『悪の対話術』
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- 2015/04/28(Tue) -
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福田和也 『悪の対話術』(講談社現代新書)、通読。
うーん、これは期待はずれでした。 みんな外面は作るから、会話をするときは気をつけなさいよ、 ということは分かるのですが、なんだか中身が薄い感じが・・・・・。 著者が口頭でわーっと話したことを そのまま本にしたのではないかと思ってしまうほど。 残念。
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『暴論 これでいいのだ!』
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- 2015/03/16(Mon) -
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坪内祐三、福田和也 『暴論 これでいいのだ!』(扶桑社)、読了。
福田センセの本は何冊かチャレンジしてみたことがありますが、 坪内センセは、これまで意識したことがなかったので、試しに。 基本的には、2人がどこかの居酒屋で時事ネタをつまみに放談するという内容で、 人権派などが目くじら立てそうな発言もありつつ、ま~ぁ、言いたい放題な感じです。 10年前の対談シリーズのせいか、 最初は、ちょっと流れについていくのがしんどくて、 寝る前に、ちょぼちょぼ読み進めながら10日間ぐらいかかっちゃいました。 『SPA!』での連載だったということで、 結構、過激な発言をしても許されるという特権があったのでしょう。 身も蓋もない発言で笑わせてくれます。ただ、文量が物足りない。 もっと語り尽くしていたんだろうけど・・・・。 あと、構成の石丸元章さんのチャチャがちょっと鬱陶しいかも(苦笑)。 なんだか対談の内容そのものよりも、 お酒を飲みながら、いろんなテーマで自分の知識をぶつけ合い、 その化学反応や横道への逸れ方を楽しむという姿に、憧れてしまいました。 2人とも高い老舗から安い居酒屋まで、グルメの幅が広くて素敵。 高等遊民的な姿とでも言うのでしょうか。 もちろん、著述家として多忙を極めているというのが真の姿なのでしょうけど。 結局、これだけのページ数のある本を読んで、 坪内センセが早稲田で教えているということ以上には、 人物像がよく分からなかったのですが、後で検索してみたら、 父はダイヤモンド社社長、親戚に柳田國男や洋学者、英文学者がごろごろ居るという まさに高等遊民を地で行くような人なのかもしれない・・・・・と驚愕。 そりゃ、博学にもなりますわなぁ。
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『怪物伝』
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- 2014/02/26(Wed) -
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福田和也 『怪物伝』(ハルキ文庫)、読了。
27人の人物が登場しますが、 知った人がほとんどいない・・・・・爆。 知っている人と言っても、教科書に名前が載ってた「○○事件の人」・・・ぐらいの認識で。 最初の感想は、 「いろんな日本人が居るんだなぁ」という、幼稚なものとなりました(苦笑)。 いわゆる日本人論で語られがちな、 「勤労」「まじめ」「控えめ」「清廉」などという枠組みには 全く当てはまらない人たちばかりが登場します。 個人的には、やはり政治家・軍人といった 日本を動かしていた人たちの「生」の部分に興味を持ちました。 この本を機に、伝記とかに進んでいくのが良いのでしょうね。
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『大丈夫な日本』
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- 2014/02/17(Mon) -
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福田和也 『大丈夫な日本』(文春新書)、通読。
読書の傾向が迷走しております。 陰謀論小説の次に、福田和也氏(苦笑)。 この本が書かれたのは2006年だったので、 まさに弱っている当時の日本に対して、 「本当はもっと強いんだ!」という力強い声をかける本かと思っていたのですが、 戦国時代、江戸時代など、過去の日本の強さを紐解いていこうという本で、 ちょっと期待した方向性のものではありませんでした。 なので、全然内容が頭に入ってこなくて、ツルっと表面を舐めただけに終わりました。 別の機会に読み直したいと思います。
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『この国の仇』
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- 2013/09/22(Sun) -
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福田和也 『この国の仇』(光文社)、読了。
この世の中、「正論」と言われるものほどタチの悪いものはないと思います。 「正論」と言われるものって、現実味ゼロなんですもの。 実行が難しいというレベルのものではなく、そんな状態は実現しえないというレベルです。 ハッキリ言って、思考停止と等しい主張だと思います。 なので、本作における著者の主張には、溜飲が下がりました。 「正論」を振りかざす人って、 今のこの瞬間におけることしか考えていないですよね。 その主張が実現できるかとか、実現すれば良い社会になるのかとか、 そういう長期的なスパンで考えるのではなく、 「今がダメだ!」と責め立てるための思考でしかないと感じます。 一体、日本という国をどうしたいのかが、さっぱり分かりません。 でも、彼らが言う「民主主義」の世の中では、 彼ら1人1人の主張にも意味があり、尊重せねばならないのです。 それこそ、2:6:2の法則で、上位20%の意見こそ真剣に検討すべきだと思うのですが。 こういう主張って、会社の経営などのテーマであれば、 それなりに大きな声で言っても大丈夫だと思いますが、 これが国家の運営というテーマになると、 「国民をバカにしているのか!」なーんてことになっちゃうんでしょうね。 なんとも残念。
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『人間の器量』
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- 2013/08/12(Mon) -
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福田和也 『人間の器量』(新潮新書)、読了。
タイトルはなかなかに上から目線ですが(苦笑)、 明治維新以降の大人物を紹介するという一冊。 小気味良いテンポで文章が進むので、面白く読み終えられました。 ただ、「器量」とは何か?という問いが イマイチ曖昧なままで終わってしまいました。 大人物なら器量がデカイという理解で良いのでしょうか? 紹介されている各人物の器量の「形」が異なるので、 それ以上の具体的な理解につながりませんでした。 ま、でも、今の時代に器量のデカイ人物がいないということには納得。
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『超・偉人伝』
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- 2011/05/15(Sun) -
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福田和也 『超・偉人伝』(新潮文庫)、読了。
オバはん編集長との対決再び!ということで、見つけて即買い。 今回は、歴史上の人物にスポットを当て、その再評価をしようというもの。 ラインナップが政治家に偏っているわけでもなく、 宮本武蔵やナイチンゲールなんかも登場してきて、興味深いです。 ただ、どの人物においても、世間的な評価というのは 当人もしくは後裔による再構成が行われており、 世の評価に客観性というものは無いのだと再認識しました。 ま、偉人であればあるほど、利用価値は高いのですから、 当然、そうなるのですが・・・・。 巌流島集団リンチ事件についても触れられていました。 結構、有名な説なんですね。 著者とオバはん編集長&怪しい編集者たちとのくだらないやりとりを読んでいたら、 土屋教授と助手とのやり取りを思い出しました。 ま、土屋センセの死闘に比べれば、役に立つ情報は格段にありますが(苦笑)。 私の住まいのご近所にある新潮社別館で 日夜このようなバカ騒ぎが繰り返されていたとは・・・・。 道端で、オバはん編集者に遭遇できたりしないかしら?
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