表には見えにくかったでしょうけれど、
必死に頑張っていたのではないかと思います。
Fukushima 50 を英雄視するには、その対極に位置するピエロ役が必要だったのかもしれませんが、
ちょっとカリカチュアライズし過ぎな印象を受けました。

というわけで、本作は、技術面、科学面、政治面の話は抜きにして、
とにかく、Fukushima 50 の方々に感謝の気持ちを捧げるために、見た方が良いというのが私の結論です。



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『龍の棲む家』
- 2021/03/11(Thu) -
玄侑宗久 『龍の棲む家』(文春文庫)、読了。

父親が認知症になった!ということで、介護をするために経営する喫茶店をたたんだ次男が
実家に戻ってきます。父と次男の2人暮らし。
長男は離れに家を構えますが、勤め先で部長をしているため介護に時間を割けず。
もともとは長男の嫁が介護をしていたのが、1年前にガンで亡くなってしまうという不幸があり
父親の認知症も、そんなショックが引き金になったのかも・・・・というスタートです。

1日中父親に付き添い、徘徊が始まれば止めるのではなく一緒についていき、
妄想で過去の世界に飛んでしまった時も、打ち消すのではなく話に乗ってあげる。
この次男の介護ぶりは、並大抵の忍耐力ではできないのではないかと思ってしまいました。
文章が穏やかで簡潔なので、私は「この次男は人間ができているなぁ」と思い読めましたが、
実際に、今、認知症の介護をしている人が読んだら、かなりしんどい気がします。
自分と比べてしまって。

中盤から、介護士経験のある女性が関わってくるようになるのですが、
この女性の介護対象への向き合い方が、腹が座ってて興味深かったです。
相手が過去に戻っていってしまい現実と夢とが混同し始めたらどう合わせるか、
自分のことを正しく認識してもらえなくなったらどう気持ちを整理するか、
そういう、認知症の進展の過程で起こり得そうなことを、
介護対象の気持ちが最も収まる形で、逆に言うと自分の気持ちはある程度我慢して
相手に付き合ってあげるという姿勢を取っています。

これは、なかなかできないことだと思います。
自分の家族に対してもイライラしてしまいそうなのに、
仕事として介護に携わっている人なら、もっと割り切っていないと心がしんどくなってしまいそうです。

それが、なんだか、この作品に登場する女性ならできてしまいそうな、
そんな安心感というか、現実味が感じられました。
著者の文章の温かさや、キャラクターづくりの絶妙な匙加減によるものなのでしょうけれど、
父親がどんなに突飛なことを言い出しても、受け止める家族や介護士が
こういう心構えで向き合ったら、こうも穏やかな日常になるのかと驚きました。

もちろん、父親が予想外に暴れてしまったりしたこともありましたが、
症状が進行していくのを止められない病気なので、そういう展開は仕方がないのかなと思います。
そんなときに、自分がどれだけショックを受けないか、
正しくは、ショックは当然受けるのでしょうけれど、それを上手く横に流せるか。
そんな胆力が必要になってくるのだろうなと思います。

祖父が認知症だったので、実家に帰ったときは、少し介護の手伝いはしましたが、
ほんの少しの時間なので、祖父に対して優しく応対はできました。
でも、毎日向き合っている両親は大変だろうなと感じてました。

いずれ自分も介護をする日が来るのかもしれませんが、
そのときになってジタバタしないように、
今から少しずつ覚悟を積み重ねていこうかなと思います。




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