『それをお金で買いますか』
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- 2016/06/15(Wed) -
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マイケル・サンデル 『それをお金で買いますか』(早川書房)、読了。
正義の話に続いて、お金の話。 何でもお金で解決できる市場主義の世界を 「本当にそれでよいのか?」「なぜ道徳的嫌悪感を覚えるのか?」という観点で 論点を掘り進めていきます。 日々のニュースについて、 「何だか納得できない」「腑に落ちない気持ち悪さがあるけど説明できない」という感覚に 陥るケースは多々ありますが、そんな時に、何が気持ち悪く感じるのかを 突き止めて言語化する方法を、本作では学べると思います。 高速道路の割り込み権、Co2排出権の売買、売血、・・・・・ 私は比較的、市場主義の世界に抵抗感がないというか、 そういう価値観もあっても良いのではないかと楽観視している方でした。 本作を読み終わっても、大きな方向性は変わっていないのですが、 ただ、市場主義が進み過ぎることで、 犯罪を助長したり、反社会的な思考が幅を利かせたりする世界は 間違っているなと思います。 市場主義の浸透と同時に、それこそ正義や道徳の観念を適切に持つよう教育する そのバランスが大事だと感じます。 理想論であり、具体的にこうすれば上手くいくという提案はできないのですが。 そのようなバランス感覚を人間社会が身に付けられないのであれば、 著者の言うように、市場主義の浸透を食い止める対応が必要なのかとは思いますが、 では、どうやって食い止めるのかという方法論については、 先ほどの理想論的方法がないのと同様、こちらも良い方法がないように感じます。 であれば、正義や道徳の教育を、困難ではあると分かっていながらも、 粘り強く続けていくしかないのかなと思います。 それほどまでに、現在の市場主義の浸透は進んでしまっており、 今更後戻りはできないように感じています。
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『ハーバード白熱教室 講義録』
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- 2014/11/20(Thu) -
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マイケル・サンデル 『ハーバード白熱教室 講義録』(早川書房)、読了。
東大に政治哲学の講義を聞きに行くのに合せて読んでみました。 が、なかなかに時間がかかってしまいました。 ハーバード大学での講義の内容をサンデル教授の視点でまとめたのが 『これからの「正義」の話をしよう』であったならば、 本作は、その講義のライブ版です。 印象に残ったのは、「白熱」というタイトルのとおり、 サンデル教授とハーバード大生(もしくは東大生)との議論のスピード感です。 哲学というと、何か崇高な命題をじっくりと考えるイメージがあるのですが、 この講義では、具体的なシチュエーションから、どんどん「なぜ」を深堀りしていきます。 その要点を押さえたテンポの良さが心地よいです。 議論というのは、1人が抜きん出ているだけでは成立せず、 相手にも相応の力がないと、やりとりが生まれません。 講義での問いかけに対して、これだけの反応を見せるハーバード大生というのは、 やはりすごいなと単純に感嘆しました。 そして、考えるきっかけは具体的な場面だとしても 問題の本質を掘り下げ、それに対する自分の意見を表明するという機会が 今の自分の周りにあるだろうかと見渡したときに、お寒い状況だと再認識。 日々、ニュースや新聞が世界的な問題の解説や崇高な主張をしているのを 見たり読んだりはしていますが、正直、受身で終わってしまっています。 知ったことを頭の中で整理して、記憶しておくところまではやったとしても、 それに対する自分自身の意見を表明し、反対意見には論陣を張るという行為は 今の生活には全くないなぁと思ってしまいました。 前に書きましたが、私が通っていた中学校の社会の授業では クラスを2つに分けてのディベートだったり、質問が先生との議論になっていったり、 「考える」「発言する」「主張する」という点で、いろんな経験をさせてもらいました。 今思えば、一番頭を使って世の中のことを考えていたような気がします。 そんな時代を懐かしく思ってしまうのは、まだまだ青いということなんでしょうかね。
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『これからの「正義」の話をしよう』
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- 2012/09/23(Sun) -
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マイケル・サンデル 『これからの「正義」の話をしよう』(早川書房)、読了。
これって「正義」の話なんだろうか? 読んでいて、ずーっと疑問でした。 正直、この本を買ってくるまで、戦争などをテーマにした本だと思い込んでました。 アメリカ的な「正義」について考察した本なのかなと。 読んでみて、「正しさ」について考えようとしている本なのだなと 自分なりに理解しました。 ところで、「正しさ」と「正義」って、同じことを指してますか? 私の日本語の理解力の問題なのかもしれませんが、 日本語の「正義」って言葉の使われ方って、もっと青臭いものをイメージしませんか? もしくは、偽善的な香りが漂ってきませんか? 原題の通り、米語では“JUSTICE = What's the Right Thing to Do?”なのかもしれませんが 喧嘩両成敗の文化の日本では、唯一の真理としての「正義」は 存在しないような気がしてるんですよね~。 存在しないものを、まるであるかのごとく口にするから 青臭く感じてしまうのではないかと。 そんなことを考えてしまったのは、本作で取り上げられている米国での 諸問題での意見対立の様子が、日本とは文化的に違うなぁと感じたからです。 日本って、お互いに主張しあうことはあっても、 論点を整理して、本質的に何が対立しているのかという確認を しないままに言いっ放しで終わることが多いですよね。 だから、問題が解決しないし、モヤモヤした気持ちが残ったまま、 なし崩し的に先へと進んでいってしまう感じがします。 本作で一番勉強になったのは、意見対立において、 「結局何が相容れないのか」という根本的な部分を掘り下げるアプローチの仕方でした。 「つまりこういうことでしょ!」と言い切る力。 これを身につけられたら、どんな論戦でも「正しさ」を強く主張できるように なれるような気がします。
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