『はじめての支那論 中華思想の正体と日本の覚悟』
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- 2022/01/03(Mon) -
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小林よしのり、有本香 『はじめての支那論 中華思想の正体と日本の覚悟』(幻冬舎新書)、読了。
小林よしのり氏と虎ノ門ニュースの面々に接点があるとは思ってなかったので この組み合わせってあるんだー、と驚いて買ってみました。 そもそも、論壇で名前が売れたのは小林氏の方が相当古いだろうという考えから、 本作の対談では、小林氏が語り手、有本氏が聞き手みたいな役割分担なのかなと思っていたら、 有本氏が中国問題の事情通という位置づけで、小林氏が教えを乞うというようなスタイルだったので、 この組み合わせではそういう設定になるんだー、という思いとともに、 よしりんはさすが大人だな・・・・・という変な感想も(苦笑)。 ただ、対談を読んでいて、これまでの有本氏の経歴の謎が解けました。 以前から、旅行雑誌の編集者から、どうやってジャーナリズムの世界に入ってきたのかな?と 不思議に思ってましたが、編集者の立場でチベットを訪問した時に覚えた違和感から 中国の覇権主義の問題を考えるようになったということで、 だからウイグル問題とか熱心に情報発信してるのかー、と納得。 ジャーナリストとは違う、旅行業界という立場から中国に触れていたというのは、 ある意味、中国のビジネスの在り様に生で触れていたということですから 生粋のジャーナリストよりも視点にリアルなところを持っているのかもしれませんね。 さて、内容ですが、そもそも対談当時の中国共産党の国家主席が胡錦涛だということで、 「ひと昔前」という思いを抱かずにはいられません。「過去の中国」という感じ。 習近平政権になって、中国はギアが変わった感じを受けてるので、 対談の内容は、そういう点で、どうしても古さを感じてしまいます。 もし今、この2人が対談することがあれば、もっと習近平個人に対する評価や分析が 主体になっていたと思います。 しかし、本作では、あくまで「中国人とは」「中国共産党とは」という抽象的な存在を 解説する形になっているので、ちょっと論旨がぼんやりしたような印象も受けました。 多分、発売当時に読んでいたら、もっとリアルに感じられたと思うのですが、 今や中国=習近平みたいになっているので、抽象的に感じてしまったのだと思います。 というわけで、現在の中国について改めて対談してほしいなと思ったのですが、 どうやら2人は距離を置くようになったようで、一緒に活動していた期間は短いようですね。 保守界隈は、くっついたり離れたりが多いので、誰と誰が何で喧嘩してるとか、 誰が何をきっかけに発言の方向性が変わったとか、そういうのを追いかけないといけないのは 面倒でもあり、個々人の主張の本質部分が垣間見えるので勉強にもなり、 ま、とにもかくにも骨の折れる作業ですわ。 本作の中でも、前半と後半で発言のニュアンスが違ったり、 「鎖国」という強い言葉で世界をン拒否したかと思えば 「出島は必要」というように条件付きOKに変化したりと、 わかりやすいように比喩を使っているはずが、その比喩のニュアンスが強すぎるため 条件付きの部分が逆に見えにくくなってしまったりしてて、結果的に理解を阻害しているような。 変に勢いで比喩を使われるよりは、言葉を尽くして丁寧な説明をしてほしいのですが、 対談という形式では無理なお願いなのかなぁ・・・・・。 ところで、「支那」って変換しても候補に出てこないのですが、 これは自主規制用語になってるということですかね? ![]() |
『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』
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- 2018/11/10(Sat) -
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小林よしのり 『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』(幻冬舎)、読了。
先日、著者の新書を読んで、本業であるマンガをちゃんと読まないと!と思い、 早速ブックオフで買ってきました。 大東亜戦争(著者に倣ってそう表現します)における 主に日本軍の思想や行動について著者の見解を熱く述べています。 本作が出版された時は、私は大学生でしたが、 当時は、この手の本に近づくのが怖くて、ヒットしていたのは知ってますが 見ないふりをしていました。 こんな「右翼的」なマンガを読んでいるのを見られたら、 周りにどんな目で見られるか分からない・・・・という恐怖がありました。 もっと自分に自信があったら、どんな本を読んでも「勉強のため、知見を広めるため」と 言い切れたのでしょうけれど、弱っちい学生でした。 左翼的な人にとっては、頭からお尻まで、全く受け入れられない主張なのでしょうけれど、 日本という国家(公)と、その国民(個)という関係を考えるにあたって、 非常に重要な問いかけをしている本だと思いました。 戦争はあくまで政治の手段であり、戦争の反対は話し合いという手段。 平和の反対は混乱であるという整理が、非常にすっきり分かりやすかったです。 どんな手段を取りうるのかという問題は、 置かれた環境や自身のリソースによって多様に判断軸が変化するものであり、 絶対的な正解も、絶対的な間違いもないとおもいます。 だからこそ、なぜ戦争を起こしたのかという問題を考えるには 「何が何でも戦争はダメ!」なんて観念論を振りかざしていても意味がなく、 当時の世界情勢はどうだったか、日本の政治的また経済的実態はどうだったのか どういう過程を経てその状況に至ってるのかという4次元的な分析と反省が 非常に重要だと思います。 ただ、本作を読んで感じたのは、そういう分析と反省を全ての人間に求めるのは、 これまた理想論に近いのかなぁ・・・・・という思いも。 そういう見方は差別的であり優性思想の表れだと怒られるかと思いますが、 でも、全ての人が社会や歴史に通じた目線を持てるようになる教育の在り方というのが 私にはイメージできません。 インテリだと自負している右と左の人たちでさえ、議論がかみ合っているようには思えません。 というか、議論になってないと思います。 結局、右の人は右の中で本作のような言論を中心に盛り上がり、 左の人は全く違う次元で自分たちの話題で盛り上がっているような。 左と右(それ以外の対立軸でも良いですが)が同じ土俵の上で議論できるようになれば、 日本人の議論力や思考力はぐんと上がって、国力の底上げにつながると思うのですが、 それも現実味のない空想に過ぎないなぁと。 日本人1人1人がもっと思考力、判断力を身につけて、 日本という国の土台を強固にしていかなければならないという思いを強く持ちましたが、 はてさて、どうやったらそれを実現できるのか、つかみどころがなくて 逆に不安感も覚えてしまいました。 ![]() |
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