『定年ゴジラ』
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- 2017/06/12(Mon) -
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重松清 『定年ゴジラ』(講談社文庫)、読了。
東京郊外のニュータウンで定年を迎えた主人公。 毎日することがなく、町内を散歩する日々。 そこで出会った同じような境遇の男たちと意気投合し・・・・・。 実家が自営業なので、家族が定年を迎えるという状況に遭遇したことがなく、 また古い商店街の中に実家があるのでニュータウンという類の地域にも縁がなく、 主人公のような境遇の人は、お話の中でしか出会いません。 (もちろん会社の同僚にはたくさんいたと思いますが、公私は別ですからね) そんな、親近感のない世界を、主人公のおじさんたちの目を通して じっくり描いてくれるので、定年生活というものがどんな日々なのか 具体的に目の前に広がっていく感じでした。 仕事がない、家の役目も特にない、遊ぶ場もない、友人もいない、 こんな状況に自分が追いやられたら、私なら鬱になってしまいます。 主人公の家庭は、奥さんが強くて明るいのが救いですね。 4人のおじさんの奮闘記ですが、 熱くなったり、カッとしたり、落ち込んだり、嘆いたり、 感情の歯止めが緩くなっているのか、結構、騒々しい日々です。 そんな中で、主人公は冷静に周囲を見ているので、 自分で自分たちの置かれている立場にハッと気づくことが多々あり、 その分析が興味深いのです。 日本経済を支えてきたと自負する男たち。 しかし、時間を持て余す日々。 どうやって自分の気持ちを整理するのか、 そのプロセスが見えて面白かったです。 通勤片道2時間って、東京都内にしては時間かかり過ぎじゃない?と思いましたが 検索してみたら、ニュータウンのモデルは八王子のめじろ台って書かれている Blogがありました。 時間の感覚からなんとなく青梅線沿線をイメージしていたのですが、 私鉄沿線って書いてありますし、めじろ台の方が合ってそうですね。 作中で主人公も言っていますが、 主人公の娘2人にとってはニュータウンが実家であり故郷。 「ふるさと」っていう言葉は、やっぱり地方人のためにあるのかなと 思ってしまいました。 ニュータウンの家に戻ってくるときって、どんな感じなんでしょうかね。 地方人の私には、娘たちの感覚がイメージしきれませんでした。
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『星に願いを』
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- 2016/08/26(Fri) -
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重松清 『星に願いを』(新潮文庫)、読了。
1995年から2000年までの6年間を、 3つの家族の姿を通して映し出した作品。 時事ネタがふんだんに盛り込まれており、 しかも、ストーリーに絡めるのではなく、 あくまで当時のニュースとして断片的に突っ込んでくることで、 その時事性が際立っています。 主要登場人物は3人。 定年が見えてきたアサダ氏、 幼い娘の一つ一つの行動が心配でならないヤマグチさん、 自分の進路がまったく見えてこない高校生のタカユキ。 タカユキと私は、1学年違うぐらいのほぼ同世代の年齢設定。 タカユキが経験した世界は、私が経験した世界でもあります。 阪神大震災、サリン事件、たまごっち、・・・・・。 思いもよらない出来事の前に、自分はどうしたらよいのか 分からなくなってしまう感覚。 とにかく静観した私と、ボランティア活動に参加したタカユキ。 同じように周りが見えていなくても、行動できた者と行動しなかった者は、 その出来事が人生にもたらす意味合いの重さが全く異なるんだろうなぁと タカユキの行動力が羨ましかったです。 さて、物語の方ですが、 3つの家族を通して、この年代の日本を写し取るということには 同時代を生きた者なら、ある程度成功していると感じるでしょうが、 しかし、小説として面白かったかと言われると・・・・・うーん。 まず、3つの世界が独立して展開していくのに、 しょっちゅう切り替わるので、読んでいて落ち着きません。 そして、アサダ氏、ヤマグチさん、タカユキという呼称も、 他の家族が下の名前で、しかも漢字表記で書かれている中で、 何だか変に浮き上がってしまっていて、文章として読みづらかったです。 実験的な作品だとは思いますが、 実験には形式的には一定成功しても、結果が伴わなかった印象です。
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『くちぶえ番長』
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- 2014/11/01(Sat) -
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重松清 『くちぶえ番長』(新潮文庫)、読了。
小学校4年生の1年間を一緒に過ごした友達。 転校した後は、全く音信普通になってしまい、 その1年間がかけがえのないものとなる・・・・・・。 おとなしくて臆病な男の子と、番長として威風堂々とした女の子の物語。 最初は、この男の子の臆病さ加減に少しイライラしてしまいました。 臆病なのは性格なので仕方がないにしても、必ず言い訳が付いて回ります。 それが言い訳であることを薄々自覚しながら目をつぶってしまいます。 そんな姿が続くので、ちょっとしんどかったです。 でも、そこは、後半のためのフリだと自分に言い聞かせて読みました(苦笑)。 当然、その反動として、番長の厳しい言葉のおかげで 男の子は少しずつ勇気をもっと行動ができるようになり、 いじめっこの6年生にも立ち向かえるほどに。 この成長ぶりを楽しめるのは、やっぱり少年モノの醍醐味ですね。 一方の番長の女の子ですが、とにかく格好良く描かれています。 あまりの隙のなさに、無敵の返信ヒーローモノかっ!って思っちゃうほどですが、 でも、最後に女の子らしい可愛いところも見せるのは、 さすが重松作品ですね。 私自身は、仲の良い友達が転校で目の前から居なくなってしまったという経験は無いのですが、 小さい子供にとっては、なかなか過酷な体験だなぁと今更ながら思ってしまいました。
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『ビフォア・ラン』
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- 2013/10/26(Sat) -
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重松清 『ビフォア・ラン』(幻冬舎文庫)、読了。
恩田青春モノの流れで、重松青春モノをば。 しかし、この作品は、しんどかったです・・・・。 恩田作品のキラキラ感とのギャップが凄くって。 自分の人生に彩りを添える「トラウマ」を作りたいという変な理由から、 心の病で退学した同級生を「殺してしまう」という物語を作り上げた主人公。 嘘の「自殺」話を友人たちと語り合い、墓まで作ってしまった彼らの前に、 その「自殺したはずの」同級生が明るすぎるほどに明るくなって戻ってくる・・・。 とまぁ、設定を書くとこんな感じなのですが、 なんとも悪趣味な印象を受けました。 地方の悪ガキを描くにしても、「心の病を患った同級生を自殺させる話を作り嗤う」 なんていう発想は、正直驚きましたし、呆れてしまいました。 そして、戻ってきたその同級生は、 心の病を一層悪化させている状況で、悪いことに主人公の幼馴染の女の子を 心の病の側に巻き込んでいきます。 うーん。読んでいて辛い・・・・。 先日の恩田作品も、複雑な家庭環境を背負っている少年ばかりが登場し、 それはそれで、しんどい内容ではありました。 しかし、彼らは、そんな自分の暗い部分を隠そうという努力をしており、 ふと告白してしまったことをきっかけに、お互いが互いを思いやるという まさに青春な感じだったわけですよ。 一方、本作では、あまりに露悪的な行動ばかりで、 何もこんな設定にしなくても・・・・という展開ばかり。 中盤で、主人公は、変に英雄気取りな行為をするのではなく、 冷たいぐらいに心の病の人々と距離を取り、ある種の寡黙な冷静さを見せます。 その流れがあったおかげで、終盤の大人な対応になっていったところがあり、 最後は読ませてくれました。 でも、やっぱり、作品全体を眺めると、 ちょっとダークすぎて、苦手な作品でした。
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『きみの友だち』
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- 2012/12/26(Wed) -
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重松清 『きみの友だち』(新潮文庫)、読了。
小学校4年生の時に交通事故で左足を悪くした少女。 その事故をきっかけに、「友だち」が友だちでなくなり、独りになってしまう。 ジャンルで括ってしまえば「いじめ」をテーマにした小説。 でも、単純に、強い者が弱い者をいじめる話ではないんです。 そう、人間関係の難しさについて描いた作品なんです。 そもそも「友だち」って何なのか? 毎日一緒にいれば友だちなのか?病気になった子に千羽鶴を折れば友だちなのか? 「みんな」は「友だち」なのか? 私の「友だち」って誰なんだろう? いるんだろうか?いたんだろうか? そんな気持ちが押し寄せてきます。 自分が薄っぺらい存在のような気分にもなります。 では、恵美のように小学校4年生で悟ってしまった場合、 それはそれで幸せなのか? 由香ちゃんという存在がいたから閉じた幸せを作り上げていたけれど、 もしも彼女と出会えなかったら・・・。 何が正解なのか分からなくなります。 それとも、この作品のように、神様はきちんと手当てをしてくれるのでしょうかね。 恵美から始まり、その「友だち」たちに視点を変えて、各章が綴られていきます。 みんな、突っ張ってるけど、心の中は不安でいっぱい。 小学生なのに、中学生なのに、びくびくしながら生きてる。 彼らたちほどに真剣に友だちとの関係を考えたことはなかったかもしれないけど、 確かに、上手くいくように気を使っていた自分はいたかも。 学校って、難しい環境ですよね。 物語の主人公たちが、本質的には優しい性格の持ち主だったことが救い。 特に、ブンちゃんの存在は大きかったです。
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『きよしこ』
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- 2012/10/13(Sat) -
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重松清 『きよしこ』(新潮文庫)、読了。
少年きよしの成長記。 吃音症を抱えながらも、しっかりと前を向いて歩もうとする男の子の姿を描いてます。 本作では、吃音症というものが、作品が生まれるきっかけとなり、 また作品の中でも、重要な位置を占めている要素になっていますが、 私は、それ以上に、少年期に何度も引越しをするという要素の方に心惹かれました。 2~3年ごとに、父親の転勤の都合で転校を余儀なくされる少年。 小学生の時に、自分の思い出が2~3年ごとに分断されるのって、 どんなに辛いことなんだろうかと、この本でようやく実感しました。 卒業前に思い出を振り返っても、1年生、2年生のころが分からない。 友達のちょっとした失敗の思い出を共有できず一緒に笑えない。 中学校でいつまで一緒にいられるか分からない。 こんな不安定で不案な境遇に、 10歳になるかならないかの子供が置かれるというのは、 なんと残酷なことなんだろうかと思いました。 私自身は、幼稚園から中学校までエスカレーターで、 高校にも数十人が一緒に入学したので、こういう境遇というのは、 あまり意識したことがありませんでした。 さすがに大学生活は、全く知り合いがいない状況でスタートしましたが、 もう良い年齢ですしね。 ガツガツ前向きに乗り越えようとするわけではないのですが、 肝心な時の踏ん張りが力強いと思う少年のお話に力づけられました。
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