『ふたりの平成』
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- 2017/03/18(Sat) -
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橋本治、中野翠 『ふたりの平成』(主婦の友社)、読了。
橋本治氏、中野翠氏、それぞれの作品を読み、 「文章がクドいなぁ」とか、「ぶった斬る人だなぁ」とか、 作品の感想はあったのですが、 日本の文芸界とか批評界においての位置づけが良く分かってませんでした。 今回の対談で、お互いのことを評しているというか、茶化しているというか、 そのやり取りで、少しずつ、2人の位置づけというものが分かってきました。 どっちも異端児という(笑)。 アグネス論争とか、その時代には子供だった私でも、 どんな内容だったのかザックリとは知っているほど有名な論争。 私が同時代性を感じられるようなテーマで、 何か論争ってありましたっけ? こんな、世間一般を巻き込むような。 論争があってこそ、異端児評論家の出番のような気がして、 今の時代において、この2人が発言すべきテーマがあればなぁ・・・・・ なーんて、思ってしまいました。 ちなみに、私は、橋本治氏の「~なの。~から。~じゃない。」と続く言葉遣いは、 かなり苦手かも。 活字では読みたくない感じ(苦笑)。 映像でなら・・・・・・いや、だめかな。
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『偽隠居どっきり日記』
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- 2015/12/31(Thu) -
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中野翠 『偽隠居どっきり日記』(文春文庫)、読了。
前回の読書が思いのほか面白かったので、早速次の一冊をば。 本作に収録されたエッセイは、1994年10月~1995年9月のものが収録されており、 1995年の年明け~春といえば、阪神大震災に始まり、サリン事件、そして強制捜査という まさに自然と日本社会の異常事態が続いた時期であり、 改めて週刊誌のエッセイという形で読み返すと、その非日常的な雰囲気が濃縮されて伝わってきます。 以前にもブログに書いたことがありますが、 オウム真理教の強制捜査の日、高校1年生だった私は、学校の教室でみんなでニュースを見ました。 英語の授業の時間に見たように記憶していたのですが、 当時の担任が英語の先生だったので、もしかすると臨時ホームルーム的な扱いで、 どのクラスもニュースを見るように学校側が指示したのかもしれません。 それぐらい、当時の社会を象徴する事件だったのだと思います。 (今思えば、ちゃんとした社会性の感覚を持った担任の先生と学校だったんだなと感謝) 著者は、その震災やオウム事件が現在進行形の状況であるときに、 混乱する情報を整理しながら、言葉を選びながら、しかし感じたことを素直に書いており、 その姿勢ひとつとっても、信頼に足る社会センスと人間感覚をもった方だなと分かります。 今後、もし何か大きな事件や災害が起きた場合に、 中野翠サンはどう感じているのだろうか・・・・と参照したくなる感じです。 最近読んだ2冊は比較的古い時代のものだったので、 直近のエッセイではどんなことを書かれているのか気になるところです。
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『無茶な人々』
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- 2015/12/25(Fri) -
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中野翠 『無茶な人々』(文春文庫)、読了。
全くノーマークの作家さんだったのですが、 たまたま100円の棚で目に止まって、読んでみました。 が、面白い! 従軍慰安婦問題について冷静な見解を述べていたかと思いきや、 背任行為で捕まった大企業のエリートビジネスマンのネクタイの柄が可笑しかったと盛り上がってみたり、 硬軟の使い分けが自由自在なんです。 文芸作品や映画への造詣も深く、 いろいろ紹介されている本は、読んでみたいと思わせるものがいくつもありました。 『サンデー毎日』にずっとコラムを連載されているということで、 エッセイシリーズがたくさん出ているようなので、他の本も読んでみたいと思います。
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