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『あまからカルテット』
- 2020/12/16(Wed) -
柚木麻子 『あまからカルテット』(文春文庫)、読了。

女子校の仲良し4人組。
今は、ピアノの先生、デパートの美容員、雑誌編集者、主婦とそれぞれの道を歩んでいますが、
ときどき4人で集まっては、ワイワイ過ごしている気の置けない仲間。
そんな4人が料理にまつわるなぞ解きをしていく短編集です。

最初の1篇、ピアノの先生が、たまたま花見の席で出会ったおいしいお稲荷さんをくれた男性に
恋をして、4人が必死に探し出すというエピソードに、
『ランチのアッコちゃん』的なノリの軽さというかリアリティの薄さを感じてしまい、
うーん、やぱり食べ物の出てくる柚木作品は合わないのかなぁ・・・・と思っていたのですが、
2話目以降、段々とはまっていく自分がいました。

4人の女性が順番に主人公になっていくのですが、
あくまでキーワードに食べ物は出てくるものの、これは働く女性の人生観を語った本だと定義しなおしたら
ぐっと興味がわいてきました。

出版社という世の中の流行り廃りを作り出す最前線にいる友人に比べ自分は・・・・・
デパートという華やかだけれど競争の世界にいる友人に比べ自分は・・・・・
主婦目線で編み出した簡単料理レシピが世の中で高い評価を受けている友人に比べ自分は・・・・
ピアノという得意なもので人々に安らぎを与えられる友人に比べて自分は・・・・
お互いに助け合い、支えあいながらも、時には比較の対象となり、ライバルになり、
複雑な乙女心がうまく描かれていると思いました。

女性って、周囲の人や世の中に対してシビアな目を持っていると思うので、
たった4人というコミュニティの中でも、いろいろ考えることがあって、
その視点の置き方とか、物事の整理の仕方に、なるほどなぁと勉強になりました。

女2人だと決裂するし、女3人だと1:2で分裂する、
でも、女4人だと、ごちゃごちゃしながらも上手く修復しようとする力学が働くんだなと
そのバランス感覚を面白く読んでいました。

バリバリの編集者で、自分の出した本がヒットし、
優秀で頼りがいのある上司と結婚して、何もかもを手に入れたように見えたのに、
引っ越し先のご近所トラブルに悩まされるとか。
人生いろいろですね。

でも、このご近所トラブルにしろ、嫁姑問題にしろ、
大きな問題のように見えて、実はコミュニケーションで解消されるような要素もあるよと教えてくれて、
遠くから警戒しているだけではなく、懐に飛び込んでみるのも大事なんだなと思わせてくれます。
まぁ、飛び込んで泥沼というパターンもあるのでしょうけれど。

女の友情もいいなぁと素直に思わせてくれる作品でした。




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『悪魔のような女』
- 2020/12/15(Tue) -
赤川次郎 『悪魔のような女』(角川文庫)、読了。

お手軽読書に短編集を。

冒頭の「暴力教室」は、進学校の中学校で起きた陰湿ないじめ事件がテーマ。
俗にいう「葬式ごっこ事件」は昭和60年、本作は昭和57年の発行のため、
時代を先取りした作品だったのかも・・・・と思います。

先生をもいじめの被害者として巻き込むことで、リアリティを抑制するというか
エンタメ性を高めるというか、そういう処理を施してありますが、
昭和終盤の学校における歪んだ空気をよく伝えている作品なのかなと思います。
私は生まれたばかりの頃なので、あくまで想像ですが。

「召使」は、ある日突然、安アパートの一室に召使を名乗る男がやってきて、
無償で家事一般を全て引き受けてくれるという夢のような物語。
設定がなんだか星新一っぽいなと思いながら楽しく読んでいましたが、
途中で殺人事件が起こり、赤川作品に変質したような印象でした。

召使がやってきた当初は、夫婦ともに丁寧な言葉遣いで配慮しながらものを頼んでいたのに、
すぐに横柄な上から目線の口調になってしまうところに、人間の悲しさを見ました。

「野菊の如き君なりき」は、どの登場人物の行動も、あんまりぴんと来ない話でした。

「悪魔のような女」も、登場人物たちの行動がちくはぐな印象受けました。
まぁ、このような短編に、あんまりリアリティを求めてもいけないのかもしれませんが。

とりあえず、時間つぶしには適したお気楽本というところでしょうか。




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『冠・婚・葬・祭』
- 2020/12/13(Sun) -
中島京子 『冠・婚・葬・祭』(ちくま文庫)、読了。

タイトル通り、「冠婚葬祭」にまつわる4つの短編が収められています。

最初の作品は、成人式を舞台にした新聞記者の物語。
あれ?冠婚葬祭じゃなかったの??と、結婚式や葬式を念頭に置いて読んでいたので
違和感を覚えてしまいましたが、「冠」とは「元服」のことであり、まさに今でいうところの成人式。
あぁ、冠婚葬祭って、そういうことかぁ・・・・・と自分の無知ぶりにガッカリしてしまいました(苦笑)。
読みやすい作品でしたが、あんまり印象に残るものがなかったです。

続いての「この方と、この方」が面白かったです。
いわゆる「お見合いおばさん」が主人公で、本人はすでに引退しているつもりだったのに、
たまたま男性側と女性側それぞれから見合いの要請があり、なんだかお似合い・・・・・と思ったところから
これが最後のご奉仕と、一気に意欲がわいてくる主人公。

このおばあちゃんの目を通して語られる人間観察が興味深いんです。
鈍感な男と強気な女、この2人のお見合いのセッティングから、
お見合い後の進展について、お見合いそのものの場面を描かずに、
その前後で主人公が2人から受けた印象の変化を描くことで、
お見合いという現象が人間の人生に与える影響をうまく表現しているなと思いました。

次の「葬」は、介護施設にいるボケちゃったおばあちゃんを、社命である人の葬式に参列させるという
そのドタバタぶりを描いています。
設定は面白いと思ったのですが、期待値ほどの展開を見せず、突き抜け感がなかったのが残念。

最後の「祭」は、「冠」と一緒で、あぁ、お盆のことなのか・・・・・と今更ながらお勉強。
この作品も面白かったです。
父に続いて母も亡くなり、田舎の家を処分することになった三姉妹。
子供のころの記憶に従って、その土地の風習に従ってお盆の行事を行い、
そこにそれぞれの夫や子供も参加して、さらには知らない地味美人がやってきて・・・・。
お盆の日々に流れるゆったりした田舎の空気感が心地よかったです。
そして、そこに現れる地味美人がちょっとした謎解きみたいな展開になり
大きな山場があるわけではないのですが、ストーリー展開が面白かったです。

いろんな人生があるなぁと、ぼんやりとした感想を抱きながら、
最終的には、「冠婚葬祭って、成人式とお盆なのか!」ということを今まで知らなかった衝撃が
一番の感想だったかも(苦笑)。




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『望郷』
- 2020/12/11(Fri) -
湊かなえ 『望郷』(文春文庫)、読了。

とある島で暮らす人々の姿を描いた連作短編集。
図らずも島の話を続けて読むことになり、『海うそ』ほど濃厚な民俗学的描写はないものの
却って日常生活を描写する優しい言葉の端々に島の歴史や自然環境に由来する制約のような
ものが強く感じられました。

どの話も、日々の暮らしや過去の思い出を振り返る構成で、
特にそこには強い謎解きの意思は働いていないのに、
さらっと描写される数行の言葉で、「意思をもって殺された、抹殺された」という事実が
伝えられ、衝撃度がいや増します。
さずが湊作品、上手いですねー。

とにかく登場人物たちが、偽善ぶることなく、露悪ぶることなく、
素直に本能のままに周囲の人間の行動を受け止め、観察し、そこに悪意を感じ取る。
自然な悪意の存在が恐ろしいです。

そして、湊作品には欠かせない「いじめ問題」の要素。
芸能人が自分のいじめ体験を語る行為について、
「耐えろ、負けないで」と語り掛けるのは、被害者のままで居ろということか、という強烈な反論。

さらに、「母の壁問題」も。
なぜ母親は娘をこうも縛り付けようとするのでしょうか。
支配の対象なのか、不満の捌け口なのか、自分が不自由だったから同じ目に遭わせたいのか、
毒母がリアリティを持って迫ってくるから湊作品は怖いです。
私の母は全く毒母ではないので、実体験がないにもかかわらず、「こんな人居そう・・・・」と
思わせる著者の力は凄いです。

どの作品も、数行の真相でガラッと物語の景色が反転するような威力のある転換点があるのですが、
それが違和感なく受け入れられるというか、狙いすぎだよ~と思ってしまうような不自然な作り込みが
感じられないので、強烈な話が続く割にはすんなり読めました。

どれも面白く、一気読みでした。




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『海うそ』
- 2020/12/09(Wed) -
梨木香歩 『海うそ』(岩波現代文庫)、読了。

ブックオフで本作に目が留まった時に、
真っ先に思い出したのは、向田邦子さんの「かわうそ」
完全に頭の中が「かわうそ」になってしまい勢いで買ってきたのですが、
今回読んでみたら、全く別の世界観が広がっていました。当たり前ですけど。

南九州に位置する遅島にフィールドワークに訪れた主人公。
時代は戦前。
当然、孤島には昔ながらの暮らしが残っており、生活、自然、文化を幅広く調査していきます。

前半は、小説というよりも、それこそフィールドワークのレポートを読んでいるようでした。
レヴィ=ストロースばりの描写で、架空の島である遅島が、本当に存在するかのようなリアリティ。

どこかモデルの島があっての作品なのか、完全に著者の想像の産物なのかは分かりませんが、
一つの生活空間、社会として出来上がっている姿が単純に社会科学的に面白いなぁと感じました。

小説としては、私には、少し高尚で、エンタメ性を感じられたは
後半の50年後の描写のところあたりでしょうか。
レジャー島として開発が進む遅島には、主人公の息子が開発側の立場で関わっており、
結構、典型的な進歩と破壊みたいなテーマの見せ方かなぁと思ったのですが、
なぜか私は、息子側の立場に立って読んでいました。
開発やむ無しというような。

いや、むしろ、主人公の姿勢に少し反発していたのかもしれません。
私が真っ先に思ったのは、もし主人公が50年前にフィールドワークの成果を形にして
学会に発表していたら、遅島の存在に価値が認められることとなり、
日本社会や学問社会において再評価されることで、安易な開発の対象には
ならなかったのではないかと思ってしまいました。

私には、主人公の不作為が、破壊と開発を遅島に呼び込んでしまったのではないかと思え、
50年経ってから、「こんなに価値のある島をなんで破壊するのだ!」と反対してみても
後の祭りではないかと思ってしまいました。
文化や遺構や生活様式を残したいなら、残したい側も社会に対して相応の努力をしないといけないし、
経済の理論で文化が一部破壊されることがあっても、それに後から文句をつけるだけでは
不誠実なのではないかと感じてしまいました。

コロナ禍において強く感じるのですが、
安心安全、健康、安らぎ、そういうものを求めるのは大事ですが、
同じく経済活動を維持することも大事だと思います。
文化も大事だけど経済も大事、学問も大事だけど経済も大事。

健康な肉体に健全な精神が宿るように、
安定した経済の上に活発な文化活動や学問研究があるのだと思いますし、
社会の安定や隣人への配慮の余裕も出てくるものと思います。

遅島のような文化と歴史を持つ島が、現代日本社会でその価値を継続できるようにするには、
正常な経済発展と、分断や断絶のない社会の仕組みの相互関係が重要なのではないかなと
うまく言語化できませんが、そんな感想を持ちました。

発展していく都会と、昔の文化が残る孤島が
対立関係にあるのではなく、相互に存在価値を認め合い、繋がっているような
高度な社会が築けないものかなぁと、本作を読みながら夢想しました。




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『寝台特急「紀伊」殺人行』
- 2020/12/07(Mon) -
西村京太郎 『寝台特急「紀伊」殺人行』(角川書店)、読了。

近所の図書館が蔵書の処分をする際にもらってきた本。
「寝台特急紀伊」なので、三重県もちょっとは登場するかな?という期待から。

しかし、三重県云々という軽い気持ちで手に取ったのに
内容があまりに腑に落ちず、途中で読むのを止めようかと何度も思いました。
中盤、亀山駅が重要な役割を果たしていると分かり、
三重県が急にクローズアップされたので、なんとか最後まで読み通せました。
結果、読み終わるまでに3日間も要してしまいました。

高校生の頃に婦女暴行事件を起こしてしまい、さらにはその被害者が自殺してしまったために、
その地に居られなくなり、一家で東京に逃げることになった主人公。
東京で両親が相次いで亡くなり、せめて遺骨は故郷に返してあげたいと
10年ぶりに生まれた町に戻る決意をした主人公。
しかし、「帰ってくるな」という匿名の圧力を端々で受け、遂には後からやってきた婚約者が行方不明に。

いやぁ、もう、この主人公の男の思考回路が全然理解できないんですよね。
そもそも、そんな曰くのある町にわざわざ帰ろうと思う発想が理解できません。
自殺した女性の家族親族が住んでいるでしょうし、当時のことを知っている住民からも白い目で見られます。
しかも、そこに婚約者も連れて行こうとしているのも理解できません。
婚約者に昔の事件のことを話していないというのは、まあ隠すだろうなと納得できますが、
わざわざ、秘密がばれるかもしれないようなところに連れて行くものでしょうか。

冒頭のあたりで本人が、「町の人たちは、その事件を忘れず、冷たい眼で迎えるのではないだろうかという
不安がよぎるのだ」と言っていますが、いや、たった10年しか経ってないのに
当時の事件の衝撃が薄れているまたは消えていると願う方が無理じゃないでしょうか。

他にも、婚約者が新宮に来るまでの寝台特急の中で行方不明になっているというのに
探しようがないからという理由で、待ち合わせの新宮の町をすぐに離れて、
故郷の町の方へと行ってしまう神経も分かりません。
必死になって、新宮の町や、寝台特急が止まった各駅に赴いて彼女を探すのが最優先ではないでしょうか。

そして、婚約者が行方不明だという状況を知っているにも関わらず、
この主人公の同級生は、故郷に戻った歓迎会をしたいから今夜どうか?と誘います。
婚約者が行方不明の男を、のんきに宴会なんかに誘いますか?

主人公が町役場に出向いて、自殺した女性の両親の住所を教えてくれと迫りますが、
なんでこんなに居丈高に言うのか、意味不明です。

これだけ疑問が湧いたのに、まだ最初の1/3ぐらいですよ。
こりゃ挫折を覚悟しますよね(苦笑)。

登場人物の誰も合理的な行動をしないし、
誰の感情にも共感できないという、恐ろしく壁のある作品でした。

事件の真相については、どんだけ閉鎖的な町なんだよ・・・・って感じですが、
犯人の立ち位置を思うと、二流ハリウッドサスペンスみたいな真相でしたね。

最後に、なんとか亀山駅のおかげで最後まで読めましたが、
亀山駅から和歌山県までどんなに車を飛ばしても2時間で行くのは無理だと思います(爆)。




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『ぼくたちの家族』
- 2020/12/03(Thu) -
早見和真 『ぼくたちの家族』(幻冬舎文庫)、読了。

著者名も作品名も知らなかったのですが、なんとなくブックオフで見つけて買ってきた本。
積読の山の一番上にあったので手に取りました。

ところが、偶然にも内容は、母親が脳腫瘍になり正しい認知ができなくなるという病気になり
家族が闘病で奮闘するというものでした。
認知症ではないものの、認知困難が進行していくという意味では同じような状態であり
図らずも立て続けにそういう作品を読むことになりました。

大きな枠組の違いは、以下の3つかなと思いました。
・病気になるのが男か、女か
・その夫婦の生活が裕福(安定している)か貧乏(破綻寸前)か
・その夫婦の子供たちが女ばかりか、男ばかりか
この3つの違いだけで、認知症闘病モノと分かっていても、結構受ける印象が違ってて、
立て続けに読んだ飽きは感じられませんでした。
むしろ、比較文化論的に非常に興味深く読みました。

夫がボケると妻は必死に自宅で介護しようとし、妻がボケると夫は必死に医者に駆け込む。
絶望の淵で裕福な者は「死なないで」と願い、貧乏な者は「いっそ死んでくれ」と願う。
三姉妹は如何に日々の暮らしを円滑に回すかを考え、
兄弟は課題をひとつひとつ潰していこうとする。

本作においては、この息子兄弟の特に弟のキャラクターが秀逸でした。
軽佻浮薄な印象を受けますが、意外とモノゴトの本質を見抜いていたり、
余命何日という絶望を突き付けられても受け止めて次の行動を考える忍耐力があったり。

母親が意味不明の言葉を口走り始めたと思ったら、急転直下の余命数日宣言、
それを自己破産寸前の父親と嫁に責められてばかりの兄だけで受け止めてたら、
それこそお通夜のように真っ暗な物語になっていたと思います。
そこに月光のような光を差し込む弟は、なかなかの大人物だと思いました。

あえて冗談を言う、あえて明るくふるまう、あえて母の妄言につきあってあげる、
これは根性が座ってなくてはできない芸当だと思います。
そんな弟君は、最後、報われるようなエンディングになっていて、良かったねと素直に思いました。

バブル末期に背伸びしてマイホームを買ってしまったばっかりに破産寸前の中年夫婦。
自己破産って、事業に失敗したとかいう分かり易い理由以外に、
どんな経過を経てそこに至ってしまうんだろう?という疑問にも、あぁ、例えばこういうことなのか・・・・と
なんだか変に納得してしまう物語でした。

バブル末期に家を買うという運の悪さもあるのですが、
それ以上に、夫婦の金銭感覚のルーズさとか、状況把握能力の低さとか、将来展望の根拠のない楽観とか
人間側にやっぱり理由があるんだなということが良く分かりました。

兄も、結婚数年目で妻が第一子を妊娠中という幸せの絶頂のように見える中で、
妻が両親を軽蔑しているという事実を見ないようにしてきたために
この困難期にきて綻びが一気に顕在化するという苦しみを味わいます。
弱音吐きまくりの父親と違って、兄は自分で解決しようと努力しますが、
弟の手回しの良さとか、時には本質をズバッと指摘してくるところなどに
助けられてたんじゃなのかなと思います。

脳の病気のために本音が素直に出てくるようになった母親は、
夫への不満がダダ洩れになってしまいますが、
ふとした拍子に幸せそうな表情を見せたりするところが
これまたホッとさせてくれるところでもあり、ずっと緊張感の続く闘病記でなかったところが
うまいなぁと感じました。

著者については、本当に何も知らない状態だったのですが
他の作品も読んでみたいなと思います。




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『長いお別れ』
- 2020/12/02(Wed) -
中島京子 『長いお別れ』(文春文庫)、読了。

同窓会に出かけたはずの夫が、すぐに家に帰ってきた。
「同窓会はどうしたの?」と聞くと、慌てて出ていくが、まもなく再び帰ってくる。
同窓会会場に辿り着くことができなくなってしまった夫は、そこから認知症の症状が出始め・・・・。

中学校の校長先生を勤め上げ、退官後も図書館長などをしていたというのですから、
謹厳な人物だったでしょうに、家族からも周囲からも一定の尊敬を受けていたのだろうなと思います。
そんな人が、自分で日常をコントロールできなくなっていく・・・・。

本作では、主に妻や娘たちの視点から描かれていくので、
介護の大変さが強調されていますが、「同窓会に行けなかった」という事実に直面した本人は
どういう気持ちだったのかなと思います。
愕然としたのか、それとも、そのショックさえも忘れてしまうものなのか。

以前、何かで、「羞恥心が感じられなくなるとボケが進んでいく」というような記述を読み、
あぁ、世間と自分の繋がりが消えるとボケていくのかも・・・・と納得していました。
当時、私は社会人になったばかりで、実家には認知症が始まった祖父が居ました。
たまに帰省すると、食事のスピードが周囲に合わせられなかったり、トイレがままならなかったりする祖父に
父親がキツめに指示する姿を見て、「キツく言われることに慣れさせたらボケてくよ」と
父に注意した記憶があります。

でも、本作のように、毎日毎日介護する側からしてみれば、
認知症の進行が薬のおかげで遅くなることはあれ、改善することないので、
日々イライラが募っていくのは止むを得ないなと思います。
だから、日々、祖父に向き合っていた父が時々キツい言い方をしていても、
年に数日しか帰ってこない私が注意をするのも、おこがましいことですね。

本作で真っ先に思ったのは、この奥さんの甲斐甲斐しさ。
もちろん、口では娘たちに、いかに介護が大変か愚痴りまくってますが、
基本的には、夫の面倒は自分で見たいという考え方です。

私の祖父の日常の介護は、最初は祖母を中心に、祖母が急逝してからは母が担うようになりましたが
2人とも、ただただ凄いなと思います。
祖母は、介護サービスを利用するのを忌避していたところがある昔タイプの人で、
自分で介護を抱え込んだので心筋梗塞で倒れてしまったと家族は考えており、
介護を引き継いだ母には、できる限り介護サービスを利用するようにと父が取り計らったようですが
デイサービスをどれだけ利用しても、夜は家に居るわけですから、数時間おきにトイレに行ったり、
間に合わずにおねしょをしたり、オムツを替えたり、毎日毎日介護があるわけで。

盆暮れや法事で帰省するだけの私には、断片的にしか見えておらず、
私がした介護は、初詣でや法事で祖父の手を引いて一緒に歩くことぐらいでした。

あと10年もすれば、当時の祖父の年齢に私の父もなっていくわけで、
もし認知症になったら、母が祖父にしてあげたようなちゃんとした介護を
今度は私が父にしていかなければいけないのだと思うと、とても不安になります。
自分にできるのかということと、祖父の認知症のレベルで収まっててくれるのかということと。

祖父の症状は物忘れや動作の緩慢さ、社会への関心の低下、生活への関心の低下という程度でしたが、
本作の夫の症状はどんどん進行していって、言語活動に支障が出たり、勝手に外に出ていったり、
幻覚症状が出たりと、10年の間に変化が止まることなく進んでいった印象です。

それなのに、妻も娘3人も、戸惑いながらも状況を受け止めて、
一緒に生活していくことを何とか成立させようと努力しています。
しかも、無暗に深刻にならずに、どこか開き直ったかのような前向きさも持ち合わせており、
なんて強い家族なんだと、読み進めながら、心底感嘆しました。

実際に、困難に直面してしまったら、開き直るしか進みようがないのかもしれませんが、
でも、この家族の強さ、お互いをどこかで信じあい、頼り合っている繋がりは、
素敵な家族だなと思います。

10年後、自分も同じような状況に置かれているのかもしれませんが、
なんとか前向きに日々を暮らしていけたらなと思う読書でした。




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『名将の条件』
- 2020/12/01(Tue) -
野村克也 『名将の条件』(SB新書)、読了。

日本シリーズはソフトバンクの圧勝で、あっという間に終わってしまいましたね。
しかも、栗原一人にやられた第1戦、大差で負けた第2戦、あわやノーノ―の第3戦、
そして、初のリードをその裏で即ひっくり返された第4戦と、
非常にバラエティに富んだ負け方で、私の中では33-4とどっこいどっこいでした。

あー、ノムさんのボヤキ解説を聞きたかったなぁ・・・・・と思った今年の日本シリーズ。
結局、里崎さんとかデーブさんのYoutubeチャンネルで解説を聞いてました。

というわけで、なんとなくモヤモヤしていたので、積読の中からノムさん本を。
タイトルから、「名将とは~」という大きい話が始まるのかなと思いきや、
第1章は、小久保JAPANの話から始まり、最近の話だったのでとっかかりとして入りやすかったです。
その後も、各球団の新人監督の寸評などが入り、
「まぁ、人気だけで選ばれたような指導経験の少ない新人監督はノムさん嫌いだろうな・・・」
と思いながらの読書でした。

第2章からは、歴代の名監督の話になり、
いつものノムさん本で語られている話の繰り返しではあるのですが、
ノムさんの言いたいことは、「まじめに野球と向き合え」「頭を使え」「礼儀正しくあれ」というような
本質的な話ばかりなので、何度読んでも飽きないんですよね。

現役選手としての期間も、監督としての期間も非常に長かった人なので、
エピソードの数には事欠かないというわけで、同じ話でも面白く料理することができるのかと思います。

原監督って、セリーグの中では名将扱いで、私もそういう目で見ていたのですが、
短期決戦が苦手というのは最近気づいたところです。
いつぞや、クライマックスで阪神に思いっきり下克上されてましたしね。

ただ、巨人軍のYoutubeチャンネルで垣間見える原監督や元木コーチが作る独特の空間は、
リラックスムードのようでいて、絶妙の緊張感があり、しかも球界の盟主としての余裕も感じられ、
私はアンチ巨人の家に生まれましたが、さすが巨人軍だなぁと思ってしまいます。
そもそも、アンチ巨人なのに、巨人軍の公式Youtubeチャンネルを見てしまうところが
巨人軍の凄さかなと思います。

来年は、もうちょっとセリーグも日本シリーズも見どころがあると嬉しいなと思います。
今年はコロナで一度も球場に観戦に行けなかったので、
来年こそは球場に行きたいな。




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