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『逆説の日本史11 戦国乱世編』
- 2023/01/21(Sat) -
井沢元彦 『逆説の日本史11 戦国乱世編』(小学館文庫)、読了。

第10巻までの信長論が非常に面白く
あまりに満足度が高かったので、その余韻に浸ってしまい第11巻に手が伸びませんでした。

最近、三重県の歴史に関する本を読み、そのワクワク感から
歴史熱が再び盛り上がってきたので、第11巻に挑戦。

今回の主人公は豊臣秀吉です。
私の中で、秀吉という人物評は、行動力や判断力、そして人間を取り込んだり争わせたりする能力は
突出したものを持っていますが、一国の統治者としてはあんまり魅力を感じず、
信長から家康までの乱世の繋ぎ役的な目で見ていました。

信長の後釜として横から伸し上がったものの実質自分一代で一族を滅ぼしてしまったという結末や、
派手好みなところ、そして例え勝てたとしても統治は難しかったのではないかと思われる朝鮮出兵、
これらの要素から、どうにも信長や家康と比べて低く評価してました。
ま、私が冷静沈着な家康が大好きという嗜好の問題も影響していると思いますが。

というわけで、井沢史観では秀吉はどういう風に評価されているのか興味がありました。
ところが、読んでみると、秀吉そのものの評価よりも、
現在の学者や言論人が秀吉の業績なり人物なりをどう誤解しているのか、どう捏造しているのか
そういう部分への著者の批判が面白く、引き込まれました。

第11巻だけでなく、第1巻から著者が言い続けていることですが、
(1)今現在の常識で歴史を評価してはいけない、当時の常識で考えろ
(2)歴史は結果から見るな、流れを順に追え
(3)現在に残っている文献だけで評価するな、文献がすべて正しいと思うな
これらの原則に忠実に徹底的に秀吉像を見ていくとどうなるのか、ということが
第11巻では書かれていて、興味深く読みました。

私が、統治者としての秀吉の欠陥のように感じて拒否反応を覚えていた朝鮮出兵に関しても、
本作で「1回目の出兵と2回目の出兵は意味が違う、小西行長がキーマン」という見立てに、
な、なるほどね、と納得できるところが多かったです。
井沢史観においても、1回目の出兵に関しては、やっぱり判断に誤りがあったとは思いますが、
当時の世界情勢の情報収集力の低さを思えば、仕方がないのかなぁ。
攻め込まれた朝鮮半島の人々にとっては、怒りしかないでしょうけれど。

秀吉という人物の改革性と実行力、そして強引さは、よく理解できました。
本作も面白かったです。
早く第12巻で、私の好きな家康の話を読まないと!

あと、妹尾河童さんの大ヒット本『少年H』が本作の中で出てきますが、
だいぶ前に買ったものの、長いなーと思い、ずーっと積読放置しています。
どれだけこの本が欺瞞に満ちているのかを、井沢氏が糾弾しているので、
却って早く読まないと!という気持ちにさせられました(爆)。




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『逆説の日本史10 戦国覇王編』
- 2022/08/24(Wed) -
井沢元彦 『逆説の日本史10 戦国覇王編』(小学館文庫)、読了。

第9巻が面白かったので、さっそく第10巻。
一巻使って、信長の天下統一の大局観を解説しています。

信長の改革者としての非凡ぶりは、第9巻で本質を書いちゃってるので、
第10巻はそこまで強烈な印象を残すものではなく、やや枝葉末節感はありましたが、
当時の宗教勢力である「一向宗」「法華宗」などに対する解説は面白かったです。

本作では、著者は相変わらず、歴史学者の宗教オンチぶりを批判しており、
当時の宗教勢力の武装状態とか強欲さとか理解すべきだという指摘なのですが、
わたくし、20年以上前にそう習った記憶があるんですけどねー。

中学校での社会の授業における日本史の学習は、確かに通り一遍だったように思うのですが、
高校の日本史の授業では、ある程度、当時の「僧兵」などの位置づけについて
ちゃんと説明してもらったような気がするんですけどねー。
今の感覚でいう「坊さん」とは違うぞ!武蔵坊弁慶みたいなヤツを想像しろ!みたいな。

うーん、教科書では通り一遍な説明だったのかなぁ?
大学受験用のマニアックな夏期講習・冬季講習で記憶が上書きされちゃったのかなぁ。

本作では、信長が本能寺で亡くならずに、もしもその後に天下統一に向かっていけたら
ニ三年のうちに達成できていたのではないかという想像も巡らせていますが、
では、その後の日本、特に二十一世紀の日本は幸せだったのですかね~。

信長の、世界に広く目が向いた政治経営がなされていたら、
もしかすると大航海時代の世界の競争に真正面から巻き込まれて
大変なことになっていたかもしれませんし、
そうなると、今、日本という国があったかどうかも定かではないですしね。

信長の偉業や大局観のずば抜けた内容はたしかに著者のおっしゃる通りですが、
信長が政治のトップで指揮をとれたのも、長くて人生80年でしょうから、
その後継が育ってなければ、どんなに国家改革をしても、次の代で倒れますよね。

秀吉や家康といった、同じく優秀で国家観をもった武将が足元にいたから
その後、江戸幕府の安定した治世のもとでの国家繁栄というものがありましたが、
では、織田家の子孫のデキはどうだったのかというとイマイチな気がします。

優秀な人物は、優秀な教育者とは限らないという
そういう感想を持ってしまう巻でした。

いろんな制約がある中で、できる限りの謀略を駆使した足利義昭は、
むしろ凄い人物なのかもしれませんね。




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『逆説の日本史9 戦国野望編』
- 2022/08/15(Mon) -
井沢元彦 『逆説の日本史9 戦国野望編』(小学館文庫)、読了。

いよいよ戦国時代に入ってきました。
やっぱりワクワクしますよねー。

天下統一というキーワードで見ると、やはり織田信長が物語の主役となりますが、
本作では、織田信長の何が凄かったのか、それを従来の歴史の教科書で書かれがちな
「戦に強かった」「戦術が優れていた」「優秀な部下を活用した」「楽市楽座のような改革」
という表面的な解説ではなく、織田信長がどういう国家改革案を持っていて
それを若い時から固めもち、実行に移してきたという姿が語られ、
いかに天才で型破りな人物だったのか改めて認識できました。

他に名将として語られる武田信玄や毛利元就との比較で、
日本国という国家の運営に対する改革の眼差しを持っていたのか否かという観点で
解説され、クリアに理解できました。

一方で、武田信玄が、国家改革者としては物足りなかったとしても、
領民からいかに信頼されていたかが描かれていて、
私も、藤堂高虎公の領地に生まれた人間として、感覚的に理解できました。
高虎公も、大規模など木工事を行ったり、伊勢参りの伊勢街道を軸に街づくりを推進したり、
領地経営にも手腕を振るい、代々の藤堂家の領民を大事にする平和的な政治方針も含めて
藤堂高虎公への思いは強いように思います。

ただ、高虎公は、徳川家康に外様大名としては異様な引き上げ方をされたとはいえ
所詮は仕える側の人間であり、その国家観はスケールが小さかった、または無かったのかなと思います。
天下を取れる人材は、やはり、織田信長や徳川家康のような、独自の国家観を持ち
またその国家観を現実に運営できるだけのいわゆる官僚体制を創造できる人でないと
いけないんだなと理解できました。

次の巻でさらに信長の国家観が詳しく語られるようなので、楽しみです。

そして、本作の前半では、琉球王朝の話と倭寇の話が語られていますが、
初めて知ることが多くて驚きました。
琉球の歴史については、正直、私が学んだ時代の日本史の教科書では全く出てこなかったので
そもそも知識ゼロの状態でしたが、中国との関係などについては、
現在の中国という国家が沖縄をどう見ているのかという中国側の世界観を理解するには
重要な視点ではないかと思いました。

そして、倭寇については、学校で「日本人の海賊行為」と学びましたが、
実際には日本人は2~3割程度で、多くは中国人が構成していたということで、
へ~、と思っていたら、日本への鉄砲伝来は倭寇の手によるものだったと解説されており、
ここはビックリしました。海難事故で偶然伝えられたというよりも、
意図的というか商業的目的をもって倭寇が絡んでいた、その倭寇のドンは中国人だった、
という話を聞いて、やっぱり中国人というのは凄いなと逆に感心してしまいました。

現在の中国という国家に対しては、中華思想とか、共産党独裁とか
いろいろ脅威に思うところがあるのですが、
中国4000年の歴史は、やはり伊逹じゃないです。
良い悪いを超えて、実力と実績の中国人だなと思ってしまいます。
井沢氏による中国論は読んでみたいなと思います。




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『やっかいな隣人 韓国の正体』
- 2022/07/11(Mon) -
安倍元総理の襲撃事件の犯人が宗教団体の名前を挙げているようで
どうやら韓国発祥の宗教団体のようですが、
この本は事件前に読み終わってたので、とりあえずそのまま感想投稿しますね。
事件との関りなどについて他意はありません。


井沢元彦、呉善花 『やっかいな隣人 韓国の正体』(祥伝社黄金文庫)、読了。

タイトルがかなり皮肉なものになっているので、そこは好みではないのですが、
対談の組み合わせが面白そうだったので買ってみました。

井沢氏の本は、とりあえず日本史解説・日本人論について1つずつ読んでいってますが、
その内容から類推できるとおり、今の韓国に対しては批判的な立場ですね。

呉氏の本は1冊しか読んでないですが、独自の韓国人論を興味深く読みました。

そんな2人の対談なので、韓国に対しては相当批判的な物言いになるんだろうなと予想はしましたが
思った以上に感情がほとばしる批判ぶりでした(苦笑)。

感情面を抜きにして、事実の部分で見ていくと
李承晩ラインをめぐって日本漁船の漁撈長が韓国海軍に射殺されているということを知り、
経済的な紛争というだけでなく、民間人の犠牲者が出ていたことに驚きました。
ここまで感情が激化していたのかと。
それを思うと、今は多少、敵対関係を劇的に演じているようなところがあるのかなとも思いました。

本作の中でも、ある時から韓国国内で反日一辺倒ではなく
日本を評価すべきところは評価し韓国を自己批判する態度が出てきた、
一般の韓国民の思いとはかけ離れた新聞の過激な論調や極端な反日勢力が
クローズアップされて日本では報道されているので、現実とギャップがある、
という趣旨のことを呉氏が発言しています。
この文章を読んだときは、「一般の韓国人にそんなフラットな見方が出てきてるのかなぁ・・・・・」と
疑問に感じましたが、一冊読み終わった後にもう一度考えてみると、
確かに、日本で報道される韓国国内の様子というのは韓国メディア発の情報が多かったり
日本のメディアも韓国をある一定の枠にあてはめてしまった方が演出しやすいというところもあり
まぁ共犯関係なのかなと思うようになりました。

前職のときに、海外の同業他社と結構やりとりをすることがあり、
当然、韓国の企業の方ともやりとりがありましたが、
一人として嫌な人物には出会いませんでした。
それこそ、日本人と同じように礼儀正しいし、政治的な発言は仕事の場ではしないし、
雑談すれば楽しく話ができる人たちでした。
それを思うと、一般の韓国人と、日本メディアに出てくる韓国人は
別物なのかなとも思うようになりました。

今は、日韓間の関係が悪化したままの状況ですし、
両政府が国内の支持率を上げるために日韓問題を利用している部分もあるので
しばらく熱が冷めるまで放っておくのが良いような・・・・・。
難しい問題ですね。




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『逆説の日本史8 中世混沌編』
- 2022/04/12(Tue) -
井沢元彦 『逆説の日本史8 中世混沌編』(小学館文庫)、読了。

恐怖政治の足利義教以降の足利将軍たちは、みんな覇気がない印象ですが、
その印象のまま応仁の乱に流れ込んでいく権力闘争の様が解説されています。

明確なリーダーシップがないときに、日本人の「話し合い」という特性が全面に出てきますが
ルールのない行き当たりばったりの話し合いは、当然、ビジョンのない政治展開になっていき、
そこに権力志向の細川氏や畠山氏、私利私欲に走る日野富子、好戦的な武将たち、
サブタイトル通り、まさに混沌です。

私が日本史の授業で応仁の乱に興味が持てなかったのは、
ダラダラとした戦況もそうですが、誰も日本という国をどうしていきたいのか
明確なビジョンがないまま、自分の個人的な目的のために戦争をしているので
肩入れしたいと思う人物が居なかったことが原因なんだなと、
本作を読んで改めて認識しました。

そして、この混沌の原因を作った将軍義政は、政治センスが全くないということになりますが、
反面、芸術方面には素晴らしいセンスを発揮して、
東山文化という形で結実させ、現代の世にも伝わる日本家屋の作りの基礎になったというのは、
それはそれで素晴らしい功績です。
歴史って、難しいですね。

後半、観阿弥・世阿弥の解説のところで、なぜ日本には「演劇文化」が室町時代まで発展しなかったのか
という問いが立てられ、今までそんなことを考えたことがなかったので、
こういう視点もあるのかぁ・・・・・・と感嘆。

確かに、『万葉集』『源氏物語』『枕草子』など、偉大な文芸作品が多数出ているのに、
演劇というのは、室町以降のイメージだし、私の印象としては江戸時代以降の庶民のものという
イメージが強いです。

それを、井沢史観の「怨霊」というキーワードでスッキリ解説がなされて、大納得。
「怨霊」という軸で日本史が語られると、本当に、一つの民族の歴史が綿々と繋がっているんだなと
いうことを実感できます。

室町時代への見方も変わったし、7巻、8巻も面白かったです。




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『逆説の日本史7 中世王権編』
- 2022/01/28(Fri) -
井沢元彦 『逆説の日本史7 中世王権編』(小学館文庫)、読了。

第7巻を100円で見つけたので、半年ぶりに井沢史観

南北朝時代と室町幕府の成立あたりの話ですが、
子供の頃、NHKの大河ドラマ『太平記』を見てた世代なので、
足利尊氏は真田広之、楠木正成は武田鉄矢、後醍醐天皇は片岡孝夫が
頭の中で動き回ってました(苦笑)。

相変わらず本篇でも、武士たちには「天皇を討つ」という発想がなく、
「君側の奸を討つ」という名目で、天皇に味方する武力勢力を叩こうとします。
天皇制度という大きな枠組みを、誰一人裏切ることなくその枠の中で権力争いをし、
枠組み自体をぶっ壊そうとする革命児は現れてきません。
日本人って、まじめだよなー、と、変なところで感心。
でも、「天皇に逆らうと怨霊に苦しめられる」という恐れがあると
その枠組みに挑戦しようという漢はなかなか出てこないのかなぁ。

で、尊氏も天皇家の権力のもとで幕府を開こうとするわけですが、
今までの武士の棟梁と比べると、なんだか優柔不断な印象が。
戦には強かったようですが、政治センスがなさそうなんですよねー。
戦国時代の大名たちは、戦のセンスと政治センスと両方を持ち合わせていないと
すぐに有力な大名に潰されてしまう競争体制だったこともあり、
優秀な人物が同時代にたくさんいたように感じますが、
それに比べると尊氏は粗削りな印象です。時代のせいですかね。

室町幕府と言えば、足利義満が最初に頭に浮かんでくるのですが、
教科書で学んだ義満のイメージは、勘合貿易とか北山文化とか
なんだか金満政治のような印象だったんですよね。
義満が天皇になろうとしていたというエピソードは教科書にはなかったような気がするのですが
私が室町時代に興味がなかったから覚えていないだけなのか、
それとも天皇の座を乗っ取ろうとした出来事は、忖度して教科書からは消されているのか、
興味深かったです。

同様に、義教については、くじ引き将軍というエピソードばかりが印象に残ってて
あんまりその政治手腕については知らなかったのですが、
恐怖政治の内容を知るにつれ、混乱した時代を収めるには
剛腕が必要なんだなぁ・・・・彼はやり過ぎたみたいだけど・・・・・。
ということで、このあたりのバランスが取れると、家康のようなレベルの政治家として
後世に名が残るんでしょうね。
当時の外的環境とか物事の経緯とか、自分にはどうしようもない要因もあって
時代が混乱していたことは可哀そうだなという一面も。

なんだか、「運も実力のうち」という変な感想を持ってしまいました。






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『逆説の日本史 6 中世神風編』
- 2021/08/29(Sun) -
井沢元彦 『逆説の日本史 6 中世神風編』(小学館文庫)、読了。

鎌倉仏教と元寇が中心の巻でした。

前半で、鎌倉仏教の話の解説でしたが、
そもそも大乗仏教と小乗仏教の違いは何なのか、日本における仏教とはどういう位置づけなのか・・・・
というところから遡って解説してくれているので、わかりやすかったです。

仏教というものが、入ってきた通りそのまま尊重されているのではなく、
日本の怨霊信仰などと結びついて、独特の教えや仏事や行事が生み出されたり、
信仰する側の日本人が独自の慣習を組み込んでいったりという変貌の過程が
かなり簡潔ではありますが解説されていたので興味深く読みました。

やっぱり日本人には、キリスト教やイスラム教、そして仏教のような
「人間が作り上げた宗教」は性に合わなくて、
もっと根源的な、アニミズムの方が骨身に染みてしまっているのだろうなと思います。
だから、何かにつけて、理知的な説明で説得されることよりも、
感情的、感覚的な雰囲気で包み込まれる方が、従いやすい気持ちになるのかなと、
コロナ禍の様子を見ていても、そう感じます。

後半は元寇の話ですが、元軍を撃退しても領土が増えるわけではなく、
奮戦した武士たちには褒章が与えられなかったため、武士に不満が募り
鎌倉幕府崩壊につながった・・・・・この解説は教科書でもそう学びました。

しかし、与えたくても与えるものがなかったと理解していたのですが、
そもそも朝廷側に武士への労いの気持ちがなかったというのは知りませんでした。
自分たちが神仏に祈ったから撃退できたというように朝廷が判断していたのであれば
これはもう、北条一族にはどうしようもない事態ですよね。

で、そこで不満を募らせた武士たちが、武士の力で世界をひっくり返そうとするのかと思いきや、
やっぱり天皇一族の力を担ごうとするわけで、不思議ですよねー日本人って。
大きな枠組みを変えるほどの革命児が登場せず、あくまで世界観の大枠は維持しながら
その中でうまく調整して収めようとする、それを全ての人がそれで良いと思っているという
この構造は、他の国にはなさそうですよね。
だからこそ、一つの王朝として世界最長という記録を現在も伸ばし続けてるのだとは思いますが。
(井沢史観では途切れてるという整理ですが、それでも世界最長ですよね)

さてさて、ここまで一気読みしてきた本シリーズは、
100円で見つけられたのはこの6巻までなので、ここで一旦終了です。
第7巻が100円で見つけられたら、また再開予定です。




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『逆説の日本史 5 中世動乱編』
- 2021/08/28(Sat) -
井沢元彦 『逆説の日本史 5 中世動乱編』(小学館文庫)、読了。

鎌倉時代に入りました。

鎌倉幕府というのは、武士が実権を握るようになったというので、
大きな時代の転換点だという風に学校で習いましたが、
イマイチ興味が湧かないんですよねー。

それって多分、源氏の頭領が3代で終わってしまい、
北条氏による執権政治が始まってしまったので、
なんとなく平安時代の摂関政治と変化がないような印象を受けてしまっていたのと、
後は、平安時代から鎌倉時代に移行する大きな経済的原因となった荘園制度の理解が
本質的に全くできていなかったからだと、このシリーズを読んで思い至りました。

後者の荘園制度の理解については、腑に落ちるレベルでの理解ができたので解決済ですが、
前者の武家政治への移行については、本作でようやく理解ができました。

これまで私は、「武士」という1人1人の職業のレベルで捉えようとしていたのですが、
そうではなく、天皇と摂政による政治体形から、「征夷大将軍」という新たな権威が台頭し、
それが「幕府」という斬新な権力構造を組み上げたというところに本質があるんだなと分かりました。
つまり、個人ではなく、法人組織で捉えればよいのだと。

こうすると、日本という国家が、天皇と将軍という2つの権力が共存できたという不思議や、
その共存をおかしいと思わない国民性が今に続いているから、
憲法や法律と現行制度とのギャップがあっても、あまり違和感を覚えず解釈論で解決してしまえるという
ユニークな考え方が社会で認められてしまうという実態が理解できました。

つまり、源頼朝という人物は、現在の日本の国家の在り方の基礎を、
ある意味作り上げた人物だと言うことができ、とんでもない影響力を発揮したということになります。
もしかすると、日本の歴史上、現代社会に最も影響を与えた人物なのではないかなと。
精神面では聖徳太子、社会制度面では源頼朝と言っても良いのかなと。

徳川幕府のように15代360年ぐらい続いていれば、もっと源一族への評価や関心は高まったように思いますが
3代という中途半端な長さで滅んでしまった点が、現代における人気の無さなのかなと。

あと、北条氏は、権力を横取りしたような印象で、悪役的な目で私は見ていましたが、
歴代の執権を見ていくと、政治家として優れた能力を発揮し、人望もあった人もいたようなので、
あんまり思い込みで見てしまってはいけないなと反省。

鎌倉時代については、もうちょっと、小説とか歴史物で、じっくり読んでみても良いかなと思いました。




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『逆説の日本史 4 中世鳴動編』
- 2021/08/23(Mon) -
井沢元彦 『逆説の日本史 4 中世鳴動編』(小学館文庫)、読了。

概ね平安時代についての巻です。

著者自身、「日本人は一般に平安時代史(それも政治史)にあまり興味がない」と書いていますが、
私も平安時代の「政治」って、全然印象がありません。
教科書的には藤原道長とか平清盛とかが挙がってきますが、
彼らがしていたのって、「集金活動」であり「婚姻活動」であり「散財活動」であり、「政治」ではないんですよねー。

で、本作を読んでわかったのは「平安時代に政治はなかった」ということ(爆)。

誰も日本という国の行く末を考えていなかったのに
それなりに平和な時代が一定期間継続できたのって、
中国大陸で唐が滅んだ後に中でゴタゴタしていて日本にとって差し迫った脅威じゃなかったという
外的要因の部分が大きいのかな。

当時、日本という国は軍隊を持っていなかった(軍備を手放した)という事実に、驚きましたが、
現代の日本における平和思想の様子を見ていると、
「あぁ、こういう考え方が日本人の根深いところにあるのかな」と思うようになりました。
著者は、「コトダマ思想」と呼んでいますが、まさにこれって「自衛隊(軍隊)を持つと戦争が起きる」という
議論そのもののように思います。

これが、平安時代から綿々と続く考え方なのであれば、
保守派の人がどんなに「軍備があるから戦争をしかけられず安全を確保できる」と主張しても、
もう、議論が嚙み合う気がしません。
思考回路の土壌が全く違い過ぎて。
で、結局、「解釈論」で政府はなんとか逃げようとしちゃうんでしょうねー。

摂政も関白も律令の中で規定された役職ではなく、令外の官であるという指摘も、
憲法を変えずに解釈論でなんとか自衛隊を大きく育ててきた今の日本人の考え方と一緒ですよね。

結局、現在の日本の国防とか共同防衛とかに関する考え方が
海外の人たちに理解されにくいのは、日本独自の「コトダマ思想」とか「怨霊思想」という
ユニークな考え方、宗教観に端を発していると整理しちゃえば、非常にすっきりしますね。
たぶん、日本人以外には、なんでこんな議論が議論として日本国内で成立しちゃうのか自体が
理解できないように思います。

そして、著者は、憲法9条改憲派であることを本作で明記されていますが、
TBS記者出身ということにも驚き。
TBSにも実は本音の部分ではこういう考え方の人がいるのか、それとも、だから退社したのか・・・・
どちらなんでしょうね。




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『逆説の日本史 3 古代言霊編』
- 2021/08/21(Sat) -
井沢元彦 『逆説の日本史 3 古代言霊編』(小学館文庫)、読了。

前半の称徳天皇と弓削道鏡の政治に対する考察が非常に面白かったです。

学校の日本史の授業では、当然、弓削道鏡は天皇の位を手に入れようと画策した悪人として、
そして称徳天皇の方はそんな怪僧の謀略を許した愚かな女帝として、
もちろんこんなキツイ言い方ではないですが、そういうニュアンスで教えられました。
そして、今まで、私自身、そういう評価を下していました。

著者が言うように、日本という国の将来のことを思っての国防政策の相違による派閥争いと
天皇の血筋というか正統性が揺らぎかねない裏事情を隠蔽するために
歴史の記録が書き換えられたというのは、ありえるというか、無いとは言えないなと感じました。

称徳天皇と弓削道鏡の関係は清いものだったんだと言われると
そこは、もう、正直後の時代の人間にはよくわからないので、なんとも評価しづらいですが、
女帝個人の肉欲で民間人を天皇の位に付けようとしたと説明されるよりは
国の将来を思って覇権争いをしたと説明された方が、個人的にはすんなり納得できるというか、
愚かな天皇より国を思う天皇であって欲しいなと後世の国民としては思ってしまいます。

ただ、井沢史観が保守派の賛同を得られない理由は、
前の第2巻のときには「万世一系に対して疑念を呈するからだ」と書きましたが、
第3巻ではさらに、「女性天皇でも有能である、危ない男に付け込まれた事実は無い」となると、
これまた保守派が嫌な顔をしそうです(苦笑)。

令和の世でも、某皇族の結婚問題を問題視する人々の中には
「あの男が皇族とつながる立場に位置づけられるのは危険だ」という意見があり、
だから女性天皇はリスクが大きすぎるという批判に繋がっているかと思います。
その歴史上の実例として「称徳天皇と弓削道鏡」が挙げられているわけでして。

だんだん読み進めていくと、井沢史観が言論界から支持されない理由がわかってきました。
こういう歪みがわかるもの、井沢作品の面白さですね(爆)。

六歌仙の話も、飛び抜けて優れた技量を持つ歌人ではないとぶった切っているのも
目から鱗の指摘でした。




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