『半農半Xの種を播く』
|
- 2020/01/28(Tue) -
|
塩見直紀と種まき大作戦 『半農半Xの種を播く』(コモンズ)、通読。
こちらも図書館の本。 農業への挑戦のハードルを下げるのに、「半農半X」という始め方は 分かりやすいコンセプトだなと思います。 前に一度、『実践編』という巻を読みましたが、 こちらは「半農半X」の様々な事例紹介という趣です。 ただ、感想としては、前作と同じで、 「なんでこんなに『意識高い系』の方に寄せて見せようとするのだろうか?」ということ。 まぁ、そういう読者を想定しているからというのが素直な答えなんでしょうけれど、 私自身、田舎に住んでみて思うのは、「半農半X」というのはイマドキの生き方ではなく、 昔から農村地域にはあった生活形態だということです。 例えば、田んぼをやりながら、副産物の藁で加工品を作って現金収入を得るとか、 普段は畑をやりながら、みかんの収穫期だけ近くのミカン農家の手伝いに行くとか、 本業は漁師だけど、その傍らで畑をやっているとか。 「生きがい」とか「私のこだわり」とかいう感情ではなく 「手が空いたから他の仕事をやる」「もったいないから捨てずに活かす」 「繁忙で困ってる人がいたから助ける」とかいう、とてもシンプルなコミュニティ内の感情で 動いた結果、「半農半X」という生活スタイルがあるような自然な感じです。 本作では、そういう昔ながらのシンプルな「半農半X」の紹介事例が少なくて、 アンバランスな印象を受けます。 安定した「半農半X」生活を始めるなら、 そういう経験値の積みあがってそうな「半農半X」に学んだ方が良さそうなのになぁと思ってしまいます。 ![]() |
『本当のことを伝えない日本の新聞』
|
- 2020/01/27(Mon) -
|
マーティン・ファクラー 『本当のことを伝えない日本の新聞』(双葉新書)、読了。
日本で活動する外国人ジャーナリストが書いた 日本の新聞業界に対する批判の書。 東日本大震災における取材活動のスタイルの違いにページを割いて 日米比較を行っています。 正直、優秀なジャーナリストとそうじゃないジャーナリストの差は 洋の東西に関係なく存在すると思うので、 ピューリッツア賞ファイナリストががフツーな人を批判しても仕方なくない?と思ってしまいました。 どうせダメだしするなら、日本の有名ジャーナリスト(=日本人が一定の評価をしている ジャーナリスト)を名指しで批判すればよいのに・・・・と思ってしまいました。 とまぁ、話の構造はあんまり納得できなかったのですが、 日本の特殊な事情である記者クラブに対する批判興味深く読みました。 記者クラブの閉鎖性については、前に上杉隆氏の本で読んだので それなりに理解していつるもりだったのですが、 外国人記者の目から改めて批判されると、やっぱり日本に独特な制度なんだなぁと 思わざるを得ません。 そして、そのような環境に飼いならされている新聞記者の取材スタイルと、 米国流の新聞記者の取材スタイルとの違いが 311直後の震災現地からの報道の在り様で際立って表現されていて 分かりやすかったです。 正直、アメリカのジャーナリストも、 トランプ大統領に対する何でもかんでも批判的な姿勢とか、 O・J・シンプソン事件やジョンベネ事件の過熱報道の様子とかを思い出すと、 正しい価値観のもとに報道しているとはとても言えないような部分も多いように思います。 また、記者クラブはないにしても、ジャーナリストで構成された 何らかの利権団体とか圧力団体とかあるんじゃないの?とも思ってしまいます。 日本のジャーナリズムへの批判は、あってしかるべきだと思いますが、 米国のジャーナリズムは、盗作したり意図的誤報を出したりしたのが 個人の記者の責任として片付けられているのは、本当にそうなのかな?とも思います。 アメリカにはアメリカなりの、構造的なジャーナリズム業界の問題点ってあるんじゃないのかな?って。 まぁ、本作の本題ではないから割愛したのかもしれませんが。 日米のジャーナリズムの本質的な比較解説を読んでみたいです。 ![]() |
『ポイズンドーター・ホーリーマザー』
|
- 2020/01/22(Wed) -
|
湊かなえ 『ポイズンドーター・ホーリーマザー』(光文社文庫)、読了。
湊かなえ作品では、「毒親」が登場する印象が多いのですが、 本作はタイトルからすると「毒娘」的な??? 別の切り口で日本社会の歪みを斬ってるのかしら?と思ったら、 やっぱり毒親がたくさん登場してきて、あぁ、湊ワールドだわあと納得。 で、毒娘は?と思い、中盤では、 「これは、毒親が、自分のやっていることは正しいことだと思い込んでいるから 自己評価が『ポイズンドーター・ホーリーマザー』なんだな」と自分自身では納得していました。 ところが、最後に収録された表題作で真相がわかりました。 それまでの短編は娘の目線で語られており、娘から見て毒親を描いているので 一方的な親批判となっています。 ところが表題作では、娘と親の双方の視点から描いているので、 最初は毒親の話かと思っていたのに、もしかすると思い込みの激しい娘による 感情的な親批判なのかもしれないと思えるようになっています。 本当は、清く美しいお母さんなのに・・・・という。 いやぁ、怖いですね。 この表題作が最後に来ることで、それまでの作品も全て、真相は別のところにあるのではないかと 疑えてしまうような構成になっています。 そして、その疑いは、作品だけでなく、自分の親子関係にも向けることができ・・・・・・おぉ怖い。 湊作品を読むと、いつも最後は、「うちのお母さんは真っ当な人でホント良かった」と思います。 普通のお母さんという意味ではなく、ホーリーマザーですよ。 穏やかな人だし、みんなの言うことを聞こうとするし、でも芯は持ってて、でも押し付けず。 近所の人からは「静かな人」と思われているようですが、娘の私からすると 「ちゃんと自分のことを見てくれている頼りがいのある人」です。 でも母娘でベタベタすることをお互いに好まないので、さっぱりした関係です。 こんなお母さん、世の中にはなかなか居ないんだなぁと いろんな小説や家族が出てくるエッセイやルポルタージュを読むたびに思います。 人間の社会というのは恐ろしいですね。 ホッとできる家庭の中に、恐ろしい人が居るというのですから。 うちはボーっとできる家庭で良かったです。 ![]() |