『山女日記』
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- 2022/09/27(Tue) -
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湊かなえ 『山女日記』(幻冬舎文庫)、読了。
あのドロドロの湊かなえが山登りの本なんて!と驚き、 買ったもののしばらく積読でした。 8つのお話が入っており、8つの山が登場します。 冒頭の「妙高山」で、デパート勤務の女性が、デパートで行われたアウトドアフェアの余韻で 同期を誘って人生初の山登りをする話が出てきますが、 山登りなんて小学校の遠足以来したことがない私にとっては、 「え、山小屋に泊まって縦走するような山登りを、初心者がいきなり行っちゃうの!?」と 物語の内容そのものよりも、まず、その物語の入り口の展開に驚いてしまいました。 私は、スキューバダイビングが趣味で(ここ数年行けてないですが・・・・)、 はまってた時は年間50日ほど海に居たので、 きっと山が好きという人も同じ感じなんだろうなぁと漠然と思ってました。 遊ぶフィールドが海と山で違うだけでアウトドアとして同じだろうと。 でも、スキューバダイビングはライセンスが必要なスポーツなので、 プールと海でインストラクターの指導を数日ずつ受けて、さらにルールの理解度を図るために 筆記テストもあったうえで、インストラクターがOKを出さないとライセンスがおりません。 そしてライセンス取得後も、基本的にはインストラクターなりガイドなり、 プロのダイバーに海の中を案内してもらうので、常にそばに頼れるプロがいる状態です。 山はライセンスがないので素人でもチャレンジしやすいというのは理解してましたが、 それでも初心者が山に登る際には、ベテランの先輩にくっついていったり、 初心者向けツアーに参加したり、ガイドを頼んだりするものかと思い込んでました。 そうか、いきなり一人で行こうと思えば行けてしまうのか・・・・・と驚き、 そして、リスク管理がそれできちんとできるのかしら?と不安に感じました。 まぁ、自己責任の世界なのかもしれませんが。 「槍ヶ岳」の中に、初めて登山をした中年女性が、自分の体力や技術を過信して 途中で動けなくなってしまう様子が描かれてますが、 動けなくなっても「休憩したら大丈夫です!」と強気に反論する姿を見て、 「うわー、ダイバーでこういう人はなかなかお目にかからないなぁ・・・・」と感じてしまいました。 インストラクターさんは、無理だと思ったら「ダメです」ってはっきり言いますからね。 何度かダメと言われたら我が儘は言わなくなるか、ダイビングを辞めるかしちゃいます。 そういう海と山の違いを思いながら読んでいると、この本のテーマである 「山に登って自分の人生を考える」という行動が、あ、海にはないわ・・・・と思っちゃいました。 山は何日もかけて歩くので、考える時間もたっぷりあるのでしょうが、 海に潜るのはせいぜい1回60分、しかも気を抜いて何かトラブルに見舞われたら 結構な確率で死んじゃうので、集中した60分となり、考え事をしてる暇がありません。 その分、陸に上がってからの休憩時間は体力回復のためゴロゴロしてることが多いです。 ダイビング旅行に行って、夜、浜辺に寝転んで星空を眺めながら人生を考えるという人は いるかもしれませんが、本当にダイビングにはまっちゃうと夜も潜りますからねぇ(爆)。 同じアウトドアでも、海と山では、全然違うものを求めて大自然の中に浸ってるんだなと 本作を通して理解できました。 個々の物語の感想は、みんな悩んで生きているけど、山に登ってきちんと向き合ったら どんな答えであれ、自分が納得できる答えが見つかるんだなと思いました。 登場人物たちみんな、どこか軽そうなところもあるけど、でも、真剣に人生を生きてるんだなと そういう思いに浸れる爽快な作品でした。 まさか、こんな爽やかタイプの湊かなえ作品があったとは! ![]() |
『リバース』
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- 2022/01/15(Sat) -
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湊かなえ 『リバース』(講談社文庫)、読了。
頭が良いと世間に認識されている東京の大学で、同じゼミを選択した同期生5人。 主人公は、そんな5人の中で、最も地味で存在感のない男の子。 他の男子は、垢ぬけて快活な雰囲気を漂わす、いわゆる「リア充」男子。 卒業後も細々と続く交流は、学生時代にみんなで行った旅行先で事故により1人が亡くなったからだった。 ある日、この主人公に初めてできた彼女のもとに、 「深瀬和久(=主人公)は人殺しだ」と書かれた手紙が投げ込まれ、 この手紙の犯人探しと、事故の真相究明が同時進行で進んでいきます。 本来は、この謎解きを軸に読んでいくのが正しい読書の姿勢なんだろうと思いますが、 私はむしろ、この地味で卑屈な主人公の心理描写の方が気になってしまい、 あぁ、そういう風に世の中を眺め、評価しているのかー、と、 いわゆる地味グループの人の考え方や行動思考に興味を持ちながら読みました。 こういう地味グループの存在というのは、私自身の中学、高校時代を振り返っても ぱっと思い出せないような印象の薄さなのですが、最近、「スクールカースト」という言葉が出てくるようになり その概念を使って、自分の子供時代を振り返ると、「確かにな―!納得!」という感じで、 教室の中のグループ分けは腹落ちします。 ただ、「地味グループって居たよなー」と思いつつも、具体的な顔や名前を思い浮かべることができず 「地味グループ」という抽象的存在で終わってしまっています。 多分それは、教室みんなで共有したような彼らのエピソードがないからかなぁ・・・・と思ってしまいます。 そういう存在感の薄さという点で、深瀬という主人公が、みんなの記憶に残ってないという描写も なんだか納得できてしまいました。 そして、教室内で、そういう立場にずーっと置かれていた人物が、 どういう目で自分自身を評価し、他人の視線を受け止め、他人が教室内で輝いている姿を分析しているのか その一つ一つはが、卑屈すぎて読むのがしんどいところもあるのですが、 でも、そういう価値観、世界との関り方もあるのか・・・・・と勉強するような心持ちで読んでました。 特に、終盤に古川が登場してきてからの、深瀬と古川の対話が非常に面白かったです。 湊作品は女性心理の描写に長けていると思いますが、 本作は、むしろ男の子の屈折した心理を描くのに長けている朝井リョウ作品を読んでいるかのようでした。 一方、多くの読者が期待しているであろう謎解き、最後の最後での大どんでん返しに関しては、 事故の真相の方は、私は結構面白く読めましたが、 手紙の犯人の方はイマイチでした。 途中で予想できてしまうという点と、犯人にとって達成したい目的と手段の陰湿さがアンバランスな気がして 要は、いくら怒りの気持ちが湧いてもこんな方法を選択しないだろうに・・・・・という非現実感。 ちょっと最後はちぐはぐな印象も受けましたが、トータルでは面白かったです。 ![]() |
『望郷』
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- 2020/12/11(Fri) -
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湊かなえ 『望郷』(文春文庫)、読了。
とある島で暮らす人々の姿を描いた連作短編集。 図らずも島の話を続けて読むことになり、『海うそ』ほど濃厚な民俗学的描写はないものの 却って日常生活を描写する優しい言葉の端々に島の歴史や自然環境に由来する制約のような ものが強く感じられました。 どの話も、日々の暮らしや過去の思い出を振り返る構成で、 特にそこには強い謎解きの意思は働いていないのに、 さらっと描写される数行の言葉で、「意思をもって殺された、抹殺された」という事実が 伝えられ、衝撃度がいや増します。 さずが湊作品、上手いですねー。 とにかく登場人物たちが、偽善ぶることなく、露悪ぶることなく、 素直に本能のままに周囲の人間の行動を受け止め、観察し、そこに悪意を感じ取る。 自然な悪意の存在が恐ろしいです。 そして、湊作品には欠かせない「いじめ問題」の要素。 芸能人が自分のいじめ体験を語る行為について、 「耐えろ、負けないで」と語り掛けるのは、被害者のままで居ろということか、という強烈な反論。 さらに、「母の壁問題」も。 なぜ母親は娘をこうも縛り付けようとするのでしょうか。 支配の対象なのか、不満の捌け口なのか、自分が不自由だったから同じ目に遭わせたいのか、 毒母がリアリティを持って迫ってくるから湊作品は怖いです。 私の母は全く毒母ではないので、実体験がないにもかかわらず、「こんな人居そう・・・・」と 思わせる著者の力は凄いです。 どの作品も、数行の真相でガラッと物語の景色が反転するような威力のある転換点があるのですが、 それが違和感なく受け入れられるというか、狙いすぎだよ~と思ってしまうような不自然な作り込みが 感じられないので、強烈な話が続く割にはすんなり読めました。 どれも面白く、一気読みでした。 ![]() |
『ポイズンドーター・ホーリーマザー』
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- 2020/01/22(Wed) -
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湊かなえ 『ポイズンドーター・ホーリーマザー』(光文社文庫)、読了。
湊かなえ作品では、「毒親」が登場する印象が多いのですが、 本作はタイトルからすると「毒娘」的な??? 別の切り口で日本社会の歪みを斬ってるのかしら?と思ったら、 やっぱり毒親がたくさん登場してきて、あぁ、湊ワールドだわあと納得。 で、毒娘は?と思い、中盤では、 「これは、毒親が、自分のやっていることは正しいことだと思い込んでいるから 自己評価が『ポイズンドーター・ホーリーマザー』なんだな」と自分自身では納得していました。 ところが、最後に収録された表題作で真相がわかりました。 それまでの短編は娘の目線で語られており、娘から見て毒親を描いているので 一方的な親批判となっています。 ところが表題作では、娘と親の双方の視点から描いているので、 最初は毒親の話かと思っていたのに、もしかすると思い込みの激しい娘による 感情的な親批判なのかもしれないと思えるようになっています。 本当は、清く美しいお母さんなのに・・・・という。 いやぁ、怖いですね。 この表題作が最後に来ることで、それまでの作品も全て、真相は別のところにあるのではないかと 疑えてしまうような構成になっています。 そして、その疑いは、作品だけでなく、自分の親子関係にも向けることができ・・・・・・おぉ怖い。 湊作品を読むと、いつも最後は、「うちのお母さんは真っ当な人でホント良かった」と思います。 普通のお母さんという意味ではなく、ホーリーマザーですよ。 穏やかな人だし、みんなの言うことを聞こうとするし、でも芯は持ってて、でも押し付けず。 近所の人からは「静かな人」と思われているようですが、娘の私からすると 「ちゃんと自分のことを見てくれている頼りがいのある人」です。 でも母娘でベタベタすることをお互いに好まないので、さっぱりした関係です。 こんなお母さん、世の中にはなかなか居ないんだなぁと いろんな小説や家族が出てくるエッセイやルポルタージュを読むたびに思います。 人間の社会というのは恐ろしいですね。 ホッとできる家庭の中に、恐ろしい人が居るというのですから。 うちはボーっとできる家庭で良かったです。 ![]() |