『この国のかたち 一』
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- 2018/06/02(Sat) -
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司馬遼太郎 『この国のかたち 一』(文春文庫)、通読。
司馬遼太郎氏による日本人論。 第一巻が100円だったので試しに買ってみました。 「司馬史観」と呼ばれていることは知っていましたが、 その内容までは詳しくは理解していません。 ただ、小説の端々から垣間見える思想のニオイからすると、 私には相容れないもののようだな・・・・・という予想はしていましたが。 冒頭の1行、 日本人は、いつも思想はそとからくるものだとおもっている。 確かに世界に影響を与える思想というものは、出てこなかったかもしれません。 しかし、それは、地理的な日本の位置、世界史の中に置かれた日本の位置のために 仕方がなかった部分も大きいように思います。 一方で、ザビエルやらオールコックやら来日した人物たちが ヨーロッパに向けて日本人の暮らしや生き方を肯定的に評価するレポートを しきりに送っています。 それらのことを思い合わせると、日本人というのは、至って実務家気質に富んでいるのかなと。 日常の暮らしにおける礼節やモラル、勤勉な態度など、性質的な土台があり、 その結果、日本という国が途絶えることなく古来より維持されてきたということが 言えると思います。 最たる例として、万世一系の天皇家の存在です。 天皇を頂点に置いて世の安定を図り、実務は将軍が幕府を開いて面倒を見、 庶民はその下で、飢饉などに苦労することはあっても生活が続けられてきて、 その安定した生活のおかげで教育などにも力を入れることができた。 時に悪政を行う人物が登場しても、大きな体制の中での自浄作用により取り除かれる。 これは、素晴らしい仕組みなのではないでしょうか。 天皇制そのものの評価は私にはできませんが、 天皇制の下で、安定した社会を継続させてきた日本人というものは 凄いのではないかなと思っています。 そして、日本人の特徴は、その仕組みを他国に押し付けなかった、 つまり思想化して国外の人々に強制することをしなかったということではないでしょうか。 (日清戦争~第二次世界大戦の時代を除く、細かく見れば蝦夷や琉球への対応も除く) 外に向かって自らをアピール(特に宗教的・思想的目的での海外展開)しないという態度が 結果的に、ヨーロッパから見ると思想がない国に見えたのではないでしょうか。 逆に言うと、日清戦争~第二次世界大戦の外に打って出た時代は、 「なぜ侵攻するのか」という理屈付けが必要ですから ある種の思想を持っていたということになるのではないでしょうか。 ただ、特に第二次世界大戦においては、その思想の内容は幼稚だったと思いますが。 蝦夷や琉球に関しても、防衛の目的や経済的な目的以上の 思想的なものは見られないような気がします。 本作を読んでみて、自虐史観とまでは言いませんが、 なんだか、日本の歴史というか、日本人が積み重ねてきた日々の暮らしを 否定的な見解で描いているように思えてしまってなりませんでした。 まぁ、藤堂高虎さんを否定的に描写した著者という点で、 私が司馬遼太郎という人物に偏見の目を持ってしまっている可能性も高いですが(苦笑)。 前半1/3はそれなりの姿勢で読みましたが、後半は飛ばし読みになってしまいました。 世の中の経営者に影響力を持っている(持っていた)著者が このような後ろ向きな日本人論を展開していたことの影響力は いかほどだったのでしょうかね。
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『日本とは何かということ』
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- 2015/03/24(Tue) -
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司馬遼太郎、山折哲雄 『日本とは何かということ』(NHKライブラリー)、通読。
皇室問題でちょっと騒ぎになっていた山折哲雄氏が気になったので 試しに買ってみました。 宗教や民族性など、非常に興味深いテーマで対談がなされているのですが、 なんだか頭に全然入ってこなくて、ほぼ流し読み状態でした・・・・。 なんなんでしょうかねぇ。 話が抽象世界をずーっと飛んでいるように感じるからかもしれません。 私が立っている地上に降りてこないというか・・・。 内田×名越対談を読んだ直後だったのが良くなかったのかもしれません。 いずれまた、時期を見て再読に挑戦ですかね。
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『酔って候』
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- 2014/08/13(Wed) -
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司馬遼太郎 『酔って候』(文春文庫)、読了。
幕末の諸藩を彩る山内容堂、島津久光、伊達宗城、鍋島閑臾を主人公、 または藩主の周辺人物を主人公にした中篇4つ。 久々の司馬作品だったのですが、 ちょっと間延びしたもさもさ感を覚えてしまいました。 特に、前者の2編には。 なんでかなぁ?と考えながら後半を読んでいたのですが、 主人公である山内容堂、島津久光に対する筆者の冷たさというか、 見限り具合が、どうも私は苦手なのではないかと気づきました。 現に、偉才の人として藩主が描かれた後編2つは、間延び感は覚えなかったので。 賢人であっても、時には、時代の流れを読み違えたり、 不運にまみれて時代に取り残されることはあったとしても、 「これだけの行動を起こしたが敢えなく・・・・」という文章になるはずです。 しかし、前者2編は、どうにも、「愚」「凡」の結果、時代の波に乗り遅れたというような 描き方をしていて、なかなか辛らつなんです。 そこが、どうも、読んでいて疾走感や爽快感を得られず、ジメジメしたものを覚えてしまいます。 司馬遼太郎という作者は、結構、歴史の人物たちの好き嫌いが激しかったのでしょうか? 辛らつな物言いが印象に残ってしまっています。 それとも、あまり歴史小説で取り上げられなかったような人物を探し出してくるので、 どうしても、どこかにアラが出てしまうんでしょうかね。
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『おれは権現』
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- 2012/04/21(Sat) -
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司馬遼太郎 『おれは権現』(講談社文庫)、読了。
戦国時代の大名や彼らに仕えた侍たちを主人公に据えた短編集。 私はさほど日本史に詳しくないので、大名クラスの名前しか分かりませんが、 本作で主人公になった人たちは、歴史好きの方たちには知られた名前なのでしょうかね。 とにかく、主人公の性格を、「こうだ!」と決めた軸で ぐいぐい書き込んでしまう力に圧倒されます。 例えば、福島正則の地元の人たちにしてみれば、 ある意味、こんな酷い書かれ方をした正則像は受け入れられないのではないかと 心配してしまうぐらいです。だって、馬鹿呼ばわりですから。 (ま、我らが高虎さんも、司馬評価の被害に遭ってるもので・・・・・・苦笑) しかし、そのバッサリと人物像を決めてしまう勢いのよさが、 短編としては、読みやすさや躍動感に繋がっているように感じました。 そして、馬鹿呼ばわりしても、歴史に名を残した人物であるだけの 見せ場を描いているので、納得感があります。 いずれも面白い短編でした。
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『侍はこわい』
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- 2011/03/10(Thu) -
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司馬遼太郎 『侍はこわい』(光文社文庫)、読了。
気分転換に時代物の短編集を。 本作では、侍らしさを真正面から謳い上げるのではなく、 むしろ侍界の端っこにいるような人々にスポットを当てています。 そして、そんな彼らが抱えているのは、隠れた侍魂であることもあれば、 色気であったり、金欲であったり。 非常に人間らしいところがあって、面白かったです。 ただ、近藤勇少年の突飛な行動には驚きましたけど(苦笑)。
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『最後の将軍』
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- 2010/08/15(Sun) -
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司馬遼太郎 『最後の将軍』(文春文庫)、読了。
渋沢栄一翁の話を読んだら、一橋慶喜公の話も読んでみたくなり、 たまたま司馬作品を見つけたので、買ってきました。 城山作品とは、各人物の描き方が違っていたり、 出来事の解釈の仕方も異なっていたりして、 歴史小説を1つ読んだだけで、わかったつもりになってはいけないのだと実感。 また、挿入される裏話的なエピソードがちょっと薄い気がして、 小説というよりも淡々とした伝記を読んでいるような印象でしたが、 幕末の、雄藩が虎視眈々と権力の掌握を狙っている時代の 転々とする日々を描くと、どうしても、こうなってしまうのかもしれません。 そんな激動の時代において、 たいした政治基盤もなく、幕府内での支持も弱く、政治的人脈も少ない一橋公の 頭の切れ具合、物腰の力強さ、人を呑む演技力、そして翻弄された人生を知ると、 「他の時代に生まれていたら・・・」と思わずにはいられません。 しかし、この人物がいたからこその徳川幕府の終焉であり、 明治時代の日本の急成長があったのでしょう。 もし、この時代に、大きな内戦に突入していたら、 どこかの列強の植民地となり、今の日本は無かったことと思います。 日本の繁栄の土台を築いた時代に、 その土台づくりに負の影響となる事象を極力最小化した功績は、 陰の立役者として評価されるべきではないかと感じました。
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『なぜカイシャのお偉方は司馬遼太郎が大好きなのか?』
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- 2010/02/07(Sun) -
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春日直樹 『なぜカイシャのお偉方は司馬遼太郎が大好きなのか?』(小学館)、通読。
カイシャインの生態を人類学のアプローチで考察するというもの。 その視点は非常に興味深いものだったのですが、 論旨の進め方が、「人類の歴史5分間ツアーで見てみよう!」といった調子で やたらに軟派な展開が続きます。 正直、読み物として、辛かったです。 そんな軟派な設定を講じる必然性が無いんですよね・・・・・。 「人類学に興味がない人に楽しみながら読んでもらいたい」という思いがあるなら、 物語の設定を、もうちょっとしっかり作ってくれないと、こっちが乗れません。 せめて「女子大生会計士シリーズ」ぐらいに、枠組みは作ってくれないと。 で、軟派な設定にしてしまったせいか、あまり深く突っ込んだ話ができず、 どれも人類学の玄関先のさらに10mぐらい手前から覗いているような感じ。 フーコーの構造主義についても出てきましたが、 これは、彼の理論がそれなりに頭に入ってる人が読まないと、 何を言ってるの伝わらないんじゃない?というぐらい甘あま解説。 『監獄の誕生』を読んだことがあるので、その章の内容はわかりましたが、 他の章では、「きっと本当に理解すべきことをわからないまま読んでるんだろうな・・・」と 残念な感じがしました。 興味を持った章について、「もっと勉強してみよう」と思わせるような 展開が欲しかったですね。
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『覇王の家』
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- 2009/11/27(Fri) -
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司馬遼太郎 『覇王の家』(新潮文庫)、読了。
徳川家康の生涯を描いた長編大作。 これは、読み応えがありました。 信長や秀吉といった武将に比べて華やかさに欠ける家康ですが、 そのルーツを「三河ぶり」に求め、 家康を筆頭とする三河武士の心の在り様を描いています。 家臣一人一人まで丹念に描写し、 「人に恵まれた三河殿」の様子がよくわかりました。 しかし、それは三河の心根の問題だけではなく、 三河ぶりをいかに徳川家康が上手に使いこなしたかという 人心掌握術の表れだと思います。 その人心掌握術も、秀吉との対比が興味深く、 これらの傑物が多数出てきた戦国の世の面白さを堪能できました。 また、信長や秀吉の存命時は、彼らのほうの目線で歴史をとらえがちで、 家康目線で戦国の世を眺めた歴史というものは 本作で初めて触れたように思います。 そのため、意外と、徳川家康という人物を知らなかったのだと 思い知らされました。 そして、家康の天下取りの大一番と考えがちな 関ヶ原の戦い~大阪の陣をバッサリと切り落とした構成は非常に斬新でしたが、 三河ぶりを描くには、長久手の戦いまでで十分なのかもしれませんね。 ここを蛇足とみなす思い切りのよさにも感嘆しました。
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