『誰も戦争を教えられない』
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- 2020/11/04(Wed) -
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古市憲寿 『誰も戦争を教えられない』(講談社+α文庫)、読了。
古市センセの作品は、ピースボートの乗船体験といい本作といい 自ら時間を投資して体験した上で考察しているので、 そのフィールドワーク的な肉付けの仕方が興味深いなと思い読んでいます。 本作では、たまたまハワイ旅行中に立ち寄った真珠湾の戦争博物館で感じた 日本における重苦しい戦争の受け止め方とは異なる、明るい戦争博物館の姿に、 今の時代の人が、過去の戦争をどう学ぼうとするのか国ごとの姿勢の違いを想定し そこから世界各地の戦争博物館を巡った記録とその考察が一冊にまとまっています。 50以上もの施設を訪問しており、本作を読むと旅行の途中で寄ったところもあれば そこを目的として取材に行ったところもあったようですが、 変に取材として事前調査したり、計画的に旅程を組んだりするのではなく、 それこそ一般の旅行者が、バカンスの一部として立ち寄る戦争博物館という位置づけから 視線をずらしていないところが著者らしくて良いなと思いました。 たぶん、お堅い取材活動にしてしまったら、一般読者が旅行で立ち寄った時の感覚と ズレが生じると思うんですよね。 私自身は、海外の戦争博物館は行ったことがないはず。 すみません、「はず」としか表現できないほど記憶がないです。 子どもの頃に家族旅行で何回か海外旅行に行きましたが、 美術系の博物館は行ったものの、戦争方面は行ってないはず。 国内では、中学校の修学旅行で広島の平和記念資料館に行きましたが、 当日の思い出は、平和記念公園でみんなで大地讃頌を合掌したことが鮮明で、 資料館の方はいろんな展示を見て回った記憶はあるものの、 「展示から衝撃を受けた」という感覚が残っていないです。 修学旅行に行く前に、結構、事前学習で原爆のことは調べたので、 視覚的にむごい情報も、文章的に悲惨な情報も、それなりに頭に入ってしまっており、 「現物を見たから一層衝撃を受けた!」というところまでは、気持ちが起きなかった気がします。 あんまり良い生徒ではなかったなと、本作を読んで反省。 頭でっかちでした。今も多分そうです。 各国が自国が経験した戦争というものをどう捉え、 それを現在の国民に対してどう伝えようとしているのか、 国によって、また時代によって、施設によって異なっているという点で、 結局、これは反戦に向けた実験を繰り返しているのかなと思います。 いつまでたっても戦争や紛争がなくならないから、手を変え品を変え、 展示の趣向を変えたりして訴え方をいろいろ試しているのかなと。 あとは、戦争博物館の目的が、必ずしも「戦争を2度と起こしません」というものではなく、 『「悲惨な」戦争を2度と起こしません』ということなのかなという気もします。 国家にとっては、たぶん良い戦争と悪い戦争があって、 戦後日本みたいに全ての戦争が悪だと決めてかかっている国家・国民の方が 少ないのかなというように感じます。 なんだか取り留めもない文章になってしまいました。 本作の感想は、あんまり自分の中で一つの形をもってまとまりませんでした。 ![]() |
『希望難民ご一行様』
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- 2017/11/15(Wed) -
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古市憲寿 『希望難民ご一行様』(光文社新書)、読了。
面白かったです。 街角のあちこちにポスターが貼られているピースボート。 その内情について、実際に著者が乗船して描いたルポ。 実は、私の同級生に、ピースボートに乗った人が居ます。 「乗るんだ」という話を聞いたときに、「えぅ、あんな左翼の船に!?」と驚きました。 左翼の集団の中に閉じ込められる数か月というイメージがあったので、 洗脳されてしまわないだろうか・・・・・と不安に思った記憶があります。 そう、私の世代は、高校生の時にオウム事件があり、 大学入学時に、政治組織と併せて、カルト組織に誤って足を踏み入れてしまわないように という注意喚起が行われていた頃でした。 なので、つい、「洗脳」というフレーズが頭をよぎってしまうのです。 そんな偏ったイメージを持っていたピースボートですが、 本作を読んで、思っていたほど政治がかっていないことに、逆に驚きました。 イマドキの・・・・・ということなのでしょうか。 「9条ダンス」とかいう発想は、確かに斜め上を行ってる感じですが、 でも、ゴリゴリの左翼感は感じませんでした。 私のピースボートのイメージの根源は、 創設メンバーの辻元清美氏、水先案内人の鎌田慧氏や、本多勝一氏といった 名前から来るところが大きいです。 逃げ場のない船上で、こんな人たちの思想を叩き込まれるのではないかと。 でも、本作を読んで、あっけらかんとした若者が多いのに驚きました。 あまり思想とか意識しておらず、しかも乗船後もあまり意識に変化がないという点で、 逆に「大丈夫か!?」と思ってしまうほどののんきさ。 そして、高齢者の乗船もそれなりの割合を占めるという事実も衝撃でしたし、 その中の声として「こんな左翼の船だったとは思わなかった」と憤激しているコメントを読んで、 「なんで乗船前に気づけないんだ!?」と、これまた衝撃でした。 (そういえば、本作内で、水先案内人に関する描写がなかったのは残念) ゴリゴリ左翼は乗っていなくて、 乗船中に左翼に目覚める人もあまりいなくて、 結局、世界一周パッケージ旅行をオンボロ船で行っているというだけ? 事業モデルとしては、非常に興味深いものでした。 ボランティアスタッフを囲い込む方法を練り上げており、 街頭ポスター貼りなどの営業活動を上手く組み込んでおり、 乗船中も客に自分たちでイベントの企画・運営をやらせるという周到さ。 ビジネスマンとしては非常に優秀だと思います。 運営しているのが左翼なのが残念! 著者の分析に関して言うと、 ピースボートという舞台の上で、社会学の様々な概念を解説してくれて 面白おかしく読みながら、勉強になりました。 硬い論文の紹介を、 絶妙なバランスでおちゃらけた文章に乗せているので笑いながら読めて、 しかも、ピースボートという特殊な事業モデル、 生活空間の様子を知ることができ、興味深かったです。
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『だから日本はズレている』
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- 2017/07/07(Fri) -
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古市憲寿 『だから日本はズレている』(新潮新書)、読了。
先日読んだ上野女史との対談で、 著者を見る目が変わったので、早速著作を読んでみました。 「リーダー」「クールジャパン」など12個の切り口で 日本のおかしなところを指摘しています。 語り口が非常に軽いので、サクサク読めます。 「新進気鋭の社会学者が書いた本」として捉えると、拍子抜けしてしまうかもしれませんが、 「日本の変なところに突っ込みを入れたエッセイ」として捉えると、面白く読めます。 著者は一応、若者目線で日本を見ていますが、 しかし、若者に肩入れするわけではなく、今の日本の若者の限界も踏まえています。 今の若者に改革は無理とか。 もちろん、メインの突っ込みは、日本を動かしているオジサンたちに向けてのものであり、 確かに著者の言うとおりだなぁ・・・・・と納得する部分は多いのですが、 しかし、では、どう変えれば良いのか、変われば良いのかという視点は、 著者の物言いの立場からは生まれてこない気がしました。 何というか、社会学者の限界と言いますか・・・・・。 私自身、大学で社会学を学びましたが、 基本的に、現実世界を批判することで脚光を浴びる学問分野だと思ってます。 その批判が適切か、不適切化は別にして。 その場合、批判対象が居ないと目立てないわけで、 本作で言えば、ズレた日本がそこにあってくれないと、 社会学者としての発言がしにくくなってしまうわけです。 そして、批判が主役なので、解決策の提言が弱いというところが 社会学の弱いところではないかと感じています。 私自身、好きな社会学者の先生はたくさんいるのですが、 総じて、分析結果には納得できるも、提言内容には首をかしげたくなるケースが 多々あります。 提言内容に納得できるのは、むしろ分析内容のリアリティの無さに不満が残る 経済学の先生の方が多いです。 両方の学問の成果を捉えて、 自分なりの折衷案を見極めていくしかないですかね。
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『上野先生、勝手に死なれちゃ困ります』
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- 2017/06/20(Tue) -
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上野千鶴子、古市憲寿 『上野先生、勝手に死なれちゃ困ります』(光文社新書)、読了。
ギョッとするタイトルですが、 上野女史の『おひとりさまの老後』という本を受けてのものだそうで、 商売っ気のあるタイトルです。 上野女史は、主義主張はともかくとして現状分析や考察力の鋭さは ピカイチの社会学者だと思いますので、介護について語ってもらうのは 興味深いなと思いました。 一方で、古市さんについては、雑誌のコメントやテレビのコメントを見ていて あまり良い印象を持っていなかったので、 対談形式という点で、買うか否か迷ってしまいました。 が、いざ蓋を開けてみれば、 古市さんがイマドキの何も知らない何も考えない若い男の子を上手く演じていて、 上野女史の社会分析をどんどん引き出していきます。 対談形式ですが、先生と生徒という役割をお互いが上手く演じているので 読みやすい形になっています。 こうやって、自分に与えられた役割をきちんと演じられるという点で、 メディアにとって使いやすい学者さんなんでしょうね、古市さんは。 で、肝心の内容ですが、 介護に関する制度や文化、そして不安の本質について語られています。 私は今38歳ですが、両親は60代後半と60代前半。 今はまだ元気ですが、ここ3年ほどで、何だか急激に衰えてきたような気がしています。 もしここで何か大きな病気やケガをしたら、どうやって介護すればよいんだろう? という不安が、だんだんと現実味を帯びて迫ってくるようになりました。 なので、この対談で語られている古市さんの言葉は、 自分の不安の具体化につながり、 上野女史の言葉は、その不安に応えてくれるものでした。 とにかく、現状をきちんと理解して、 使える制度は賢く使い、使いにくい制度は変える努力をし、 変えるときに変な理想論を振りかざさずに現実に即した議論をする。 この冷静な対応が必要なんだなと肝に銘じました。 ただ、制度については理解すれば活用できるので そこの不安はいくらか解消されましたが、 冒頭の古市さんの質問状にある「親子関係の結び直し」については、 私は正直、自信がないです。たぶん、介護問題の一番の不安は私の場合ここにありそうです。 これまで、両親の庇護のもとに生きてきて、 大学卒業後は自分の稼ぎで生計を立ててきたとはいえ、 陰に陽に両親が私を気にして支えてくれ、守ってくれたからこそ 大過なく生きてこられたのであって、介護によりその立場が逆転する、 私に守るものが生まれて、さらに私を守ってくれる力が弱まるという事態が 心細いのだと思います。 私は、自分の子どもを持たないので、なおさら、誰かを守るという行為が 身についていないために恐怖を感じるのかなと、腹がくくれていないのかなと思います。 ま、いざという時には、頭で考えるよりも、 介護の具体的な行動としてやらなくてはいけないことが押し寄せてきて 悩む前に行動しなければいけない状況に追いやられるような気もします。 いずれにしても、「知っておく」ということは、心構えをするうえで大事なことだろうなと思います。 最後、学者の姿勢として、 無知な人に真実を告げて、社会の歪みを知らしめてしまったがために それまで知らずにのほほんと生きてきた人を不幸にしてしまうのではないか・・・・・ という心配事が語られていましたが、 これは、私も大学生の頃に感じていたものでした。 真実を知れば世界はどんどん開けていくけど、 知りたい人だけが知れば良いんじゃないかと。 知りたい気持ちがない人は、下手に知らない方が幸せなのではないかと。 本作では、上野女史は、「まず事実を知ることが大事」と喝破しており、 知って選択することが大事だと述べられています。 知らないことには何も始まらない、確かにその通りです。 でも、知れば選択できるようになるのか、そう簡単なことでもないと思います。 知ることと選択することの間に、もっと段階があるように思えるので、 そこをどうしたらよいのか、一緒に教えてあげることが必要なのではないかと思いました。
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