『米原万里の愛の法則』
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- 2015/04/27(Mon) -
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米原万里 『米原万理の愛の法則』(集英社新書)、読了。
万里さんの4つの講演内容が収録されています。 亡くなられてから出版が企画されたのかな?と思ってしまうほど 内容に特に流れはありませんが、それぞれが面白い講演になっています。 通訳を生業とする人は、世の中に相応に存在していますが、 そのエピソードを本にして面白く読ませる力というのは、 通訳としての力量よりも、人間的な魅力や教養のなせる業でしょうね。 第一章では、生物学の知識を駆使しながら、通訳のエピソードも絡めて、 人間について、男と女について語るという、非常に幅の広い、また奥の深い話で、 非常に面白かったです。 私も、こういう、厚みのある人間になりたいものです。 残念なのは、冒頭の池田清彦センセの「本書に寄せて」。 万里さんの死を悼むのは良いとしても、 講演内容のくすぐりの部分を要約して紹介しちゃうのはルール違反でしょう! 笑えるくだりの魅力が半減してしまったのは、何とも残念。
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『必笑小咄のテクニック』
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- 2013/07/27(Sat) -
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米原万里 『必笑小咄のテクニック』(集英社文庫)、読了。
ちょっと息抜きを・・・と思い、 万里さんお得意のロシアン・ジョークを期待したのですが、 結構まじめにジョークの構造を分析・解説していて、 正直、面倒くさいと感じてしまいました(苦笑)。 もっとお気楽にジョークを楽しみたかった・・・・ というか、解説は誰でもできるけど、ロシアン・ジョークを面白く聞かせてくれるのは 万里さんか佐藤優氏ぐらいなので、バンバン、ジョークを繰り出してほしかったのです。 ま、でも、後半になるほどジョークの量が増え、 またロシア系のものや米国を嗤うもの、政治ネタや宗教ネタなど ブラック度やタブー度が上がっていって面白く読めました。 あ、あと、小泉流の政治は嫌いなのね・・・・くどいぐらいに批判が(苦笑)。 ま、共産党の家系ですから、当たり前と言えば当たり前なのですが・・・。
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『終生ヒトのオスは飼わず』
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- 2012/04/13(Fri) -
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米原万里 『終生ヒトのオスは飼わず』(文春文庫)、読了。
前半がペットの話、後半が共産党員の話という、 なんとも凄い組み合わせのエッセイ集。 愛猫4匹+犬1匹との生活を描写しているのですが、 親バカと言っても差し支えないほどの愛猫家ぶり、愛犬家ぶり。 最初は、ちょっと引いてしまいました(苦笑)。 だって、犬が逃亡しないように塀の改修に1000万円かけるって、凄くないですか? ペットを動物として扱わない人が、実はちょっと苦手なのです。 ただ、犬の家出、捜索、間違った犬の情報提供、そして新入り。 このあたりの経緯を見て、さらに、最初は人を避けていた犬や猫が 著者の様々な心遣いにより、距離が縮まっていく過程は、 心温まるものがありました。 もちろん、縮まらないものもあるのですが、そこにリアリティがあったり。 そんな犬猫たちとのお別れが描かれることになるのは、 人間と動物の寿命の関係上、ありうるだろうなと予測していたのですが、 まさか、著者自身の死が絡んでくるとは思っていませんでした。 思わぬところで涙。 後半は、共産党員だった父母をはじめとする家族のお話がメイン。 あちこちに発表されたエッセイの寄せ集めのようで、 まとまりに欠けているのと、内容の重複があるのに難あり。 これは、前半のエッセイ連載が、 著者の病魔との闘いにより、終わってしまったがために、 本にするには、分量が足りなかったということなのでしょうか。 ユーモアの中に、悲しみを感じる一冊でした。
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『オリガ・モリソヴナの反語法』
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- 2011/11/05(Sat) -
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米原万里 『オリガ・モリゾヴナの反語法』(集英社文庫)、読了。
これは、凄い小説でした。 最初、いつもどおりエッセイだと思って買ってきたのですが、 読んでみたらフィクションの態をとったものと分かりました。 ただ、米原万里さん自身がプラハ時代の同級生たちを追ったエッセイを 先に読んでしまっていたので、全て読み終えた今でも、 本作が小説なのか、判断がつかない状況です。 しかし、そんなことは関係なくなるほど、読んで引き込まれていく作品です。 プラハのソビエト学校で日本人の少女が学ぶということ、 ソ連邦における各国の置かれた位置、 スターリン時代の過酷な政治状況で生きるということ、 そして、ロシアに深く息づく「文化」の厚み、 様々な要素を、見事なバランス感覚で組み合わせていきます。 そして、何よりも、登場人物たちが魅力的なんです。 主人公のシーマチカには万里さんを投影するとして、 タイトルにもなっているオリガ先生の強烈な言葉遣い(見事な反語法とアイロニー!)、 同級生たちとの爽やかかつ熱い友情、 ラーゲリで必死に生きる人々、 彼らの人生に迫りたくなってくるんです。 こんな小説のような人生を辿った人が多数いたであろう ソビエト連邦という国の凄まじさを感じずにはいられません。
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『魔女の1ダース』
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- 2011/08/26(Fri) -
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米原万里 『魔女の1ダース』(新潮文庫)、読了。
「正義と常識に冷や水を浴びせる」というサブタイトルにあるように、 いろんな思い込みを破壊してくれる一冊です。 「イスタンブールの日本人」「バルナのイラン人」「奈良のロシア人」というように、 母国ではない場所での人々の行動、そこで起きる文化のズレや摩擦、 その様々なエピソードが興味深かったです。 皆、自分が生まれ育った環境に沿った尺度で行動していて、 すべてが相対であるということ。 世界には、声の大きい国と、そうではない国があり、 何となく世界の標準が定められつつあるように見えてしまうけれども、 それは、その国の傲慢さと、また、それに追従してしまう日本の弱さによるものなのでしょう。 同じ追従でも、吉田茂のような戦略的追従なら、頼もしいんですけどね。 本作では、日本とロシアに限らず、 様々な世界や民族の話がてんこ盛りだったので、 比較文化論的に面白かったです。 また、いつも感じることなのですが、米原万里さんは文章が面白い! 文章のリズム感、簡潔ながら迫力のある筆致、起承転結の意外性、 これらをトータルすると、「語る力がずば抜けている」と言えるのではないでしょうか。 さすが、名通訳者。 知的な世界と、日常世界の間さえも、上手につないでくれます。
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『ロシアは今日も荒れ模様』
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- 2011/01/12(Wed) -
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米原万里 『ロシアは今日も荒れ模様』(講談社文庫)、読了。
今まで読んだ中では一番軽めの作品で、随分と笑わせていただきました。 第一章のお酒にまつわるエピソード集は、 ロシア庶民の生活の様子から、政界トップの裏話まで多彩な内容で、 小咄満載なのに読み応えたっぷりです。 やはり、ゴルバチョフやエリツインといった 大物政治家のお茶目な一面とか、空気の読めない場面とかの話は面白いですね。 日本では人気のあるゴルビーさんも、ロシアに帰るとそうでもない様子。 一方、あまり人気の無いエリツインさんは、 最後の最後は国民に信を問うような腹の据わったところがあるようで、 これまた見方が変わりました。 また、ロシア庶民の描写においては、想像以上のウォッカ好きに驚きましたが、 それ以上に、小咄がたくさん出てくるところに、文化度の高さを感じました。 どんなに生活が苦しくとも、政治や経済を笑える心意気というのは、 その国民の教養の高さ、懐の深さ、歴史の厚みを感じさせる 重要な要素だと思っています。 日本でも、川柳や狂歌の傑作が庶民の間から生まれたのは、 決して文化が一部の上流階級のものではなかったこと、 日本人の全体層における文化の厚さを物語っていると思います。 こういう文化の土台があったから、社会主義国としての革命が起こったのか、 それとも社会主義革命のおかげで、このような教養の浸透ができたのかは 私にはわかりませんが、いずれにしても、面白い国だなと感じさせてくれる エピソードの数々でした。
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『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』
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- 2010/09/20(Mon) -
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米原万里 『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(角川文庫)、読了。
これまで、米原万里という人の背景を、恥ずかしながら何も知りませんでした。 子供時代をプラハで過ごしたというのは何かで読んだ記憶があるのですが、 お父様が共産党幹部でプラハに転勤になられたからなんですね。 そのプラハのソヴィエト学校での同級生との思い出を振り返り、 また、30年後の同級生に会いに行くという趣向の本作。 単なる父親の海外赴任についていった帰国子女というのではなく、 社会主義陣営の国に、しかも共産党幹部の娘としてついていき、 ソヴィエト学校で青春時代を過ごしたというのは、 個人のアイデンティティに、物凄く影響を与える経験だと思います。 特に、アーニャとの関係を綴った章は、興味深かったです。 ルーマニアの高官の娘としてプラハにやってきたアーニャは、 共産主義思想にドップリと使っているような発言を連発し、 同級生の子供たちにからかわれる始末ですが、 家に遊びに行くと、なんとも言えない貴族階級のような暮らしぶり。 なのに、当のアーニャは、ルーマニアの一般人民の暮らしが想像できず、 自分の生活に何の疑問も持っていないという有り様。 子どもたちの交流を通して、社会主義国家の矛盾や異様さが垣間見えます。 アーニャは、その矛盾から目を背けるように、 虚勢を張ったり、嘘をついたりしていたようですが、 一方、リッツァやヤスミンカには、その矛盾がある程度見えており、 子どもながらに、大人の矛盾に上手く付き合うだけの頭の良さを 持っていたようです。 いずれにしても、たくましく生きる子供たちを描いていて、圧巻の作品。 30年の時を経て、再会の旅に向かう著者の姿にも心打たれます。 この30年で社会主義国家が辿った顛末を思うと、 必ずしも幸福な人生を送っていないかもしれないと想像される同級生に 会いに行くのは、相当な決心が必要なことだと思います。 そして、実際に再会してみて、無事を喜び合う一方で、 相手の言動に戸惑うところもあったりして、複雑な胸中だったようです。 その分、過酷な人生を経た人々の強さというものを、 この作品では実感することができました。 大宅壮一ノンフィクション賞受賞もうなずける一冊でした。
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『不実な美女か貞淑な醜女か』
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- 2010/06/08(Tue) -
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米原万里 『不実な美女か貞淑な醜女か』(新潮文庫)、読了。
タイトルから、これまた爆笑の連続のエッセイかな?と思いきや、 思ってた以上に硬派な内容でした。 エッセイと通訳論の合いの子のような作品です。 「伝えるとはどういうことなのか?」という非常にシンプルなことを、 理念的としても、アプローチとしても、突き詰めたものになっています。 そして、ところどころに、爆笑エピソードも。 本作では、通訳協会のシンポジウムで上演されたという 通訳にまつわる寸劇が、カリカチュアライズされていて面白かったです。
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