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『送り火』
- 2022/07/19(Tue) -
重松清 『送り火』(文春文庫)、読了。

「フジミ荘奇譚」から始まる短編集。
冒頭のこの作品は、勤務先での不倫がばれたことから、
仕事を失い、家庭を失い、とことん堕ちてしまった男が辿り着いた激安アパート。
同じアパートに住む5人の老女に気に入られ、ありがた迷惑な世話を受けますが、
次第に、この老女たちが、化け猫だという噂が耳に入り・・・・・。

重松作品らしくない思わぬホラーな味付けで始まりましたが、
続く「ハードラック・ウーマン」では、駅前でぼーっとしているホームレスの老女を
お地蔵さんに見立てて、このホームレスに願い事をすると叶うという嘘のネタを
週刊誌のコラムに書いたことでホームレスにマスコミが殺到しプチパニックとなる顛末。
こちらも、このホームレスの佇まいが、なんだかあやかしのような存在で、
ホラーチックな味付けです。

こういうホラー作品を集めた短編集なのかな?タイトルも「送り火」だし・・・・と思い始めたら
「死」とか「廃」とか「墟」とかが入り混じった作品が続き、
おー、おどろおどろしいよー。

ガツンとホラーというのではなく、重松作品の生活感あふれる舞台装置に
ちょっとホラーな味付けがなされることで、余計にリアリティがあるように思えて怖いです。

結構、登場人物たちは、そのホラーな感覚を受け入れているというか、
拒絶せずに、そういうこともあるかもな・・・・と受け止めて、
自分の人生を前向きに変える転換点として利用しようとしているので、
人間って強いんだなぁと変なところで感心してしまいました。

全ての短編が、「武蔵電鉄富士見線」の沿線で起きているという点だけで
ゆるーく結びついている作品集です。
そういえば、私が大学進学で上京し、親に借りてもらったアパートは
富士見通り沿いに立ってました。
自分の部屋の窓から富士山を見たことは4年間で一度もなかったですけど(苦笑)。
多摩方面には「富士見」という地名は多いのかもしれませんね。




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『また次の春へ』
- 2022/06/20(Mon) -
重松清 『また次の春へ』(文春文庫)、読了。

3.11の震災で、家族、友人、教え子を亡くしたり行方不明のままだったりする
残された者たちの短編集です。

私自身は、3.11の時に東京に居て、大きな揺れは体験しましたが
怪我も何もなく、仕事も通常通り月曜日から再開され
家も無事、家族親族も友人も東北地方にはおらず、「被災」という状況は
身近なものではありませんでした。
もちろん、会社の東北支店の方たちには家がぐちゃぐちゃになった方がいたようで
人事部を中心に対応に当たってましたが、どこか他人事でした。

そんな自分でさえ、3.11の遺族の話を短編集として続けざまに読むと、
辛くて途中で手を止めずにはいられませんでした。
遺族の苦悩がストレートに描かれていて、またそれぞれの家族に象徴的なエピソードが
これまた涙を誘います。

震災から5年たった段階でこの作品は発表されたようですが、
私でさえ、その時だったら、記憶が生々しすぎて受け止められなかったんじゃないかなと思います。
今でも当事者の方たちには辛いことだろうなと。

本作を読み、読むしんどさを覚えたことで、逆に
小説の持つ力を実感することができました。

そして、私たちは意識せずに「3.11の被災者」「3.11の遺族」と
一つに括って考えてしまいがちですが、
それぞれの家族、個々人によって、震災の受け止め方も将来に向けての考え方も異なり、
1人1人の震災というものがあるんだと改めて認識しました。

昨日も北陸の方で大きな地震が起きていましたが、
日本では、地震は起きてしまうものとして受け止めなければいけないので、
防災や減災に努めて、少しでも被害を小さくするように日々心掛けないといけないなと
東海地震、東南海地震が想定される地域に住んでいる人間として戒めになりました。




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『せんせい。』
- 2022/05/20(Fri) -
重松清 『せんせい。』(新潮文庫)、読了。

ザ・重松作品!という感じの
小学校や中学校、高校の先生を主人公にした短編集です。

こういう作品を読むたびに、「先生とは子供の成長に寄り添えるやりがいのある仕事だなぁ」ということより
「先生って一人一人の個性に対応しなきゃいけないから大変だなぁ」ということの方を
強く感じてしまいます。
仕事に対する責任感以上に、教師という職業に聖なるものを感じて信じていないと
とても心も体も持たないよなぁ・・・・・と。

医師も同じようなところがあると思いますが、
自分の努力の結果が治療結果という成果に繋がる度合いが
教育結果という成果に繋がる度合いに比べて、まだ大きいような気がします。
患者の方が素直に指示を聞く人が多そうだし、治したいという前向きな気持ちで努力する人が多そうな
そんな気がします。
それに比べて子供を教えるというのは、相手の反応の読みにくさが大きそうに感じます。
今は、親もわがままですしね。

本作に収められた短編集では、先生は、若いときにはいろいろあったにしても
それなりに自分らしく子供のことを考えて教育の現場に立っているように感じましたし、
悩みながらも前を向いている感じが心地よいなと思いました。

そして、それに向き合う子供たちも、どこか大人な目線を持ち合わせていて、
先生を思いやる気持ちと、先生への本音の評価が心の中に住み合わさっている様子も
共感するところが多く、小説の世界に浸ることができました。

高校野球の世界と闘病ものがミックスされた「泣くな赤鬼」は、
王道過ぎるぐらい王道な作品でしたが、泣けました。
先生も誠実だし、生徒も自分の人生に誠実です。

そして、一番印象に残ったのは「にんじん」。
20代の若手教師が、初めて受け持った6年生のクラスで、
前任のベテランで子供たちに強く信頼されていた教師を超えようと、
最初は真っ当な方法で挑みますが、次第に手段を択ばない方法で教室運営をするようになり、
その過程で一人の生徒が犠牲になります。
教師のしたことは、いじめと言ってしまえばいじめになるのでしょうけれど、
でも、教師の心情もどこかわかるような気がします。
集団になれば、一人ぐらい合わない子も出てきますよね。
どんな物語の展開になるのかなと思ったら、最後、その犠牲者に思いを述べる場を作ってあげる展開で
そのストーリー構成に、作者は子供たちに対して優しいなと感じされてくれる作品でした。




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『Long, Long ago』
- 2021/07/04(Sun) -
重松清 『Long, Long ago』(新潮文庫)、読了。

久々の重松作品。
人生における再会の奇跡を描いた6つの短編が収録されています。

「再会」がテーマとなると、当然、最初に出会った時と再会したときの時間に隔たりがあるわけで、
最初に出会ったときは子供時代の話になりがちです。

小学生の時、中学生の時、高校生の時、
それぞれの年齢で多感な時期であり、そんななかで、大人の事情で別れが訪れたり、
親戚一同から厄介者扱いされていたりで、子供心に気を遣う展開になるところが
あぁ、子供も子供なりに大変なんだよなぁ・・・・・と自分自身を振り返ってみたり。

子供なりに大人の事情や友達の家庭の事情を慮って
いろいろ気を遣いながら周囲に接している主人公の姿を見て、
「自分もそういうところがあったかも・・・・・顔色を見る嫌な子供だな」と(苦笑)。
そういう子供の姿を描いたら、やっぱり重松さん上手いなぁと。

そして、この子供時代を振り返るのが、30代なり40代なりになったときというのも、また肝です。
子供のころに描いていた「こんな仕事をしたい」「こんな風に活躍したい」という理想像と、
現実の姿は当然違ってきているわけで、子供のころの自分の思い出と再会した自分は
理想とズレているという事実を改めて思い至るというのは、結構、しんどい作業だなと。

私は短期的には悲観的でも長期的には楽観的なので、
子供のころに思っていた大人の自分の姿が違ってても、
「いろいろ経験した結果こうなったんだ」と前向きに捉えることが出来ます。
あんまり将来像にこだわりがなかったということかもしれません。
子供のころに強い思いがあった子は、ギャップを埋めるのが大変なのかもな・・・とも思ってみたり。

作中で登場する小学校の先生の言葉で、同僚の先生に向かって
「あなた自身の今の友達の中で、小学校の頃の友達って何人いますか?」。
ズバッと冷たい言葉で現実を見せるのも、重松作品だなあと思います。
実際、私が今、日常的に接する友だちの中で、小学校の同級生って、いないんですよねー。
幼稚園から中学校までエスカレーター式の学校だったので、普通の小学校よりは
友だち同士の付き合いは長く深いのに、実家に帰ったときに近所の道で遭遇するとか
同窓会に行くとかしないと、なかなか言葉を交わすこともなく。
FBでときどきコメントのやりとりはあっても、対面じゃないので、なんか違う感じ。

結局、友達関係、そして人間関係って、どんどん上書きされていくんだなと納得。




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『定年ゴジラ』
- 2017/06/12(Mon) -
重松清 『定年ゴジラ』(講談社文庫)、読了。

東京郊外のニュータウンで定年を迎えた主人公。
毎日することがなく、町内を散歩する日々。
そこで出会った同じような境遇の男たちと意気投合し・・・・・。

実家が自営業なので、家族が定年を迎えるという状況に遭遇したことがなく、
また古い商店街の中に実家があるのでニュータウンという類の地域にも縁がなく、
主人公のような境遇の人は、お話の中でしか出会いません。
(もちろん会社の同僚にはたくさんいたと思いますが、公私は別ですからね)

そんな、親近感のない世界を、主人公のおじさんたちの目を通して
じっくり描いてくれるので、定年生活というものがどんな日々なのか
具体的に目の前に広がっていく感じでした。

仕事がない、家の役目も特にない、遊ぶ場もない、友人もいない、
こんな状況に自分が追いやられたら、私なら鬱になってしまいます。
主人公の家庭は、奥さんが強くて明るいのが救いですね。

4人のおじさんの奮闘記ですが、
熱くなったり、カッとしたり、落ち込んだり、嘆いたり、
感情の歯止めが緩くなっているのか、結構、騒々しい日々です。
そんな中で、主人公は冷静に周囲を見ているので、
自分で自分たちの置かれている立場にハッと気づくことが多々あり、
その分析が興味深いのです。

日本経済を支えてきたと自負する男たち。
しかし、時間を持て余す日々。
どうやって自分の気持ちを整理するのか、
そのプロセスが見えて面白かったです。

通勤片道2時間って、東京都内にしては時間かかり過ぎじゃない?と思いましたが
検索してみたら、ニュータウンのモデルは八王子のめじろ台って書かれている
Blogがありました。
時間の感覚からなんとなく青梅線沿線をイメージしていたのですが、
私鉄沿線って書いてありますし、めじろ台の方が合ってそうですね。

作中で主人公も言っていますが、
主人公の娘2人にとってはニュータウンが実家であり故郷。
「ふるさと」っていう言葉は、やっぱり地方人のためにあるのかなと
思ってしまいました。
ニュータウンの家に戻ってくるときって、どんな感じなんでしょうかね。
地方人の私には、娘たちの感覚がイメージしきれませんでした。


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『星に願いを』
- 2016/08/26(Fri) -
重松清 『星に願いを』(新潮文庫)、読了。

1995年から2000年までの6年間を、
3つの家族の姿を通して映し出した作品。

時事ネタがふんだんに盛り込まれており、
しかも、ストーリーに絡めるのではなく、
あくまで当時のニュースとして断片的に突っ込んでくることで、
その時事性が際立っています。

主要登場人物は3人。
定年が見えてきたアサダ氏、
幼い娘の一つ一つの行動が心配でならないヤマグチさん、
自分の進路がまったく見えてこない高校生のタカユキ。

タカユキと私は、1学年違うぐらいのほぼ同世代の年齢設定。
タカユキが経験した世界は、私が経験した世界でもあります。
阪神大震災、サリン事件、たまごっち、・・・・・。

思いもよらない出来事の前に、自分はどうしたらよいのか
分からなくなってしまう感覚。
とにかく静観した私と、ボランティア活動に参加したタカユキ。
同じように周りが見えていなくても、行動できた者と行動しなかった者は、
その出来事が人生にもたらす意味合いの重さが全く異なるんだろうなぁと
タカユキの行動力が羨ましかったです。

さて、物語の方ですが、
3つの家族を通して、この年代の日本を写し取るということには
同時代を生きた者なら、ある程度成功していると感じるでしょうが、
しかし、小説として面白かったかと言われると・・・・・うーん。

まず、3つの世界が独立して展開していくのに、
しょっちゅう切り替わるので、読んでいて落ち着きません。
そして、アサダ氏、ヤマグチさん、タカユキという呼称も、
他の家族が下の名前で、しかも漢字表記で書かれている中で、
何だか変に浮き上がってしまっていて、文章として読みづらかったです。

実験的な作品だとは思いますが、
実験には形式的には一定成功しても、結果が伴わなかった印象です。


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『くちぶえ番長』
- 2014/11/01(Sat) -
重松清 『くちぶえ番長』(新潮文庫)、読了。

小学校4年生の1年間を一緒に過ごした友達。
転校した後は、全く音信普通になってしまい、
その1年間がかけがえのないものとなる・・・・・・。

おとなしくて臆病な男の子と、番長として威風堂々とした女の子の物語。

最初は、この男の子の臆病さ加減に少しイライラしてしまいました。
臆病なのは性格なので仕方がないにしても、必ず言い訳が付いて回ります。
それが言い訳であることを薄々自覚しながら目をつぶってしまいます。

そんな姿が続くので、ちょっとしんどかったです。
でも、そこは、後半のためのフリだと自分に言い聞かせて読みました(苦笑)。

当然、その反動として、番長の厳しい言葉のおかげで
男の子は少しずつ勇気をもっと行動ができるようになり、
いじめっこの6年生にも立ち向かえるほどに。
この成長ぶりを楽しめるのは、やっぱり少年モノの醍醐味ですね。

一方の番長の女の子ですが、とにかく格好良く描かれています。
あまりの隙のなさに、無敵の返信ヒーローモノかっ!って思っちゃうほどですが、
でも、最後に女の子らしい可愛いところも見せるのは、
さすが重松作品ですね。

私自身は、仲の良い友達が転校で目の前から居なくなってしまったという経験は無いのですが、
小さい子供にとっては、なかなか過酷な体験だなぁと今更ながら思ってしまいました。


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『ビフォア・ラン』
- 2013/10/26(Sat) -
重松清 『ビフォア・ラン』(幻冬舎文庫)、読了。

恩田青春モノの流れで、重松青春モノをば。

しかし、この作品は、しんどかったです・・・・。
恩田作品のキラキラ感とのギャップが凄くって。

自分の人生に彩りを添える「トラウマ」を作りたいという変な理由から、
心の病で退学した同級生を「殺してしまう」という物語を作り上げた主人公。
嘘の「自殺」話を友人たちと語り合い、墓まで作ってしまった彼らの前に、
その「自殺したはずの」同級生が明るすぎるほどに明るくなって戻ってくる・・・。

とまぁ、設定を書くとこんな感じなのですが、
なんとも悪趣味な印象を受けました。
地方の悪ガキを描くにしても、「心の病を患った同級生を自殺させる話を作り嗤う」
なんていう発想は、正直驚きましたし、呆れてしまいました。

そして、戻ってきたその同級生は、
心の病を一層悪化させている状況で、悪いことに主人公の幼馴染の女の子を
心の病の側に巻き込んでいきます。

うーん。読んでいて辛い・・・・。

先日の恩田作品も、複雑な家庭環境を背負っている少年ばかりが登場し、
それはそれで、しんどい内容ではありました。
しかし、彼らは、そんな自分の暗い部分を隠そうという努力をしており、
ふと告白してしまったことをきっかけに、お互いが互いを思いやるという
まさに青春な感じだったわけですよ。

一方、本作では、あまりに露悪的な行動ばかりで、
何もこんな設定にしなくても・・・・という展開ばかり。
中盤で、主人公は、変に英雄気取りな行為をするのではなく、
冷たいぐらいに心の病の人々と距離を取り、ある種の寡黙な冷静さを見せます。
その流れがあったおかげで、終盤の大人な対応になっていったところがあり、
最後は読ませてくれました。

でも、やっぱり、作品全体を眺めると、
ちょっとダークすぎて、苦手な作品でした。


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『きみの友だち』
- 2012/12/26(Wed) -
重松清 『きみの友だち』(新潮文庫)、読了。

小学校4年生の時に交通事故で左足を悪くした少女。
その事故をきっかけに、「友だち」が友だちでなくなり、独りになってしまう。

ジャンルで括ってしまえば「いじめ」をテーマにした小説。
でも、単純に、強い者が弱い者をいじめる話ではないんです。

そう、人間関係の難しさについて描いた作品なんです。
そもそも「友だち」って何なのか?
毎日一緒にいれば友だちなのか?病気になった子に千羽鶴を折れば友だちなのか?
「みんな」は「友だち」なのか?

私の「友だち」って誰なんだろう?
いるんだろうか?いたんだろうか?
そんな気持ちが押し寄せてきます。
自分が薄っぺらい存在のような気分にもなります。

では、恵美のように小学校4年生で悟ってしまった場合、
それはそれで幸せなのか?
由香ちゃんという存在がいたから閉じた幸せを作り上げていたけれど、
もしも彼女と出会えなかったら・・・。

何が正解なのか分からなくなります。
それとも、この作品のように、神様はきちんと手当てをしてくれるのでしょうかね。

恵美から始まり、その「友だち」たちに視点を変えて、各章が綴られていきます。
みんな、突っ張ってるけど、心の中は不安でいっぱい。
小学生なのに、中学生なのに、びくびくしながら生きてる。
彼らたちほどに真剣に友だちとの関係を考えたことはなかったかもしれないけど、
確かに、上手くいくように気を使っていた自分はいたかも。
学校って、難しい環境ですよね。

物語の主人公たちが、本質的には優しい性格の持ち主だったことが救い。
特に、ブンちゃんの存在は大きかったです。


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『きよしこ』
- 2012/10/13(Sat) -
重松清 『きよしこ』(新潮文庫)、読了。

少年きよしの成長記。
吃音症を抱えながらも、しっかりと前を向いて歩もうとする男の子の姿を描いてます。

本作では、吃音症というものが、作品が生まれるきっかけとなり、
また作品の中でも、重要な位置を占めている要素になっていますが、
私は、それ以上に、少年期に何度も引越しをするという要素の方に心惹かれました。

2~3年ごとに、父親の転勤の都合で転校を余儀なくされる少年。
小学生の時に、自分の思い出が2~3年ごとに分断されるのって、
どんなに辛いことなんだろうかと、この本でようやく実感しました。

卒業前に思い出を振り返っても、1年生、2年生のころが分からない。
友達のちょっとした失敗の思い出を共有できず一緒に笑えない。
中学校でいつまで一緒にいられるか分からない。

こんな不安定で不案な境遇に、
10歳になるかならないかの子供が置かれるというのは、
なんと残酷なことなんだろうかと思いました。

私自身は、幼稚園から中学校までエスカレーターで、
高校にも数十人が一緒に入学したので、こういう境遇というのは、
あまり意識したことがありませんでした。
さすがに大学生活は、全く知り合いがいない状況でスタートしましたが、
もう良い年齢ですしね。

ガツガツ前向きに乗り越えようとするわけではないのですが、
肝心な時の踏ん張りが力強いと思う少年のお話に力づけられました。



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